第五話「盲目少女は剣士になりたい」
————聞き間違いかと思った。
「……モルモットって、比喩だよな?」
「比喩ではありません」
聞き間違いではなかった。
検査室の結晶には、相変わらず零が浮かんでいる。
この数字一つで人生が終わりそうなのだから、
測定器も罪な仕事をする。
「まず、魔法について説明します」
「その前に安心させてほしいんだけど」
「説明を聞けば、貴方の立場が分かります」
「安心できない方の説明か……」
ニアは机の灯りに指を触れた。光が弱まり、もう一度触れると明るさを取り戻す。
「魔力を使い、術式に従って現象を起こす。それが魔法です。戦うためだけのものではありません」
「照明も?」
「医療、農業、建築、交通。昨日の食事にも、多くの魔法技術が関わっています」
「あの肉、魔法で柔らかくしたの?」
「料理人の腕です」
「そこは普通なんだな」
ニアは紙を一枚取り、七つの丸を描いた。
「この大陸には多くの国家が存在します。その中でも、列強として名を馳せる『七大国』と呼ばれる国々があります。ここ、ロンドール王国もそのひとつです。政治の形も、得意とする技術も異なります」
「全部覚えないと駄目?」
「今は、七つあるとだけ」
「優しい」
覚える前から二つほど混ざりそうだった。
自分の名前すら仮なのに、他国の事情まで頭へ入れる余裕はない。まず自国以前に、自分国をどうにかしたい。
「七大国はそれぞれ、軍事、交通、通信、魔導具、医療、結界など、様々な分野の研究を独自に進めています」
「同じ魔法でも、使い道が違うわけか」
「ええ。より少ない魔力で、より正確に、より多くのことを成すために」
ニアの指が、七つの丸の間をなぞった。
「優れた技術は国を豊かにし、兵士や住民の命を守ります。他国が先に得れば、力関係さえ変わる。研究を競う理由は、それだけで十分です」
「そんな研究競争の真っ最中に、俺が来た、と」
「そうです。魔力を使わずに、壁の向こうにいる人間まで感知する。しかも、常時。研究者が知れば、仕組みを解き明かそうとするでしょう」
八咫烏は腕に繋がった管を見た。
「俺が、ちょっと嫌ですって言ったら?」
「……貴方の安全と、王国の利益が、常に一致するとは限りません」
丁寧だった。
丁寧なだけで、何一つ救いがなかった。
敬語というものは、時として刃物より冷たい。
「帰っていい?」
「どちらへ」
「それは聞くなよ」
ニアは管を外し、検査結果を紙へ書き留めた。
「今日は、ここまでにしましょう。少し、私にも考える時間をください」
「庭くらいなら出ていいか」
「中庭までなら。警備の者には伝えます。門へは近づかないでください」
「逃げないって。逃げた先でまた警報鳴らすの、嫌だし」
軽く言ったつもりだった。
椅子から立ち上がった時、膝がわずかに震えていることに気づいた。
◆
扉が閉まっても、ニアは席を立たなかった。
机には、円卓へ提出する報告書がある。
市街地で遭遇した変性者について、第一報はすでに出していた。今書くべきなのは、その続きを何一つ漏らさず記すことだ。
魔力を必要としない索敵。
その方法を兵士へ教えられるなら、どれほどの国益となるだろう。魔力の消耗を抑えられるだけでも、救える命がある。
報告すべきだ。
判断を委ねるべきだ。
たとえ研究の過程で、本人の望まない処置が行われるとしても。
◆
逃げれば指名手配。
残れば実験材料。
「二択の質が悪すぎるだろ……」
八咫烏は中庭へ出た。
回廊の柱のそばに衛兵が一人。剣は抜いていないが、視線は外してくれない。自由時間とは名ばかりである。
昨日までは、飯と寝床があるだけで上出来だった。
今日はそこに、解剖台が追加されるかもしれない。
欲張った覚えはないのだが、人生の方から勝手に豪華特典をつけてくる。
ポケットを探る。
指が煙草の箱に触れた。
吸いたい、と思った。
吸った記憶はない。それなのに一本抜いて唇へ挟む動作は、妙に馴染んでいた。
「記憶より先に悪癖が帰ってきたな」
火をつけ、煙を吐く。
喉が少し痛んだが、咳は出なかった。肺まで手慣れている。
昔の自分とは、そのうち一度、きちんと話し合う必要がありそうだ。
議題は主に生活習慣である。
その時、庭の奥で魔力が動いた。
生垣の切れ目を抜けると、小さな鍛錬場があった。
木剣を振っている少女がいる。年は十三ほど。
腰まで伸びた栗色の髪が、踏み込むたびに跳ねた。
「……こんなとこにも勤勉な人が」
昼まで寝ていた身には、まぶしい光景だった。
できれば直視したくない種類のまぶしさである。
八咫烏の独り言を耳にした少女が、ぴたりと止まった。
「あー、悪い。休憩場所探してただけなんだけど。邪魔したか」
少女の眉が寄った。
顔を上げる。しかし、八咫烏ではなく、その少し右へ向いた。
「……? 俺、ここ。もうちょい左」
今度は正確に顔が向いた。
瞳は開いているのに、視線が合わない。
「あーー……もしかして、目、見えない?」
少女は一度頷いた。
「そっか。じゃ、先に言っとくよ。俺は八咫烏。昨日から世話になってる居候」
なんとも情けない自己紹介である。
職業なし、住所なし、本名かどうかも不明。居候だけが確定情報だった。
少女はその自己紹介に答えることなく、ただニコニコとこちらへ顔を向けている。
笑ってはいるが、身体はどこか落ち着かなげに動いていた。
「…………?」
八咫烏の眉が寄る。
この世界は、自己紹介をすれば自己紹介が返ってくるという常識すら通用しないのか。
少女はしゃがみ込み、指で砂の上に文字らしきものを書いた。
「……ごめん。文字、分かんねえや」
言葉は通じるのに、文字まで面倒は見てくれないらしい。
異世界転移にも、どうやらサービス範囲というものがある。
声はない。
それでも、伝わることはあるらしかった。
「喋れねえのか。見えないし、喋れない、と」
少女はまた頷く。
「はは、不便だな」
少女は少し考え、ゆっくり頷いたあと、ぺこりとお辞儀をして木剣を持ち直した。
すでに八咫烏への興味は失われたのか、再び木剣を振り始める。
「剣の練習してんのか」
少女は木剣を振りながら、大きく頷く。
「いいじゃん」
少女の動きが止まった。
「……何?」
少女はしばらく黙って——元から黙ってはいたが————やがて足元の台を探り、予備の木剣を彼へ差し出した。
「なにこれ。いらねえんだけど」
少女は首を横に振り、自分と八咫烏を交互に指す。
それから、もう片方の手に持った剣を構えた。
「あーー、俺を相手に練習したいってこと?」
勢いよく頷いた。
「……いい性格してんな」
八咫烏は笑って、差し出された予備の木剣を受け取った。
足を一歩ずらす。
少女の顔はついてこない。だが、その耳は小さな足音を正確に追っていた。
少女の瞳は白く濁り、八咫烏の姿を映してはいない。
それでも、その目に宿るものまで失われているようには見えなかった。
「八咫烏さん」
鍛錬場の入口に、ニアが立っていた。
「何をしているのですか」
「練習相手に誘われた」
「貴方は検査を終えたばかりです」
ニアが眉を寄せた。
次いで盲目の少女へ視線を向ける。その目は、八咫烏に向けるものとは別の意味で険しかった。
「……サクサ、また隠れて剣の稽古をしているのですか」
「お。やっと名前分かった」
サクサと呼ばれた少女は、静かに頷いた。
その頷きは、悪戯がばれた子供のように弱々しい。どうやら完全に前科持ちだった。
「あれほど駄目だと言っているのに、なぜ諦めてくれないのですか」
ニアは膝をつき、サクサの手を握る。
ただ怒っているだけではないことは、その声色からも十分に伝わった。
「そんな怒ってやるなよ。木剣振ってただけだろ」
「サクサは盲目で、言葉も話せないんです。剣士など務まりません」
「厳しいねえ。でもお前の家にいるってことは、こいつ……サクサも騎士になるためにここにいるんじゃないの? それとも使用人?」
「サクサは私の妹です」
八咫烏は咄嗟に、ニアとサクサの顔を見比べた。
美人と美少女という大枠だけは一致しているものの、髪の色も顔立ちも違う。
「似てねえな」
「血は繋がっていませんが、家族なんです」
義理の、ということなのだろう。
剣士である彼女だからこそ、サクサが剣士を志すことに反対しているのかもしれない。
そう八咫烏が理解したところで、矛先がこちらへ飛んできた。
「八咫烏さんも、稽古相手だなんてやめてください。無闇にこの子を甘やかさないでください」
「俺が怒られんのかよ」
「貴方の実年齢は知りませんが、見たところサクサより年上でしょう。お願いですから、叶わない夢を見させないでください」
「俺まだ何もしてないのに。……サクサだっけ? お前、騎士になりたいの?」
サクサは両腕で木剣を抱え、俯いた。
薄い笑みは崩さないまま、それでも額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいる。
やがてサクサは、震えながらもゆっくりと頷いた。
「ほら。俺関係なく、こいつもう夢見てるって」
「屁理屈です。私たち大人がしっかりしないと」
「過保護の間違いだろ」
八咫烏はへらへらと笑っている。
先ほどまで、モルモットか指名手配犯かというろくでもない二択を迫られていた気配は、跡形もなかった。
切り替えが早い。
長所なのか、危機感がないだけなのかは、まだ誰にも分からない。
ニアは八咫烏との対話を諦め、サクサの肩に手を置いた。
「サクサ。いい子だから、もう無茶はしないでください。お願いします」
「怪我してるわけでもねえのに」
「――八咫烏さんは黙っていてください!」
八咫烏は眉を上げた。
まだ知り合って二日目だが、ニアが声を荒らげるのは初めて聞いた。
新発見ではあるが、できれば別の方法で知りたかった。
「勘違いなさらないでくださいね。貴方は魔力がないだけで、書面上は当家で拘束している『モンストロ』です。客人でもなければ、保護者でもないのですから、私たちの事情に首を突っ込まないでください」
八咫烏はそれを聞いて、黙った。
凹んだからではない。
彼女の理屈が正しいと思ったうえ、これ以上横槍を入れたらもっと怒られそうだったからだ。
退くべき時を知るのも、生存能力の一つである。
「……八咫烏さん。こちらへ来てください」
サクサから自分を隔離するつもりなのだろう。
八咫烏は小さくため息をつき、サクサへ小声で囁いた。
「お前の姉ちゃん、怖いな」
サクサは困ったように汗をかきながらも、首を横に振った。
「八咫烏さん、早く来てください」
「はいはい。そんじゃあな、サクサ」
サクサは両腕に木剣を抱いたまま、二人を見送った。
◆
中庭から館内へ戻る道中、ニアは黙って八咫烏の先を歩いていた。
その後ろ姿は静かだった。
それが怒りなのか、それとも別の何かなのか、今の彼には判断できない。
「怒ってる?」
「怒っています」
「晩飯は減らさないで」
「……貴方は本当に、ご飯のことばかりですね」
ようやく呆れたように振り返り、ニアは窓から中庭を見つめた。
八咫烏もつられて視線を向ける。
そこには、抱えた木剣を一人で見つめるサクサがいた。
「……木剣、回収しねえの?」
「…………」
「そこまで反対するなら、没収しちまえばいいだろうに」
ニアは窓に指を当て、ひとつため息をついた。
「中途半端なんです、私」
(そうだろうね)
声には出さなかった。
学習はしている。ほんの少しだけ。
「無謀で、危険な夢など持ってほしくない。サクサが傷つくだけですから。……それでも、夢くらい見させてやりたいと思うのです」
「…………」
「残酷になりきれないなら、背中を押してやればいいものの、その勇気もない。だから私は、中途半端で、駄目な姉なんです」
憂うように中庭のサクサを見つめる彼女の横顔は、やはり綺麗だった。
「……お前が中途半端で駄目で雑魚で短気な姉かは知らんが……」
「誰もそこまで言っていません。刺しますよ」
「いきなり怖ぇな。冗談は置いといて、お前は、叶うならサクサを騎士にしてやりたいのか?」
「…………」
すぐには答えなかった。
しかし八咫烏にとっては、その沈黙こそが肯定だった。
「……あ」
八咫烏は何かを思いついたように手を叩いた。
ニアが視線を向ける。
彼は、悪戯を思いついた悪童そのものの顔をしていた。
「なあ、ニア」
「なんですか」
「あいつが騎士になれたら、俺のモルモット計画、破談してくれないか」
「……どういう……」
そこまで言って、ニアは気づいた。
この男の持つ、特異な『眼』について。
人間にも、動物にも、自然物にも。
この世界では、あらゆるものに魔力が流れている。
そしてこの男には、それが常に見えている。
もし、それが生まれ持った才能ではなく、訓練によって身につけられる技術なのだとしたら。
もし、目が見えない少女にも扱えるものなのだとしたら————。
「————俺がサクサを騎士にする」
不遜で、不敵。
無遠慮で、無配慮。
そんなものを全部まとめて、自信だけを倍にしたような顔だった。
「だからお前は、俺を助けてくれ」
現代の陰陽師が、西洋の騎士を育てる。
文字にしてみれば、なんとも奇妙な話である。
本人たちが真面目な顔をしているせいで、余計に奇妙だった。
しかしこの男は、本気だった。
本気で、盲目の少女を騎士にするつもりだった。




