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第十二話「英雄」

 ————右手を握る。開く。

 指は五本。どれも、ちゃんと俺についている。


「……よし」


 砂漠化結界は、

 とうに完成していた。

 

 だが、俺は砂になっていない。


 袖に積もった砂を払う。

 服まで一緒に崩れたりはしなかった。

 靴も無事。

 

 全裸で生還、という微妙に喜びづらい結末も避けられそうだ。


 賭けは、俺の勝ちだった。


「この世の『全て』のものに魔力は流れてるんだもんなぁ」


 サクサは魔力が見えるようになっても、

 俺を捉えることはできなかった。


 この、俺が着た覚えのないスーツも。

 特別な何かで作られている。


「はは、二つ目の賭けも、俺の勝ち」

 

 ————塔の方から、腹に響く唸り声がした。


「そうだった。まだお前がいたな」


 童子切を握り直し、走り出す。

 外へ、ではない。

 さっき逃げてきた方へ。


 デザームの、斬り落とされた尾が見えた。

 

 切断面には相変わらず力が集まっている。

 肉を繋ごうとして、繋げられず、

 紫色の流れが渦を巻いていた。


 ゴルネフの斧槍で裂かれた傷は、

 たちまち塞がった。

 

 俺が童子切で斬った場所は、戻らない。


 その違いを、今なら説明できる。


 モンストロは、魔力の質が変性したものらしい。

 俺からも、同じ反応が出ているらしい。

 

 ————そして、この怪物の身体を巡る『紫色』の力。


 霊力。呪力。法力。道力。

 似たような名前の力なら、

 俺の知識にもいくつもある。

 

 ただし、今この手にある妖刀・童子切安綱(どうじぎりやすつな)と、

 こいつの治らない傷を結びつけるなら。


「————妖力だ」



 大昔、酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼を

 斬ったことからついた名が童子切(どうじぎり)。


 それがコイツ(童子切安綱)だ。


 俺の中を流れているものも、

 こいつの中を流れているものも。


 童子切安綱は『妖刀』だ。

 

 人間を斬るにも十分すぎる刀だが、

 本領は妖(あやかし)を断つことにある。


 肉だけ斬って、すぐ治りました、

 などという図々しい相手を殺すための刀だ。


 デザームの再生が止まったのも、それなら筋が通る。


 頭上が暗くなった。

 巨大な脚が持ち上がっている。


「ウスノロ……!」


 踏み潰される直前、横へ滑り込む。

 関節の内側へ刃を通した。


「————写鏡」

 

 脚が折れ、石畳を砕く。

 俺は倒れてきたそれへ飛び乗った。


 この結界は、魔力を吸う。

 けれど、張った本人は砂にならない。

 

 なら、同じ種類の力を持つ俺も、

 吸われないんじゃないか。


 賭けたのは、それだ。


 もちろん、穴はある。

 色が似ているだけかもしれないし、

 妖力以外の何かかもしれない。


 そもそも俺は、自分の名前さえ怪しい。

 そんな奴の説に、自分の命まで乗せたわけだ。


 他人には勧めない。たぶん止める。


 だが、俺の身体は今も崩れず、

 刀は怪物の再生を断っている。

 

「今はそれで充分だ……!」

 

 斬った脚の付け根から、

 小型のサソリが溢れ出した。

 

 一匹を斬る。

 その向こうのハサミごと、二匹目を斬る。

 足元へ噛みついてきた三匹目は、

 踏み抜いてから首を落とした。


「お前、何匹入ってんだよ……!」


 口から刀が出る程度で、

 あんなに引かれる世界なのに。

 

 こっちは全身からサソリだぞ。

 俺の方が、ずいぶん慎ましいではないか。


 背中を駆け上がる。

 先の欠けた尾が追ってきた。


 骨の突起を蹴って飛ぶと、

 着地と同時に突き出されたハサミをかわす。

 

 ようやく、首元だ。


「よお、さっきぶり。首寄越せや、クソ虫」


 さっきは、ここで結界を張られた。

 今度はもう張っている。

 次の言い訳を考える暇はやらない。


「やっぱり妖怪退治で正解だったな」


 刀を引く。

 首の付け根を走る紫の流れが、はっきり見えた。


 どう斬るかを、俺の身体は知っている。

 

 思い出せない誰かに、

 何度も叩き込まれたのだろう。


 ずいぶん物騒な教育を受けたものだが、

 今は感謝しておく。


 この調子で行けば、

 いずれ鬼のモンストロが出てきても

 何も不思議では無い。


「よかったなぁ……まだ鬼を狩れるぞ、安綱(やすつな)ァ!」


 手首を返した。


 刃が骨に触れる。

 身体の奥から腕へ、刀へ、力が通った。


 ————断てる。


 そう分かった時には、もう振り抜いていた。


 俺が地面へ降りた、すぐ後ろ。

 巨大な首が落ちた。


     ◆

 

 ぱきん。


 やけに軽い音がした。

 見上げると、空に亀裂が走っている。


 一筋が十へ、百へ。

 街を覆っていた結界が砕け、

 薄い光になって散っていく。


 同時に、足元の砂が浮いた。


「……お?」


 砂粒が、淡い光を帯びている。

 風に巻き上げられるのとは違う。


 魔力の胞子になって、

 一粒ずつ空へ昇っていくのだ。


 埋もれていた道が現れた。

 

 崩れたはずの壁が輪郭を取り戻し、

 窓枠が、扉が、その場所へ戻っていく。

 

 通りの先に噴水があった。


 その向こうには広場がある。


 遠くで、誰かが叫んだ。


「……街だ。ああ、そうか。ここ、街だったんだな」


 砂色だった景色に、

 赤い屋根が戻っていた。

 

 あちこちに戦いの傷は残っている。


 それでも、さっきまでの廃墟とはまるで違う。


 ラズビという街は、こういう姿をしていたらしい。


「お前、後片づけまでしていくのか。俺より偉いじゃん」


 倒した相手へ、

 それだけ言っておいた。

 

 できれば、

 最初から散らかさないでほしかったけどな。


 童子切を肩に置き、息を吐く。

 さあ、これでひと段落、と思ったら————


「ぐえっ」


 背後から、とんでもない衝撃が来た。

 

 慌てて刀を外へ逃がす。

 肩を掴まれ、強引に振り向かされた。


 ニアだった。


 怖い。

 初対面で首を刎ねると言われた時より、明らかに怖い。


「怪我は」


「え?」


「怪我はありませんか」


「ない。たぶん。今ちょっと肩が――」


「腕は動きますか。息は。痛むところは」


「順番に聞いてくれる?」


 返事を待たず、

 顔、首、腕と調べてくる。

 

 服に血がついているのを見つけるたび、

 眉間の皺が深くなった。


「ほとんど俺のじゃねえよ」


「ほとんど、とは?」


「お前も俺のこと斬ったよね?」


「今日は斬ってません。なぜ今その話を」


「ちょうどお前と戦った時のことも思い出してたから」


「……そうですか」

 

 俺は倒れたデザームを親指で示した。


「ほら。やったぞ」


「なぜ戻ったんですか」


「……褒める流れじゃない?」


「私、なぜ戻った、と聞いていますよね」


 違った。説教だった。

 中位個体を倒した直後なので、

 もう少し手加減が欲しい。


「ゴルネフが間に合いそうになかったし。俺なら、結界の中でも生きられると思って」


「思った? 確かめたのではなく?」


「初めて入るんだから、確かめようがねえだろ」


 ニアが口を開き、閉じた。

 何から怒るか、候補が多すぎた顔だった。


「……一言でも、相談してください」


「あの時そんな暇あった?」


「だからといって、確証もないまま死ぬような真似をしないでください!」


「死ぬつもりなんかなかったって。俺だって、危ないと思えば――」


「危ないと思った時には、もう助けに行けないんです!」


 肩を掴む指が、震えていた。


 ニアは俺の胸元へ目を落とす。

 さっきまで、

 あれほど次々に出てきた言葉が止まった。


「外からでは、何も出来ないじゃないですか……」


 ぽたり、と雫が落ちた。


「もう、残されるのは、嫌なんです」


 ……ああ。

 あの屋敷には、

 今も起きない姉がいるんだった。


 参ったな。

 剣なら避ければ済むが、

 こういうのはどっちへ動けばいい。


「……分かったから、引っ張んな。逃げねえよ」


 ニアは返事をしなかった。

 俺の服を掴む力だけが、少し緩んだ。


 褒めてもらうのは、もう少し後らしい。


     ◆


 鎧の鳴る音に、顔を上げた。


 ゴルネフが立っていた。

 折れた斧槍を傍らに置き、

 傷だらけの身体を、まっすぐに伸ばす。


「八咫烏殿」


 俺へ敬礼した。


「総員————敬礼!」


 号令が、通りを渡った。


 近くの兵士が姿勢を正す。

 

 それを見た向こうの隊も。

 その奥にいる連中も。

 

 立てる奴は立ち、

 座り込んだままの奴も、

 俺へ手を上げていた。


「……壮観だなぁ」


 どこを向いても、俺を見ている。

 さっきまでなら、槍が一斉に向いたところだ。

 剣よりはいいが、これはこれで落ち着かない。


「十二度目にして、ようやくです」


 ゴルネフが言った。


「十年の間に、この地で千を超える兵を失いました。私の部下も、友もおります」


 その視線が、一度だけ足元へ落ちた。

 さっきまで砂だった場所には、石畳がある。

 人の姿は、戻っていなかった。


「帰れなかった者に代わり、御礼申し上げます」


 頭を下げたまま、ゴルネフは続けた。


「その上で、申し上げなければならないことがあります」


「まだあんの?」


「貴殿に変性の疑いがあると聞き、私は警戒しておりました。小隊の中には、この戦いの混乱に乗じ、密かに貴殿を殺そうと考えていた者もおります」


 ニアの手が、俺の服から離れ、

 腰の剣へ下りていく。

 

 どう見ても殺気だった。


「……誰です」


「私も、その一人です」


 ゴルネフは顔を上げた。

 ニアの目が、すっと細くなり、


「円卓の管理下にある者を、独断で?」


「弁明の余地もございません」


「こりゃ驚いた。握手までしといて、殺そうとしてたのか?」


 口を挟むと、ゴルネフの顎が強張った。


「はい」


「この国、礼儀正しく俺を殺そうとする奴、多くない?」


 ニアを見たら、目が合った。


「……今、こちらを見る必要は」


「あった」


 俺はゴルネフへ向き直る。

 

 投げ飛ばして助けた相手が、

 元々は俺を殺す気だったらしい。


 お人好しなら、

 ここで深く傷つくのだろう。


 あいにく、俺の心臓に生えた毛は、

 毛量が多い上に、かなりの剛毛らしい。


「で。今も?」


「いいえ」


 返事に迷いはなかった。


「救われてから掌を返す。都合のよい話と承知しております。それでも、感謝することだけは、どうかお許しください」


 ゴルネフはもう一度、敬礼した。


「貴方は、モンストロではない」


 その後ろで、若い兵が唇を噛んでいた。

 腕を吊った男が、深く頷いた。


「我々を救った、英雄です」


 ……そういう話になったか。


 自分の中に流れているのが、

 妖力だと分かった。

 

 ……その直後にこれである。

 

 案外、英雄か怪物かなんて、

 斬られた側が決めるものなのかもしれない。


「じゃあ、それも報告書に書いといて」


 ゴルネフが瞬いた。

 俺はニアの方を指さして、


「こいつ以外の円卓が俺のこと殺そうとか、飼い殺しにしようとか言い出したら、今と同じこと言ってくれよ。見てないところで英雄扱いを取り下げられても困るし」


「……必ず。このゴルネフの名にかけて」


「あと、なんか酒でも奢って」


 ゴルネフが、ようやく少し笑った。


「そちらも、必ず」


 それなら、とりあえず助けた甲斐はある。

 感謝だけ貰っても、飯は食えないからな。


「————全隊、撤収の準備を」


 ニアの声だった。

 目元を拭い、兵士たちへ向き直っている。


「負傷者の搬送を優先。動ける者は隊ごとに点呼を。ご遺体と遺品は、可能な限り回収してください」


 声は、いつもの円卓の騎士へ戻っていた。

 少しだけ鼻声なのは、黙っておく。


 兵士たちが動き出す。

 担架が運ばれ、

 名前を呼ぶ声があちこちで上がった。


 返事のない名前もあった。

 拾い上げる遺体さえない場所で、

 膝をつく兵士もいた。


 ほとんどは、

 砂になって消えてしまった。

 

 戻ってきた家々の扉は、

 誰も迎えに出ないまま開いていた。


 俺は童子切を飲み込む。

 何度やっても慣れない。

 

 ひとまず、仕事は終わりだ。

 そう息を抜いていると、

 すたすたとニアが近づいてきた。


「八咫烏さん」


「今度は何。まだ怒られる?」


「怒っています」


「長いなあ」


 ニアはすぐには答えず、俺の顔を見た。


「……ですが、お見事でした」


 小さく息を吸う。


「討伐作戦への参加、王国兵の救出、デザームの討伐。……何より、生きて戻ってくださって、ありがとうございます」


「そう。それを待ってた。なんか奢って」


「ゴルネフにも奢ってもらう約束をしていませんでしたか」


「いくらあってもいいだろ、奢られる約束なんて」


 ニアは呆れた顔をして、


「貴方も大概、強欲ですね」

 

 それから、ほんの少し笑った。


     ◆


 中位個体、デザーム。


 ラズビを一夜で砂の廃墟へ変えてから、およそ十年。

 

 王国軍による十二度目の討伐作戦で、

 ようやくその首が落ちた。


 その知らせが国内を駆け、

 他国へまで渡り————

 

 ————七大国の耳にも入った。

 

 俺はそのことを、随分と後になってから知った。

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