第5話
教室の騒ぎはその後、林先生の機転で収まった。
先生はスマホを素早く取り出し、ゆうのメイドに連絡を入れた。
数分後、教室の扉が静かに開き、現れたのは黒髪のロングヘアを優雅に結い上げた女性──月兎人のメイド、ラビだった。
髪の上で二本の兎耳がピンと立ち、片方が折れ曲がった愛らしい耳が、彼女の洗練された美しさを演出していた。
黒のメイド服は月兎人の伝統を思わせる銀の刺繍が施され、布地が体に寄り添うように張り、細やかな刺繍の陰影が優美なうねりを微かに浮かび上がらせていた──静かな優雅さを湛えながらも、歩くたびに控えめな誘惑を秘めたリズムを刻む。
彼女の存在は、まるで月光を浴びた柳のように洗練された気品を持ち、教室の喧騒を一瞬で静かな余韻に変えるほどだった。
ラビは少年の兎姿を一目見てバッグを片手に近づいた。
「ゆう様、お迎えに上がりました。皆々様、失礼いたします」
その声は鈴のように澄んでいて、クラス中が息を呑んだ。
彼女はあかりから少年を受け取り、柔らかな抱擁の温もりに抱き寄せた。
彼は、耳をぴくぴくと動かした。
「ゆう様は、お疲れのようですので、本日はこれにて下校とさせていただきます」
ラビは少年を連れて教室を後にし、クラスメイトたちの視線が二人の背中を追った。
あかりは席に座り直し、胸元を押さえながらため息をついた。
始業式の初日で授業は午前中で終わり、早めの解散だった。
生徒たちは興奮冷めやらぬ様子で校門を後にし、彼女も家路についた。
頭の中は少年の兎姿と保健室のキスの感触でいっぱいだった──明日、どう顔合わせようかしら。
翌朝。
あかりがいつものように校門に近づくと、異様な光景が広がっていた──校門前に、とてつもなく巨大なリムジンが停まっていた。
黒塗りの車体はまるで映画のセットのように威圧的で、エンジンの低いうなりが空気を震わせ、周囲の生徒たちが遠巻きにスマホを構えて囁き合っていた。
「え、何あれ……セレブ?」
「王子様の車じゃない?」
ドアが開き、ゆうが降り立った。
制服姿が昨日より少し余裕を持って見えた。
隣にはラビが控え、周囲を警戒していた。
あかりの姿を認め、少年の表情がぱっと明るくなった。
「あかりさん、おはよう!」
「あ……おはよう、ゆう」
彼女は視線を逸らし、軽く頭を下げ、心臓が少し速くなった。
少年はにこりと微笑んで手を差し出した。
「一緒に教室まで行きましょう!」
「あんた、手なんか握ったら、また兎になっちゃうんじゃないの?」
「はっ、確かにそうですねっ」
彼が笑顔で返した。
ラビが一礼した。
「おはようございます、あかり様。昨日はゆう様をお助けいただき、誠にありがとうございました。旦那様も奥様も、ゆう様にご学友がお出来になったと、大変お喜びになっておられます」
ラビは銀色のアタッシュケースをあかりに差し出した。
ケースは重く、鍵がかかったような重厚感があった。
あかりは眉をひそめて受け取った。
「えっ、何よこれ……重いじゃない」
好奇心に負け、ぱちんと開けた。
中には札束がぎっしり詰まっており、日本紙幣で単位は一億円。
淡い緑の山が朝の光にきらめいた。
彼女の目が見開かれ、手が震えた。
「な、なにこれ!? お金!? 冗談でしょ!?」
慌ててケースを閉じ、返そうとラビに突き返した。
「こんなの、受け取れないわよ!」
だがラビの手が素早くケースを掴み、完全に固定した。
まるで磁石のように動かず、彼女の瞳が一瞬青く妖しく光った。
ラビはあかりに顔を寄せ、囁くように息を吹きかけた。
「あなたは既に我が月王国が認めた姫君候補に選ばれております。こちらは契約金などではなく、単なる迷惑料だとお考えください。この場で受け取らずとも結構、ご自宅に送らせていただきます」
声は甘かったが、有無を言わさぬ威厳に満ちていて、あかりの背筋がぞくりと震えた。
ラビはケースを閉じ、リムジンのトランクにしまった。
あかりは、呆然と立ち尽くした──姫君候補? 迷惑料? 一億円!?
委員長の仮面が、ぱくりと崩れ落ちた。
その時、後ろから明るい声が響いた。
「おーい、あかり! 何ボーッとしてんだよ!」
振り向くと、あかりの親友のみおだった。
ボーイッシュな短髪を風に揺らし、スポーツバッグを肩にかけ、いつもの元気いっぱいだった。
みおは少年の姿を認め、ニヤリと笑った。
「おお、王子様じゃん! お二人さん、どうしたんだ? 遅刻しちゃうぜ?」
ラビは頭を下げた。
「それでは、ゆう様。何かありましたら、あかり様が助けてくださるとのことですので、安心してお頼りください」
リムジンに乗り込んだ。
エンジンが静かに唸り、巨大な車体が滑るように去っていった。
あかりはようやく我に返り、口を尖らせた。
「ちょっと、勝手な……! 私、そんなつもりじゃ──」
だが、少年がぱっと割り込み、瞳をきらきらと輝かせた。
「ホントですか! ありがとうございます、あかりさん! 僕、安心して学校生活送れます!」
その無邪気な笑顔に、あかりの言葉が喉で止まり、頭を押さえてため息をついた。
みおはその様子を見てくすくすと笑い出した。
「ほらほら、早く教室にいこーぜ! 王子様も、あかりのエスコートよろしくな!」
みおの明るい声に押され、三人は校門をくぐった。
少年の瞳はまだきらきらと輝き、あかりの横顔をちらちらと見つめた。




