第四話「拝啓牛乳へ〜モルモットか指名手配犯、貴方はどっちを選びますか〜」
————大きい家だなぁ、と思った。
俺が一時、拘束されるというエルデット邸は、
門から玄関までがやけに遠かった。
「家に着いたって言わなかった?」
「着いています」
「まだ外だけど」
「敷地内です」
なるほど。金持ちとは、帰宅してからも歩く人種らしい。
通された別棟の食堂には、白いクロスと銀の食器、それから待望の肉料理が並んでいた。煮込まれた肉は、匙でも切れそうなほど柔らかい。八咫烏は向かいのニアを見た。
「要望、通してくれた?」
「喉を傷めているようでしたので」
「いい人だな」
「食事中に刀を出されても困ります」
「評価を急いだ」
ともあれ、うまかった。肉も、パンも、スープも。異世界の第一印象が、かなり持ち直した。
「……不安ではないのですか」
三つ目のパンに手を伸ばしたところで、ニアが尋ねた。
「足りなくなる?」
「貴方の記憶についてです」
「ああ、そっち」
八咫烏はパンを半分に割った。ニアはまだ、自分の皿にほとんど手をつけていない。
「家族も、ご自身の名前さえも曖昧なのでしょう」
「そうだな」
「帰る場所も分からない。なのに、よく食事が喉を通りますね」
「刀よりは通るよ」
「比較するものを間違えています」
パンをスープに浸して口へ運ぶ。少し甘い。次はそのまま食べよう。
「不安がないわけじゃない。ただ、思い出せないもんを、ずっと探しててもな」
「気になりませんか」
「なるよ。でも、腹減らして考えたら思い出せるってわけでもないだろ」
ニアの視線が、空になりかけた籠へ落ちた。
「今分かってることから何とかするしかない。寝る場所と飯はできた。明日は身体を調べてもらえる。昨日の俺は知らないけど、今日の俺としては上出来だよ」
「……割り切れるものなのですね」
「腹括らないと、腹減るばっかだからな」
「結局、お腹の話ですか」
「大事だぞ。ニアも食わないと冷める。食わないならくれ」
言われて、ニアはようやく匙を取った。その手が止まる。
「毒の心配などは?」
「入ってるの?」
「入っていません」
「じゃあいいや」
「……もう少し警戒してください」
監視する側から警戒を勧められた。
八咫烏は最後のパンを取り、半分をニアの皿へ置く。怪訝な顔をされたが、食べるなとは言われなかった。
◆
「おはよう」
「こんにちは」
翌日。起き抜けの挨拶は、訂正から始まった。
窓の外がやたら明るい。八咫烏が食堂へ顔を出すと、ニアは机に積んだ書類から目を上げた。昨日の鎧は着ていないが、腰の剣は健在だった。
「今、何時?」
「正午を回りました」
「よく寝たな」
「ええ。本当に」
なぜか、褒めてはいないようだった。
「何してたの?」
「朝の稽古と、報告書の作成と、警備の引き継ぎを」
「俺が寝てる間に?」
「貴方が寝ている間に」
同じ言葉なのに、後者には少し棘がある。
「起こしてくれてよかったのに」
「二度、扉を叩きました」
「すまん」
「三度目は、呼吸を確認しました」
「そこまで?」
記憶はなくても寝つきはいいらしい。今のところ、かなり役に立っている特技だった。
「食事を済ませたら、検査です」
「朝飯?」
「昼食です」
今日は訂正が多い。
◆
検査室で椅子に座ると、両腕に金具を巻かれた。そこから伸びる透明な管が、机の上の結晶へ繋がっている。抜き差しできる人間になった気分だった。
「なにこれ」
「魔力測定器です」
「痛くない?」
「痛みはありません」
「壊れたら弁償?」
「壊さないでください。ですが、たとえ壊れた場合でも、こちらからは請求しません」
「よし、やろう」
ニアが結晶へ手を置く。淡い光が管を走り、八咫烏の腕へ届いた。
「解析魔法を使います。力を抜いてください」
昨日は目に魔法をかけて調べてもいたが、今日はずいぶん大がかりだ。こちらの方が細かく分かるのだろう。
結晶の上に文字が浮かぶ。ニアが指で触れると、文字の並びが変わった。もう一度。さらに、もう一度。
「……魔力量、零」
「昨日も聞いたな」
「微量な反応まで拾えるようにしています。もう少し続けます」
管の光が強くなった。腕、肩、胸へと、ぬるいものが触れていく。
結果は変わらなかった。
ニアは自分の手首へ金具を移した。途端、結晶にいくつもの数字が現れる。八咫烏へ戻すと、綺麗に零になった。
「測定器は正常なのですが……」
「じゃあ俺が異常ってこと?」
「……少なくとも、魔力はありません」
「そこは気を遣うんだな」
少しだけ会話が上達していた。喜ばしいことだ。
ニアが別の管を取り出す。八咫烏は自分の腕を見た。そろそろ自由な場所がなくなりそうだった。
「魔力を調べるだけで、毎回こんなことすんの?」
「正確な量や性質を調べるなら、必要です」
「不便だな。あるかないかくらい、見れば分かるのに」
金具を留める手が止まった。
「……見れば?」
「ほら、ニアの身体にあるやつ。青っぽいの。それが魔力だろ」
八咫烏がニアの身体の節々を指さす。
ニアの目が、ゆっくりと上がる。
「今、私に魔力が見えているのですか」
「うん」
「解析魔法を使っていない状態で?」
「使ってんの? 俺」
「こちらが聞いています」
困った。検査される側なのに、正解を求められている。
ニアは管を置き、右手を握った。
「今は?」
「右手が真っ青」
「……では」
「左。あ、ちょっと右に残したな」
ニアの口が閉じた。
「当たり?」
「……もう一度」
机の下で手が動く。八咫烏も釣られて覗こうとしたが、制された。
「そのままで」
「左足」
「まだ何も聞いていません」
「移したから」
ニアは椅子を引き、机を挟んで座った。
「通常、体内に滞留している魔力は目には見えません」
「でも昨日、ニアも目で見てたろ」
「魔法で魔力を感知する解析術です。視力そのものではありません」
「俺のも、たぶん似たようなもんだよ」
「貴方に魔力はありません」
ああ、そこで引っかかるのか。
八咫烏は目を閉じた。それでも、向かいにある力の流れは分かった。体温を感じるように、声の方向を知るように。瞼で塞いでも、消えはしない。
「……今、目にも集めたな」
椅子が小さく鳴った。
「どうやって?」
「そういう訓練があるんだよ。目で見えないものを、見えるようにする。目玉にばっかり頼るな、って」
「誰から教わったのですか」
「それが分かれば苦労しないんだけど」
目を開けると、ニアが真剣な顔をしていた。八咫烏は少し考え、言った。
「俺の家、陰陽師なんだ」
「……オンミョウジ?」
「霊とか、妖とか。普通には見えないもんを相手にする家業。千年以上続いてるらしい。その末裔が俺」
どの顔がそうだと言いたげな目をされた。
分かる。寝坊して昼飯をおかわりした男から、千年の重みは感じにくい。
「その方たちは、皆、貴方のようなことが?」
「見えるようにする訓練は受ける。見えない相手と戦うんだから、まず居場所が分かんないと」
「刀を飲むことも?」
「それが一般教養かどうかは是非、俺も知りたい」
ニアはすぐには笑わなかった。机の結晶と、八咫烏の顔を交互に見ている。
「魔力を使わずに、魔力を感知している……」
「魔力って名前は昨日知ったよ。でも、ニアの中に何かあるのは、最初から分かってた」
「貴方の視界が気になるところですね。解析魔法は、視神経に魔力を通し、魔力の脈動を検知します。人間や動物はもちろん、自然にも微細な魔力があります。八咫烏さんが何もせずとも魔力を視えるならば、今この場は————」
「ああ、真っ青、真っ赤、真緑、色んな霊気とも妖気とも言えない力が流れてるな。空気に至るまで」
「………」
ニアは信じられないものを見るような目で八咫烏を見た。
「そんな顔されても、俺も驚いてるよ。陰陽師の常識で考えれば、お前らだって充分異常だ」
「……解析魔法の利点は、索敵にも応用できることです。多くの場合、人間は自然物より強い魔力が流れていますから、遮蔽物を貫通して魔力を検知できます」
「うん」
「八咫烏さんには、この屋敷に居る人間の数が、分かると?」
「九人ってところじゃねえかな」
八咫烏は少し考える。自分でもどこか分からない場所に力を込める。
「いや、十人か。動いてねえが、一人寝てるやつがいるな」
ニアは目を見開いた。
「ていうかこいつ————すげぇ量だな、魔力ってやつ。めちゃくちゃ色濃い」
ニアは何も喋らなかった。
どうやらその表情から察するに、正解だったのだろう。
「どう? このまま拘束しておくなんて勿体なく思えてきた?」
「そんな簡単な話ではありません」
ニアの目は、至極真剣であった。
八咫烏を見る彼女の目は、警戒と畏怖、そして、僅かばかりの嫉妬が浮き出ていた。
「これを円卓が知れば、八咫烏さんは、明日にでも魔法研究のモルモットになっているでしょうね」
八咫烏はそこで初めて固まった。
自分が出来ることの異質さをようやく自覚できた。
国が一人の人間を飼い殺しにしてまで、調べたがるほどの何かを、自分が持ってしまっているのだと。




