深代村
朝霧に案内された扉の先は、応接間とは違う静けさに包まれていた。白い壁と高い天井。還元棟のホールの、横幅いっぱいに広がる大きな一枚の窓から、外に一本の木が見える。その窓の下の壁には、金色の輪がいくつも並んでいた。
「ここが、還元施設?」
智也と彩葉は、手に持った資料と見比べるように、ホールの内部を見渡す。
「はい。こちらの壁面内にご遺体をおおよそ半年間保管し、完全に土へと還元します。ですので、このホール自体が最後のお別れの場でもあります」
朝霧は手のひらで窓の下の壁を示してそう言った。
「その、ここでお別れとのことですが、壁面内とは?火葬であれば、目の前の火葬炉に入れるのでしょうが、木葬ではどうなるんですか?」
「そうですね、基本的には同じように考えていただいて良いと思われます。ではぜひ、収納庫もご覧ください」
朝霧はそう言って、壁面に並ぶ金の輪のうち、ひとつを選んで手前に引いた。ただ飾りが並んで見えたそれは、引き出しの丸かんだったようだ。
がこん、と重々しい機械音がして、それまで全く見えなかった箱の境目が白い壁に浮かび上がる。そして、四角い収納庫が壁面からゆっくりとせり出してきた。
引き出しの内部には、銀色に輝く金属のシャフトが両脇に有り、その間には、棺が収まると思われるスペースがある。
「結構、機械的なんですね」
「そうですね、耐久性を考えたとき、このような構造になりました。この還元施設で重要なことは、温度、湿度、それと通気量の管理ですので」
「この中で、土になるんですか」
彩葉は箱の内部を一瞥したあと、少し俯き、朝霧へと質問する。
「はい」
「その間、会えないんですか」
「還元の途中でお身体をご覧いただくことはできません。ただ、始める前に最後のお別れをする時間はございます」
彩葉はぬいぐるみをきつく抱き締め、唇を噛んだ。
火葬場の炉を前にしたときを想像したときほどの苦しさはない。それでも、律の身体が少しずつ形を失っていくことを考えると、胸が苦しくなる。
「……どちらが正しいんでしょうか」
智也がぽつりと呟いた。
「正しいかどうかよりも、橘様が後になっても受け入れられる選択かどうか、が重要であると私は考えます」
「後になっても?」
「葬送は、決めた瞬間に終わるものではありません。決めたあとも、ご遺族の方々は何度も迷われます。ましてやこの木葬は、おおよそ半年という長い時間を要します。その間の迷いも含めて、受け入れる必要があります」
彩葉は初めて、朝霧の顔をまっすぐに見た。
「決められるまで、出来る限りのお手伝いをします。木葬を選ぶ場合も、別の葬送を選ぶ場合もです」
その言葉を聞いて、智也は胸の内が少し楽になった気がした。
「この植樹できるという、深代村ってどんな場所なんですか?」
応接間へ戻ると、藤崎が二人分のお茶を注ぎ足してくれた。お茶を一口啜り、智也は資料を指差して朝霧に質問した。
「そうですね、管理しているとはいえ、廃村になった土地を弊社が買い取ったものですので、そんな立派なものではありません」
「そちらも、見学させていただくことは可能ですか?」
「ええ、もちろんです。車で三十分ほどですが、大丈夫ですか?」
朝霧は、二人の顔を交互に見ながら尋ねた。
「……見ておきたい」
「はい、お願いします」
「承知しました。では植樹地まで、ご案内します」
二人は再び、朝霧の車へと乗り込んだ。
深代村は、かつて林業や農業を営む人々が暮らしていた小さな集落だったらしい。しかし、人口の減少と高齢化によって少しずつ人が離れ、最後に残った住民が村を出てからは、使われなくなった家や畑だけが取り残されている。伸びた草が道の端を覆い、崩れかけた石垣には苔が生えていた。人の暮らしを失った村は、ゆっくりと森へ戻ろうとしているようだった。
車は、谷沿いに開けた場所で停まった。
車を降りると、川の流れる音が聞こえてくる。音のする方を見ると、転落防止の柵の向こうに崖があり、深い谷の底を、透明な水が白い石にぶつかりながら流れている。
「そちらは危ないので、私に付いて来てくださいね」
朝霧に続き、草が生い茂った道を進んでいく。いくつかの朽ちた家を通り過ぎる。そこに人の気配はない。しばらく歩くと、周囲の大きな木々に囲まれた、まだ背の低い苗木がいくつも植えられている場所へと着いた。
そこで、作業着姿の男が一本の木に添えられた支柱を直している。
「夏目くん」
朝霧が声をかけると、その男は顔を上げて挨拶をした。
「お疲れさまです。あ、こんにちは。お客様ですか?」
「今日は見学です。橘様、こちらはこの村の管理業務を任せている夏目です」
「夏目陸です。主に、ここの木の管理を担当しています」
「橘智也です」
「妻の彩葉です」
「では夏目くん、この場所の説明をお願いできますか?」
「はい、分かりました!」
三人は苗木の間を歩いた。苗木の根元には小さな札が立てられている。名前が書かれたものもあれば、植えた日付と樹種だけが記されたものもあった。
「今は、主にこの場所で植樹をしています。この村の付近では、昔の闇雲な林業などによって木々が減ったせいで、地盤が弱くなってしまい、地滑りが発生し易くなっています。そのような土地の中から、様々な可能性を考慮して、選定した場所に植樹を行っています。例えば、地滑りが再発しにくい、足を運びやすい、獣への対策がし易い、などです」
夏目は歩きながら、周囲を頻繁に見渡している。
「ここに、根の深いクヌギやブナを植えることで、山を内側から縫い合わせるように固定していきます」
「植えたあとは、どんな管理をするんですか」
智也は、苗の周囲を囲うように立てられた、立派な木製の柵を見ながら言った。
「最初の数年は、特に手が掛かります。土の状態を見たり、鹿に食べられていないか確認したり、支柱を直したり。雨のあとには斜面が崩れていないかも見ます」
夏目は、先ほど直していた支柱に触れた。
「植えて終わり、ではないんです。ちゃんと根付くまで、こっちで見ていきます」
彩葉が、一番近くにあった苗木を見つめた。
「この木も、誰かの身体からできているんですか」
夏目が答える前に、朝霧が静かに口を開いた。
「必ずしも、還元された土が使用されているとは限りません。この土地に必要な樹木も合わせて植樹しています」
「そうですね。例えばこの日付と樹種だけが記載されている苗は、還元された土ではなく、普通の土を使用して、この地に必要な樹木の苗をこちらで植えています。ですから、名前の書かれた札がある苗が、この名前の方が還元された土を使用した苗です」
夏目はそう言って、札のある苗を手のひらで指し示した。
智也と彩葉は、ただなんとなく、その苗の前で手を合わせた。二人でそう決めたのではなく、どちらからともなく自然とそうしていた。
「……この場所で育つなら、嫌がるかしら」
彩葉の呟きに智也は驚き、目を見張ったが、律の姿を頭に浮かべて答えた。
「……そうかもね。何せ彩葉にべったりだったから」
二人が顔も知らない誰かに祈るのを、朝霧と夏目は優しく見守っていた。
「ここに植えられた木は、誰が植えたんですか」
智也の質問に、夏目が答える。
「ご家族と一緒に植えることもありますし、こちらで植えることもあります。植えた後は、遺族の方が何度も様子を見に来られる場合もあります」
夏目が少し背が高くなった木々を大事そうに眺める。
「この前も、植えてから一年経った木を見に来た人がいました。前より大きくなっているのを見て、すごく喜んでいましたよ」
「人によって違うんですね」
「会いたいと思ったときに、ここへ来てもいい。それだけで十分だと私は思います」
「……もし枯れてしまったら、どうするんですか?」
夏目は少し考えるように、若木へ視線を落とした。
「そのときは、ご家族と相談します。植え替えることもできますし、枯れた木を残す方法を考えることもできます。枯れたからといって、全部が終わるわけじゃないです。でも基本は、そうならないように一生懸命管理していますよ。例えば、こちらの苗は、去年植えたものなのですが、鹿に食べられそうになっていたので、周りに柵をつけました」
「木にも、そういうことがあるんですね」
「ありますよ。病気になることもありますし、土砂で根が傷むこともあります。植えたら終わりじゃなくて、そこからが始まりなんです」
夏目の言葉に、彩葉は答えず、ただ風に揺れる苗木を見ていた。
「では、このまま駅まで送りますが、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
二人は朝霧の車へと乗り込み、深代村を離れ、山道を下っていく。窓の外で木々が後ろへ流れていく中、彩葉は小さな声で呟いた。
「帰ったら、ちゃんと考える」
「ああ。もう一度話そう」
智也は隣に座る彩葉の手を握った。車は緑のトンネルを抜けるように、ゆっくりと進んでいった。




