第八話「狡くて卑怯で卑劣な女」
————翌日、ニアは屋敷のどこかへ籠もった。
八咫烏の処遇については、
昨夜のうちに決めきれなかったらしい。
手足は自由なままだ。
ひとまず、その点だけは評価したい。
「円卓の騎士って、意外と暇なの?」
中庭で煙草を吸いながら尋ねると、
紅茶を注いでいた老執事『セバチャン』が、
見事に手元を狂わせず顔だけ上げた。
八咫烏はセバチャンの名前を初めて聞いたとき、
なにか一文字足りない気がしていた。
これも忘れた記憶や知識の断片から来る違和感なのだろう。
「ニア様は、現在も任務の最中でございます」
「何の?」
「八咫烏様の拘束です」
なるほど。暇そうな原因が自分だった。
「モンストロの拘束は、他国も動向を注視するほどの大任です。一体で都市を、時には州を壊滅させるものもおりますので」
「…………州?」
「はい」
「俺、そんな扱いなの?」
「はい。お砂糖はいくつ?」
「急に日常へ戻すなよ」
こいつは想定外。
怪しい野良犬くらいに思われているのかと思ったら、
街ごと消す災害だった。
ニアがあれほど神経質になるわけだ。
その災害へ紅茶を出す執事も、
なかなか肝が据わっている。
庭の向こうで、サクサの振った木剣が風を切った。
「お見事でございます、サクサお嬢様」
セバチャンがにこやかに拍手をする。
木剣を振り終えたサクサが、
八咫烏の方を向いて笑う。
ニコニコである。
「おう。当たんなかったな」
植木鉢にも、庭木にも。
自分で間合いを測り、振れる場所を選んだのだ。
今度は足元の鉢を避け、ベンチまで歩く。
そして、またにこり。
「見てた見てた。ちゃんと見てた」
昨日から、ずっとこうだった。
歩けた。避けられた。
自分で曲がる道を選べた。
そのたびに報告が来る。
八咫烏だけは見えないので、
時々、少し横の虚空に報告していた。
「サクサお嬢様。八咫烏様は、もう少し右にいらっしゃいます」
顔を向け直して、にこり。
訂正まで律儀だった。
「懐かれましたな」
「頷いてるだけなんだけど」
「それが嬉しいのでしょう。お茶のおかわりは?」
「もらう。あと散歩の許可」
「お茶だけお持ちいたします」
半分は客人兼恩人。半分は拘束中のモンストロ。
なかなか都合のいい配分である。
主に屋敷側にとって。
サクサが隣に座り、紙へ何かを書き始めた。
八咫烏にはこの国の文字が読めないので、
セバチャンが読み上げる。
「……『次のお稽古は、何をしますか』とのことです」
「次? もう終わりだけど」
サクサの笑顔が消えた。
あまりにも露骨だった。
つい先ほどまで晴れていた顔に、
雨雲が居座っている。
世界が終わったかのように、
顔から血の気が引いている。
多分、サクサの中では本当に終わろうとしている。
「見えるようになっただろ。俺の仕事は終わりだって」
サクサは木剣を膝へ引き寄せた。
それから八咫烏の袖を、そっと摘まむ。
「……あー。剣もってこと?」
こくり。
確かに、当初の大口では「サクサを騎士にする」とニアに宣言した気もする。
サクサ本人にそれを聞かれていないのが不幸中の幸いだ。
————何より……
八咫烏は頭を掻き、仕方なく口へ指を入れた。
「ぉえ……ッ………!」
喉の奥から柄を掴み、引き抜く。
セバチャンは目を見開く。
急いで背中を摩り、水を飲ませようとする。
サクサも、八咫烏の嗚咽を耳で捉えて、
慌てて背中をさすろうとするが、
サクサには八咫烏がどこにいるか分からない。
ずるりと現れた刀身は、
禍々しさが渦を巻き、神々しいまでに光沢している。
セバチャンは信じられないものを見る目で、
八咫烏と剣を交互に見た。
「口から……剣が……?」
そのまま茶器を抱えたまま一歩下がった。
「……茶をお下げしましょう」
「引いてんじゃねえよ」
「まさかまさか……」
その声には、できれば今は近寄りたくないという気持ちがよく出ていた。
一方、サクサは顔を輝かせた。
剣が出てきたと聞くなり、身を乗り出し、
「……!……、……!」
八咫烏を探しながら、
ピョンピョンと跳ねている。
こいつ、俺が何しても嬉しいんじゃないか???
「いいか。これは刀っていうんだ。見えないから分かんないと思うけど、ニアの剣とは形も、使い方も違う」
刃を遠ざけ、少女の指を刀の背へ導く。
サクサは慎重に、その反りを確かめた。
「俺の身体が覚えてるのは、こっちの扱い方だ。直剣の振り方まで、ちゃんと教えられる気はしねえよ」
指が止まる。
「騎士になりたいなら、ここから先はニアに習え。その方がちゃんと強くなれると思うぞ」
サクサはしばらく迷い、紙へ手を伸ばした。
「『ニア様はお忙しいです。今日はお部屋から出てこられません。いつも、お稽古の時間はあまりありません』」
「……ああ、そう」
そういえば、ニアには「サクサを騎士にする」と言ってしまった。
目が見えた。はい、おしまい。では、約束の達成率に少々疑問が残る。
ここで投げ出して、やっぱり研究所へ、となっても困る。
余計なことを言った過去の自分を殴りたかった。
記憶がある方の過去なので、言い逃れもできない。
「分かった。ちょっと話してくる」
童子切安綱を口へ戻して立ち上がる。
セバチャンが、もう一歩下がった。
◆
————エルデット邸の三階。
その一室には、
灰銀色のロングヘアを夕陽に照らした女性が、
寝台に横たわっている。
その隣には、同じ髪色をした女性、ニアが、
小さな木椅子に腰掛け、
「…………姉さん。サクサが、私のこと見えるようになったんですよ」
寝台で眠り続ける姉へ、声をかけていた。
「凄い人が、いるんです。陰陽師という素性も分からない、怪しい男………しかも、モンストロなんですよ」
笑いながらも、声は震えていた。
「私たちがどれだけ手を尽くしても駄目だったのに、あの人は、たった十日で、サクサに新しい目を与えてくれたんです」
ようやく、姉の手を握る。
「まるで英雄ですよね」
握る手に、力は入らなかった。
「…………姉さんも、サクサに見つけて貰えたら、嬉しいでしょ?」
震えている。
その続きの言葉を、
例え独り言でも吐いていいか分からなかった。
それでも胸からせり上がり、喉を通過した。
「だから姉さんも、起きてよ。その人が、何とかしてくれるかもしれないよ」
————その時、扉が数度、軽く叩かれる。
「……どなたですか」
扉の向こう側から、声が聞こえる。
「俺。八咫烏」
不思議と、驚かなかった。
何となく、来る気がしていたから。
ニアは目元を擦って、姉の手を最後に握り直し、
「……姉さん、来たよ。会わせてあげる」
手を、離した。
扉を開き、そこに立っていたのは、
想像通り、呑気な顔で、眉を上げる八咫烏だった。
「よ。邪魔したか」
————ニアの心が、ぐじゅり、と音を立てたような気がした。
その顔を見た途端、何かが込み上げる。
今すぐにでも、服を掴んで、頭を下げたかった。
言葉を必死に隠し、平常を保つように、
「……入ってください」
それでも頭の中は煩かった。
この男の人権ひとつ魔法研究院に差し出せば、
姉が助かるかもしれない。
この男の、人生、ひとつで————
「お、この人が例の?」
「………はい」
姉さんを助けてよ。
姉さんも、助けてよ。
自分の欲深さに嫌気が差す。
「————ロア・エルデット。私の姉です」




