同じ願い、違う答え
智也は律の部屋をノックして、ゆっくりと扉を開ける。最低温度まで下げた部屋の冷気が足元を撫でる。
「彩葉」
智也の呼びかけに、彩葉がゆっくりと振り返る。かけた毛布が肩からずり落ちそうになって、冷えた部屋の空気がそのまま当たっている。
「ずっとそこにいたら風邪を引くよ」
「……」
智也がそう声を掛けると、彩葉は黙ったまま、毛布に顔をうずめるように俯いた。
「……律も静かに寝ている。だから彩葉も、少し休もう」
「……うん」
その言葉に、彩葉はやっと智也の顔を見た。智也はスマホを握ったまま、目の下に深い影を落としている。久しぶりに見た智也の顔は、随分と老け込んだかのようだった。
智也は台所で、カップスープの粉末を取り出し、陶器のコップへと入れ、鍋で沸かしたお湯をそこへ注ぐ。
「あったかいよ」
そう言って、リビングのソファの上で、毛布にくるまる彩葉の前の、ローテーブルにそのコップを置いた。
「……ありがとう」
両手で抱えるようにそのコップを持つと、熱そうに一口啜る。緊張が解けたのか、その熱が身に沁みたのか、彩葉の肩が下がり、ソファに身を預けた。
その様子を見ながらも智也はリビングでずっと立ったままでいた。落ち着きがなくうろうろと歩き回っている。
「座らないの?」
「え?ああ」
智也の眉間には、ずっと皺が寄っている。智也のこんな様子は、彩葉にとっても初めてのことだった。
つけっぱなしのテレビから、遺体を土へ還す新しい葬送方法があるという声が流れている。画面の中で、その女性は声高々に布教する。皆こうあるべきだと。その中で特に強調して発せられる、命を次へ繋ぐ、という言葉が妙に耳に残る。
智也はしばらく画面を見たあと、スマホを操作した。
「……以前、律が言っていただろ?あれから少し調べていたんだ」
智也が、画面を見ながらぽつりと呟いた。
「何の話」
彩葉の声が、再び冷たくなる。
「燃えちゃうのは怖いって」
彩葉はコップを置いて、毛布に顔をうずめた。
「病室でもさ、このインタビュー映像が度々流れていたんだ。多分、それでだと思う」
『今この国には、火葬以外の選択肢が必要なのです!』
テレビの中で、整ったスーツ姿の若い女性が熱弁する。
「これが正しい選択肢なのかは分からないけれど、律には合っているかもしれない」
智也は画面を見たまま、まるで自分自身に言い聞かせるように、そう言った。
「明日にでも、決めなければならない。律をどうするのかを」
「決めなくていい」
彩葉は顔を見せずにそう言った。律のことになると、かたくなに会話をしようとしない。
「お義父さんたちも、いつまでもこのままにはできないって」
「みんなで勝手に決めればいい」
「勝手には決められないよ」
「じゃあ、そのままにして。律を連れていかないで」
彩葉の言葉に嗚咽が滲む。その声に、智也は返答することができなかった。
智也が黙ったその沈黙さえ、彩葉には拒絶のように感じられた。
「一度話を聞きに行かないか?そのテレビで言っている、木葬について」
智也が、彩葉の正面に来てそう言い、握りしめていたスマホの画面を見せる。差し出された画面を、彩葉は見ようとしなかった。
「律の身体を、半年くらいかけて土に還す方法がある。その土で、木を育てることもできる」
「何が残るの?」
「土だ」
「骨は?」
「残らない」
智也の言葉に、彩葉が顔を上げる。
「残らないって、何」
「骨も土になるらしい」
「律を全部なくすの?」
彩葉の表情が、まるで絶望に塗り潰されていくように、その色を変えていく。
「なくすんじゃない。形を変えて、残せるかもしれない」
「それは律じゃない!」
彩葉の声が、部屋を震わせた。
「木を見て、それを律だと思えっていうの?そんなの無理。骨だけでも残れば、まだそこに律がいるって思えるのに」
その剣幕と、再びあふれた彩葉の涙に、智也はまた答えられなかった。
「病院でも泣かなかったよね。律が死んでからも、ずっと電話して、書類を書いて、次のことばかり考えてる」
「違う」
「早く片付けたいの?」
「違うって言ってるだろ!」
智也の怒声に、彩葉の肩が大きく跳ねる。智也は荒い息を吐き、顔を覆った。
「俺だって律の父親だ。平気なわけじゃない。でも今止まったら、どうなるか分からないんだよ」
指の隙間から、智也の掠れた声がこぼれ落ちる。
「火の中に入れるところを想像できない。あの身体が焼かれるのを、見届けられる気がしない。だから、律を理由にして、他に何か方法がないか探してた。それだけだ。俺だって、俺だって不安なんだよ」
彩葉は膝を抱いて、視線を落とす。
「私……律が息をしなくなったとき、少しだけ、よかったって思った。もう苦しくないんだって。母親なのに。自分の息子が死んだのに、安心した」
彩葉は自分の思いを言葉にするたび、喉が詰まり声が掠れるのを感じた。
「俺も思った。律がもうつらい思いをしなくていいんだって」
智也はそう言って、彩葉の隣に座った。
「木葬を選んでほしいわけじゃない。俺もまだ、それで良いのかは判断がつかない。ただ、律が興味を持ったものを、知らないまま決めたくない。だから、説明だけ聞きに行かないか」
そう言う智也の顔にも、涙が滲むのが見える。彩葉はすぐには答えなかった。
机の上には、律が描いた三人の絵がある。三人とも同じように、大きな口で笑っていた。
「聞くだけよ」
「ああ」
彩葉は膝を抱いたまま、律の部屋の方を見る。二人は何一つ片付けられないまま、何一つ決められないまま、それでも翌日の予定だけが決まった。




