第六話「悲劇のヒロインにはなりたくない」
————私は、目も見えないし、話せない。
転んでも、物を落としても、誰かが助けてくれる。
でも、助けてもらった上に、私が泣いたら、
慰めてもらうために、もっと待たせてしまう。
だから笑う。
ありがとう。大丈夫。
もう、お仕事に戻っていいですよ。
声にできないぶん、顔で伝わるといい。
◆
————昨日叱られたので、今日は木剣を握らずにいた。
持つだけ。
持って、握り方を確かめるだけ。
「振る気満々じゃねえか」
背後から声をかけられた。昨日の人と同じ声だ。
確か、八咫烏さん。
声のする方へ顔を向けて、にこりとする。
「もうちょい右。そっちは植木鉢」
右へ向き直す。
もう一度、にこり。
よし。今度は合っているはず。
「俺がお前を育てることになった」
……私を?もうニア姉さんがいるから、八咫烏さんの家族にはなれないよ。
「養子じゃなくて。俺はお前に『第二の視力』を授けにきた」
……耳を疑った。聴覚だけは自信があるのに。
治るの?どんな魔法でも治らなかったのに。
「目を治すわけじゃねえけど、人や物の場所が分かるようになるかもしれない」
思わず手を伸ばす。
袖に触れて、そのまま掴んでしまった。
いけない。引っ張ったら迷惑だ。
離そうとしたところで、声が降ってきた。
「やってみる?」
やってみる、と言われると、困る。
これまで、ニア姉さんたちは何度も、
私の目と口を治そうとしてくれた。
その度に、沢山苦労をかけてきた。
「……やんねぇの?」
やりたい。やりたい……けど。
それが失敗する度に、皆、悲しそうな声をするんだよ。
私を気遣って、慰めて、謝ってくるんだよ。
騎士にはなりたいし、
目も見えるようになりたいけど、
私が勝手に頑張る以上の迷惑は、かけたくないよ。
「……やってくれねぇと困るんだけど。主に俺が」
……どうして八咫烏さんが困るの?
首を曲げてみる、伝わるだろうか。
「俺、今。モンストロの疑いがかかってんだ。知ってると思うけど」
執事から聞いたよ。
口から剣を出すんでしょ?
モンストロは詳しく知らないけど、
私には、八咫烏さんはただの人間に思えるよ。
「で、まぁ色々あって、お前を騎士にできたら、俺ワンチャン助かるかもしれないんだよ」
……ワンちゃん?犬?
「あー、もしかしたら、助かるかもしれないんだ」
じゃあ、八咫烏さんは、私を助けたくて、
私の面倒を見るって言ってるわけじゃないんだ。
不思議な人、今までそんな人、いなかったよ。
みんな、私が可哀想だから、手を差し伸べてくれたよ。
「だからさ。俺を助けてくれ、サクサ」
……数秒。息をするのを、忘れた。
助けてくれ?私が?誰かを?
……初めて言われた。
そんな事、初めて言われたよ、私。
「な?お前はワンチャン目が見えてラッキー。俺もワンチャン助かってラッキー。ウィンウィンだろ?」
……あれ。泣きそう。
なんで、泣きそうなんだろう。
駄目だよ、駄目。
泣いたら困らせてしまうから。
泣いたら……ダメなのに
「え。なんで泣いてんの…?」
ほら、困らせちゃった。
面倒臭そうな声だった。
……でも、人に頼って貰えるなんて、初めてだから。
嬉しくて、涙が出ちゃうよ。
拭かなきゃ、拭かなきゃ……
「あ〜、やめとくか?それならそれで……」
急いで首を横に振った。
自分でも首がもげそうになるほど必死に振った。
「お。そんじゃあ、やる?」
聞き間違いじゃないように、確かめるように。
何度も頷く。
ちゃんと伝わっているだろうか。
「分かった分かった。首が取れるぞ」
伝わった。
「ただ、俺も教えるの初めてなんだよ。たぶん」
もう一度頷く。
「結構間違えると思う」
それも頷いた。
「信用ありすぎじゃねえ?」
違います。
間違えても、明日また来てくれるなら、私は嬉しいです。
◆
「背筋を伸ばす。肩は下げる。息は普通。敵はいないから」
「八咫烏さん」
「いましたね」
「誰が敵ですか」
ニア様も来てくださった。
今日は心強い。八咫烏さんには、そうでもないらしい。
掌に、葉っぱが触れる。
「風、音、肌に触れたもの。まず知ってる感覚を一個ずつ確かめる。知らないやつが混ざった時、いつもの感覚と間違えないようにな」
「それが、陰陽師の修行ですか」
「見えねえ相手を見つける。最初の一歩で、一番大事なところ」
「誰でも身につくのですか」
「才能は要る。ずっとやっても駄目な奴もいる」
膝の上で、指を握った。
知っている。
前に来てくださった先生たちも、
最後はニア様と小さな声で話していた。
私には、聞こえていた。
「サクサ。続けるぞ」
はい。
顔を上げて笑った。
まだ、続きがある。
◆
二日目は、ニア様のどちらの手に魔力があるかを当てる練習をした。
分からなければ手を上げない。両方にない時もある。
右手を上げた。
「違います」
下ろす。にこり。
次は左。
「それも違います」
頭を下げて、もう一度にこり。
「……お前、待たせんの気にしてる?」
バレてしまった。どうして。
「適当に当てられると、俺が教え上手だと勘違いするだろ。分かんねえ時は、分かんねえでいい」
「重要な訂正ですね」
「黙ってろや」
いいのだろうか。
二人とも、私のために座っていてくださるのに。
「黙って待つの退屈なら、喋ってようぜ。俺は晩飯の話がしたい」
「まだ昼にもなっていません」
「記憶がねえんだよ。昔話ができないぶん、未来の話をしてんの」
晩ご飯くらいの未来なら、私も好きだ。
肩の力が抜けた。
三日目には、八咫烏さんの手も並んだ。
「温かいけど魔力はない。そっちを取り違えてないか、確かめるぞ」
触れれば、ちゃんとここにある。
指を離すと、分からなくなる。
もう一度だけ確かめたくて、袖を引いた。
「はいはい、あと一回な」
指を立てる前に、分かってもらえた。
嬉しい。でも、いつまでも袖を引いてはいけない。
騎士は、誰かを助ける方なのだから。
◆
四日目からは、石や水でも試した。
五日目も、六日目も、何も分からなかった。
敷物は早く揃えられるようになった。
器も、指でなぞって数えれば間違えない。
「お、助かる」
翌日は、もう少し早く来た。
これならできる。これは待たせない。
七日目は、十回とも手を上げなかった。
「今日はここまでだな」
はい。ありがとうございました。
笑って、頭を下げる。
手は、膝から動かせなかった。
八咫烏さんは、やっぱり不思議なな人だ。
私がダメダメでも、声色が変わらない。
同情もしない。慰めもしない。
私ができなかったことを、
天気の話でもするみたいに、
できなかったな、と笑っている。
いいんでしょうか。
私、今とても楽しいです。
また明日も、この人が来てくれるのが、
嬉しくて嬉しくて、しょうがないんです。
お医者さんが来る朝は、辛かったんです。
治らない度に悲しいけど、笑わなくちゃいけないから。
私以上に、お医者さんたちが悲しむから。
私、こんなに朝起きるのが嫌じゃない毎日、初めてなんです。
伝わってますか、八咫烏さん。
出来なくても、ダメダメでも、私いま、楽しいです。
伝わってると、いいな。
◆
夕方、煙草の匂いがする上着を届けに行った。
壁伝いに歩くと、八咫烏さんの声が聞こえた。
壁に当たらないように、壁伝いに駆け寄ると、
ニア姉さんの声も聞こえた。
「————あと三日です。それで成果がなければ、円卓へ報告し、研究院に身柄を引き渡します」
「魔法研究の生贄か」
足が止まった。
「指南役にも何人も頼みました。誰も、あの子の望みを叶えられなかった。今回も……」
「まだ三日あるんだろ」
「私の権限で調査中だからと、貴方の情報を秘匿しておくのも、限度がありますから」
「それがあと三日ってことね」
「……怒らないのですね」
「怒ったら延びる?」
延びない、とニア様が答えた。
「じゃあ、その時間で考える」
上着をぎゅっと抱えた。
あの人が教えてくれることは、ちゃんと覚えている。
分かりやすい。何度でも教えてくれる。
できないのは、私の方なのに。
今出ていったら、きっと二人とも優しい声になる。
私のせいではないと、言わせてしまう。
そっと引き返した。
◆
夜、廊下の足音が遠ざかってから、寝台を抜けた。
教わった通り、言われた通り。
風の音。虫の声。自分の鼓動。
もう一度。今度は、もっとゆっくり確かめる。
眠気で頭が落ちて、慌てて起こした。
疲れたら休むことも、教わった。
だから、背もたれに寄りかかって十まで数えた。
休んだ。
もう一度。
八日目の朝、八咫烏さんに聞かれた。
「ちゃんと寝たか?」
頷いた。
少しは寝た。椅子で、二回くらい。
「今日はもう終わり。顔色悪いぞ」
手首を掴んだ。
「明日も来るって。今日は寝ろ。俺も寝たい」
明日は。
明後日は。
その次は?
困らせたくない。
でも、帰ってほしくない。
「サクサ?」
顔を上げる。笑う。
指を、一本ずつ離した。
部屋で横になり、様子を見に来た人にも笑った。
戸が閉まった。
もう少し待って、起きた。
◆
九日目。中庭で、器を並べた。
ひとつ、ふたつ。数が分からなくなって、最初から数え直す。
大丈夫。全部ある。
あとは私が、できるようになるだけ。
「サクサ。お前、顔色やばいぞ」
来てくれた。
顔を上げたつもりだった。
————のに、身体が傾いて、肩を強く掴まれる。
「おい!」
器が鳴った。
拾わなければ。割れていたら、踏んでしまう。
「ニア! 誰か、医者を呼んでこい!」
足が地面から離れた。
走る音が、いくつも近づく。
また、みんなのお仕事を止めてしまった。
ごめんなさい。
大丈夫です。ちゃんと休みますから。
笑わなくちゃ。
口元に、力が入らない。
何度も名前を呼ばれているのに、声が遠くなる。
どうしよう。
それだけは、ちゃんとできていたのに。
それしか、できなかったのに。




