第三話「円卓の騎士って女ワンパンしたけどこれ死罪?」
————童子切安綱。
口から飛び出た禍々しく光る刀を手に、
八咫烏は立っていた。
つい数分前まで、この男には名前すらなかった。
今も本当に八咫烏という名前なのか怪しい。
分かったことといえば、
口から刀が出るという、できれば一生知らずにいたかった身体の秘密くらいである。
「……武器を手にしましたね」
ニア・エルデットが剣を構え直した。
八咫烏は袖で口元を拭う。
口内にはまだ少し血の味が残っている。
「勝手に出てきたんだよ」
「結果として、武器を手にしています」
「まあ、持ってはいるけどさ」
両側の店は、すっかり戸を閉ざしていた。
露店の果物だけが置き去りで、
遠くから衛兵の避難を促す声が聞こえる。
観光どころではない。
そもそも観光で来たわけでもないのだが。
「その武器を手放す意思はありますか」
「ある。めちゃくちゃある」
「では、足元へ」
「わかっ……あ。しまい方、分かるかも」
柄を握った途端、
使い方が分かった。
握り方も、構え方も。
そして、元に戻す方法も。
八咫烏は思わず喉に手をやった。
「……これ、飲むの?」
抜く時でさえ大騒ぎだったのに、
帰りも同じ道らしい。
もう少し身体に優しい出入口はないのか。
刀を持ち上げた、その時だった。
「————風水律・展開」
ニアの足元で、風が爆ぜた。
「いや、構えたんじゃなくて!」
剣を覆う水が渦を巻く。
ニアが腰を落とす。八咫烏の首筋が、ぞっと冷えた。
さっきまでの彼女とは、明らかに違う。
「……もしかして、まだ本気じゃなかった?」
「周囲への被害を抑えていました」
「俺への被害も抑えてくれると助かったんだが――」
姿が消えた。
右から刃。
避けようとした先へ、もう次が居る。
次は、下から。続いて上、右、左。
幾重にも残像が見えるほどの斬撃。
分かった時には、
もう八咫烏の喉元へ届いていた。
分かった時には、
もう八咫烏は刀を構えていた。
「————写鏡」
考えるより先に、手が動いたのだ。
童子切が銀の刃に触れる。
ほんのわずか、手首を返す。
踏み込んだ勢いも、水も、風も。
刃へ集めた力の全てが、逆向きに彼女を襲う。
甲高い音が響いた。
「っ!?」
ニアの剣が跳ね上がった。
剣が手元から離れたが、
それでも止まりきれず、
数歩分を滑って尻餅をついた。
白銀の剣が、背後の壁へ突き刺さる。
石の欠片が落ちた。
誰も、動かなかった。
八咫烏は刀を見る。
次に尻餅をついたニアを見る。
もう一度、刀を見る。
「……今の、俺?」
刀に口はない。
当然返事はない。
出てくる時は名乗ったくせに、
肝心なところで無口だった。
ならば、口のある人に話しかけるのみである。
「怪我ない? これ、死罪?? 俺、終わった??」
一歩近づきかけて、止まる。
刀を持ったままだった。危ない危ない。
これでは心配ではなく追撃だ。
「ニア様!」
衛兵たちが駆け戻ってきた。
正面から三人、横道からさらに数人。
あっという間に剣と槍で囲まれる。
「待て待て待て。いや、防いだだけだって! 正当防衛だって!」
「動くな!」
「動いてないって!」
槍を握る衛兵達の手が震えていた。
それなのに前へ出てくる。
尻餅をついたニアを、庇うように。
衛兵たちの顔には、
先ほどとは違うものが浮かんでいた。
恐怖だった。
誰もが死を覚悟していた。
それでも、一人として逃げない。
「…………」
八咫烏が眉を寄せる。
勝てない。
衛兵たち自身、
それを分かっているように見えた。
それでも彼らは、
自分たちの命とニアの命を、
天秤にかけることすらしなかった。
最初から、自分たちが壁になるつもりなのだ。
「ニア様をお連れしろ!」
「しかし————」
「早くしろ!」
年嵩の衛兵が叫ぶ。その声は震えていた。
「円卓をここで失うわけにはいかん!」
「…………円卓?」
八咫烏が首を傾げた。
衛兵の一人が、
信じられない馬鹿を見る顔で振り返る。
「知らないのか……?」
「今日来たんだって」
「円卓の騎士だぞ!」
「だから何?」
「ロンドール最高戦力だ!」
「…………」
八咫烏の顔から血の気が引き、
たちまち青ざめていく。
「最高戦力?」
「十二名しか存在しない、王国直属の騎士だ!」
「十二人……だけ?」
八咫烏はゆっくりニアを見る。
十八歳ほどに見える女。
細身。灰銀の髪。敬語。
さっきまで自分の首を狙っていた女。
「えらい人じゃん」
「当たり前だ!」
「先に言えよ!」
「言う暇があるか!」
「俺、王国来て三十分も経ってねえんだぞ!」
八咫烏は頭を抱えたくなった。
片手が塞がっているので出来ない。
次に、壁に刺さったニアの剣を見た。
「ちなみに」
嫌な予感しかないが、一応聞く。
「円卓の騎士をぶっ飛ばしたら、どうなっちゃう?」
「貴様……!」
「聞いただけ! 聞いただけだから剣向けんな!」
答えは要らないことがよく分かった。
衛兵たちの槍先が、じりじりと近づく。
どうも説明してくれる気はなさそうだ。
よし、先にこちらから誠意を見せよう。
「刀しまうぞ。ちょっと変だけど、攻撃じゃないからな」
「何をするつもりだ」
「しまうんだって。俺もほかの方法があるなら、そっちにしたいんだけど」
八咫烏は口を開き、自分へ切っ先を向けた。
衛兵たちが怪訝な顔をする。
その目の前で、刀身を口へ差し込んだ。
衛兵たちは、信じられないものを見た。
「…………は?」
冷たい刃が舌を越え、
喉の奥へ滑っていく。
理屈は分からないが、
戻し方は分かる。
こうして、少し顎を上げて――。
「…ぉえ…ッ……!」
気持ち悪くならない方法までは、
思い出せなかった。
最後に柄まで押し込み、
涙目で両手を広げる。
衛兵たちが一歩退いた。
「はい。丸腰」
「……剣を、飲んだ……」
「俺も見てる側がよかったよ」
武器をしまったのに、
さっきより怖がられている。
まあ、無理もない。
自分だってこんな奴に会ったら、ひとまず距離を取る。
「武器を下げてください」
衛兵たちの背後から、ニアが歩いてきた。
左手を握ったり開いたりしているが、
足取りはしっかりしていた。
「ニア様、しかし、まだ体内に剣が」
「見ていました」
「ですが――」
「……見ていましたので」
少しだけ、強い口調だった。
あまり何度も思い出させないでほしいのかもしれない。
「彼は要求に応じました。避難と封鎖を続けてください。攻撃は、私の指示があるまで禁じます」
衛兵たちは渋々ながら槍を下げた。
ニアが前へ出てくる。
八咫烏は、彼女の左腕へ目を向けた。
「大丈夫か?」
「少し痺れています」
「ごめん」
「骨に異常はありません」
「よかった、本当に狙ってやったわけじゃないんだよ」
「狙わずに?」
しまった。
安心させたかったのに、余計に警戒された。
「言い直していい?」
「そのまま伺います」
駄目らしい。
「身体が勝手に動いたんだよ。写鏡って名前も、勝手に口から出た」
「技を使った記憶は?」
「ない。刀も、握ったら名前が分かった。使い方もしまい方も知ってる。でも、誰に教わったのかは思い出せない」
八咫烏は右手を開いた。
剣が喉へ迫って、死ぬと思った。
それなのに、この手だけは少しも迷わなかった。
まるで、何度もやったことがあるように。
「……気味悪いよな」
「ええ」
「そこはちょっと気を遣えよ」
「ご自身のことでしたか」
お互い、理解が追いついていないらしい。
八咫烏は息を吐いた。
「さっきの話に戻らないか。記憶が戻れば何か分かるかもって話。俺はそっちを進めたい」
「戦闘を続ける意思はない、と」
「最初からない。そもそも、あんたを殺す用事がない」
ニアが黙った。
八咫烏の顔を見て、
それから刀の消えた口元を見る。
「……わかりました。討伐は中断します」
衛兵の一人が顔を上げた。
「ニア様!」
「安全と判断したわけではありません。ただ、私が剣を失った後も、彼は攻撃しませんでした。武器をしまう要求にも応じています」
ニアは壁の剣へ目をやった。
「今の一撃をもう一度返されれば、次は周囲を巻き込むかもしれません。こちらから戦闘を続けるべきではないでしょう」
自分が負けたことを、
あっさり認めた。
そのうえ、次に何をすべきか考えている。
どうやら、剣が強いというだけで、
円卓の騎士とやらに選ばれたわけではないらしい。
八咫烏はようやく、
刀を持っていない方のニアを見た気がした。
「八咫烏さん。拘束に応じていただけますか。任意の連行であれば、上申の際も、心象が良くなるのですが」
「手錠でも何でもしてくれ」
「相変わらず理解が早くて助かります。身柄は、エルデット家で預かります」
「誰の家?」
「私の家です」
他人に理解が早い、と言うだけある。
ニアの話はより早く、淡々と進む。
少なくとも、
それをこの場で決定する程度の権力が、
この少女にあることはよく分かった。
「当家なら隔離できる場所も、警備の人員もあります。私も近くにいられます」
「監視役が、今さっき吹っ飛ばされた人でいいの?」
「ですから、次は話を聞こうと思っています」
真顔だった。
反省なのか冗談なのか、判断に困る。
どちらにしても、剣で聞かれるよりはずっといい。
「円卓への報告と、調査の手配は私がします。勝手に出歩かないこと。身体に異変があれば、すぐ知らせること。守れますか」
「異変しかなさそう、この身体」
「新しい異変が出たらその度に報告してください」
八咫烏は考えた。
金なし、家なし、記憶なし。
街を歩けば警報が鳴り、
刀をしまえば悲鳴が上がる。
このまま宿を探しても、泊めてもらえる気がしない。
監視付きとはいえ、寝床ができるのはありがたかった。
「飯は出る?」
「出ます」
「風呂は?」
「あります」
「じゃあ行く」
ニアが瞬きをした。
「……もう少し、慎重に決めていただいても」
「そっちが来いって言ったんだろ」
「そうですが」
「俺は飯食って寝たい。そっちは俺を調べたい。ちょうどいいじゃん」
ニアは少し考え、頷いた。
衛兵たちが、ようやく槍を引いた。
「それでは、改めて」
ニアは頭を下げ、いかにも良い家で育ったのだと分かるほど可憐で美しい所作をもってして、一礼した。
「円卓の騎士が第十一席。ニア・エルデットです」
ようやく、まともな挨拶ができた。
今後はできれば、
この順番から始めてほしい。
「暫定、八咫烏です。よろしく」
これにて、暫定の仮名が八咫烏となった。
ニアは最後まで笑みを見せないまま、
それでも丁寧に八咫烏へ挨拶をした。
その次にはガチャり、と手錠がかけられる。
残酷である。
ニアが歩き出しかけて、振り返る。
「それから。屋敷の者には私から説明しますので、それまでは刀を出さないでください」
「出さねえって」
「特に、食事中は」
「俺を何だと思ってんだ」
彼女は少し考えた。
「それを、これから調べます」
まったくその通りだった。
異世界初日。
名前らしきものと、寝床を確保。
ついでに監視役もついた。
剣さえ抜かなければ、
案外、話の通じる女である。
「ちなみに、今日の飯って何?」
「帰れば分かります」
「肉がいいな。できれば柔らかいやつ」
「……八咫烏さん」
「ん?」
「連行中です」
注文までは、受け付けていないらしかった。




