小さな旅立ち
先行する霊柩車を追って、智也と彩葉の車は山道を進む。窓の外には、次第に深峰村の緑が広がっていく。やがて、白い壁の建物が木々の間に見えてくると、深代木葬舎の前に、朝霧と夏目が立っていた。
朝霧は車の到着に気が付くと、二人の方へ歩いてきた。
「お待ちしていました」
彩葉は車から降り、建物を見つめた。ついに来てしまったという思いと、ここで良かったという思いがぐちゃぐちゃに混ざっている。
「お願いします」
智也がそう言うと、朝霧は深く頭を下げた。
「お預かりします」
隣の夏目が棺用の台車のようなものを運び、霊柩車のそばに停める。葬儀社のスタッフと共に取り出した棺をその台車に乗せると、智也と彩葉は、律を乗せた台車の後ろに続いて、深代木葬舎の中へ入っていった。
「橘様、ご準備ができました」
エントランスホールで待っていた智也と彩葉の元に、藤崎が声をかけに来る。
「案内します、こちらへ」
一度見せてもらった還元棟。その中心に、台車に載せられた白い棺がある。
彩葉は急ぎ足で歩み寄り、棺の中を覗き込む。そこには、柔らかな土と花束の上で眠る、律の姿があった。
「少し寒くない?」
律を見るなり、まるで今もただ眠っているだけかのように、彩葉は優しく声をかける。
律の胸元の服を直し、掛け布を顎の近くまで引き上げる。
「これで大丈夫かな」
「うん」
智也はそれ以上何も言わず、窓からの優しい日差しに照らされる律の姿を眺めていた。
還元ホールには祭壇も音楽もない。高い窓から落ちる光が、棺と三人を静かに照らしている。
朝霧と藤崎は、還元棟とエントランスを繋ぐ扉のそばで静かに待っていた。必要な書類への署名は終わっている。残っているのは、律との別れだけだった。
彩葉は律の頬に触れる。
「冷たいね」
「そうだな」
「怖いって言わなかったよね。注射も、検査も。痛かったはずなのに」
「俺たちの方を心配してたくらいだったな」
「まだ五歳なのに」
次第に、彩葉の声が崩れ出す。
「もっと怖がってよかったのに。もっとわがまま言ってよかったのに」
律の頬へ涙が落ちる。それを彩葉は慌てて指で拭った。
「ごめんね。濡れちゃったね」
それでも何度も涙はこぼれ落ちる。
「だめ。もう、分かってるはずなのに、涙が止まらないの」
それは誰に向けたとも知れない、悲しい声だった。
滲む視界で、彩葉は律を見つめた。朝、起こす。服を着せる。靴を履かせる。転べば抱き起こす。熱が出れば眠らずに看病する。その温かな手に、額に触れる。
そのすべてが、もうできない。
「私……律がいなくなるのが怖いだけじゃない。もう、律のお母さんじゃなくなるのが怖かった」
「なくなったりしないよ」
「でも、何もしてあげられない」
「子供に何か出来るから親なんじゃない。律のために出来ることを、これから決めればいい。俺も一緒にやる」
彩葉は何度も首を横へ振った。それは、拒むようにも、迷いを振り切るようにも見えた。
やがて静かに顔を上げる。
「お願いします」
声は震えていた。しかし、彩葉のその目には、母としての強い意志が宿っていた。
彩葉の声を聞くと、朝霧はゆっくりと近づき、棺の前で静かに一礼した。
「では、この土を、律さんに優しくかけてあげてください」
いつから居たのか、夏目が台車に土を入れた容器を乗せてやってくる。
その土を掬い、手渡された木製の壺。それを棺に向けて傾けると、予想に反してさらさらと流れていく。それは柔らかな布団のように、律の胸元までを覆った。
土の中で暖かそうに眠る律に、彩葉は涙で濡れた顔を近付けた。
「さようならは言わないよ」
律の額へ口づける。
「半年後に迎えに来るからね。お母さん、ちゃんと来るから」
「俺も来る。また三人で、おうちに帰ろう」
二人が棺から離れる。朝霧は再び一礼し、湾曲した壁に近付くと、下から二段目の金色の丸かんを掴み、収納庫を引き出した。
夏目が台車を操作すると、モーターの駆動音と共に棺が持ち上がり、その引き出された収納庫へと格納される。そして、朝霧がその引き出しを押し込むと、棺がゆっくりと白い壁の中へ収められていく。
収納庫が閉じると、壁にはその収納庫の隙間すら見えず、元から何も無かったかのように金色の丸かんだけが残った。
彩葉は声を出さずに泣きながら、収納庫が閉まっていくのを眺めていた。それでも追いかけず、智也の手を握ったまま見送った。
閉まったあともその場で動かない智也と彩葉の背後で、朝霧達は深く頭を下げた。




