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うさぎ君は口寂しい  作者: 川合 佑樹


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第4話

 保健室のドアが静かに開き、先生の穏やかな声が先に響いた。

 白衣を羽織った彼女──高槻えみ(高槻 えみ)先生──は手にゆうの制服を抱えていた。

 茶髪のロングヘアーをハーフアップにまとめ、光沢を帯びた髪が肩を優雅に滑り落ちた。

「ゆうくんいる? 校長先生から連絡があって、服を持ってきたわよ。みんな大騒ぎだったみたいね。でも大丈夫? もう戻れたみたいだけど」

 先生の声は優しかった──が、あかりはハッとして振り向き、ベッドのゆうを慌ててシーツで覆い隠した。

「せ、先生! 今、ちょっと……待ってください!」

 少年はベッドの上で体を丸めながら、シーツを掴んで必死に隠れた。

 先生はベッドに近づき、服をそっと置きながら、くすくすと笑いを抑えきれなかった。

「ふふ、流石兎さん、手が速いわね。もう親睦深めちゃったの?」  

 あかりは顔を真っ赤にしたまま立ち上がり、先生に背を向けて窓辺に寄った。

「……先生、ありがとうございます。私、教室に戻ります。ゆうも早く着替えて来なさいよ」

 尖った声で言い残し、保健室を飛び出した。

 先生は笑いながら少年に背を向けて部屋を出て行った。

 ようやく一人になった彼は息を吐き、急いで制服に袖を通した。

 髪を整え、瞳を鏡に映し、唇に残る感触を指でなぞった──あかりさんのキス……優しかった。

 心が浮つき、胸の奥がざわついた。


 教室に向かう廊下で、あかりと合流した。

 二人とも言葉少なに並んで歩き、空気はキスの余韻で満ちて重たく甘かった。

 あかりは時折頰を押さえ、ぷいっと顔を背けた──少年の唇、膝の上で変わった瞬間の熱さ……。

 彼は横目で彼女を見ながら心に浸り、教室の扉を開けた。

 クラス中が一瞬で色めき立った。

 生徒たちの視線が二人に突き刺さり、ささやきが広がった。

「あかりがゆうくん連れてきた!」

「何があったの!?」

「王子様、無事!?」

 好奇の波が一気に広がった。

 担任の先生──黒髪のロングヘアを緩やかに背中に流し、そばかすの散らばる頰に眼鏡をかけ、三十代の穏やかだが疲れたようなダウナーな雰囲気を纏った女性、林はるか(はやし はるか)先生──が教卓から立ち上がり、ため息混じりに声を上げた。

「……まーまー、みんな。静かにね、さっき集会で言ったばかりでしょ……授業始めるから、席に戻りなさい……」

 声を上げた後、先生の視線が少年に移り、尋ねた。

「ゆうくん……大丈夫? 兎化の後遺症とか、大丈夫かしら……無理しないでね、ゆっくり休んで……」

 彼が頷きかけたその時──あかりが素早く教壇に駆け上がり、机をダンッと叩いた。

 クラス全体がびくりと静まり返った。

「みんな! 軽い気持ちでゆうに近づくんじゃないわよ! 留学生なんだから、ちゃんとルール守って、勉強に集中しなさい! わかった!?」

 彼女の声は委員長の威厳が全開だった。

 でも頰の赤みが微かに残っていた。

 クラスメイトたちがボー然とした顔で互いに見つめ合った。

「え、あかり……なんか本気じゃん」

「王子様、守られてる?」

「委員長、顔赤くない?」

 ざわめきが再び漏れ出した。

 少年は頰をポリポリと掻きながら苦笑を浮かべ、あかりは席に戻り座った。

 後ろの席から、彼女の親友──陽向みお(ひなた みお)が声をかけた。

 ボーイッシュなショートヘア、スポーツ万能の活発な女子らしい逞しい肩幅と、制服のスカートが引き締まった腰から太ももにかけての力強いラインを強調する姿が、凛々しくも女性らしい魅力を放っていた。

 彼女の動きはいつも通り軽快で、座ったままの体勢から上体を少し起こすだけで、クラス全体に存在感を広げ、親しみやすい笑みを浮かべていた。

「おい、あかり。何があったんだよ?」

「何もなかったわよ! 余計な詮索しないで、みお!」

 返事の裏に照れが隠せなかった。

 みおは肩をすくめた。

「へー、ふーん」

 ニヤリとしたが、それ以上追及しなかった。

 少年はそんなクラスメイトたちの視線を浴びながらゆっくりと教壇に立ち、月兎人の王子らしい気品が自然と滲み出た。

「皆さん、再びお騒がせして申し訳ありません。宇崎ゆうです。先ほどは集会で大変なハプニングを起こしてしまいました。実は……異性にドキドキしちゃうと、ついああなってしまうんです。月兎人の体質で、どうしても抑えきれなくて……」

 クラス中が息を呑み、生徒たちの瞳がキラキラと輝き出した。

「え、ドキドキで兎に!?」

「かわいい……」

「私もドキドキさせたーい!」

 ささやきが広がった。

 彼は続けた。

「先ほどはあかりさんに助けていただいて、本当に助かりました。彼女がいなかったら、きっと大パニックのままだったと思います。ありがとう、あかりさん」

 あかりの席からぷいっと視線が逸れる音が聞こえた。

 少年は心の奥で温かなものを感じながら言葉を締めくくった。

「これからの学校生活で、不意に変身してしまうことがあるかもしれません。その時は先生に伝えて頂ければ、メイドがすぐに駆けつけて対応してくれますので、どうかご容赦ください。どうぞよろしくお願いいたします」

 気品ある挨拶を終え、彼は軽く頭を下げ席に向かった。

 クラスから拍手と歓声が沸き起こった。

「がんばれー、ゆうくん!」

「ドキドキの原因、作っちゃダメよ?」

「あかり、守護神じゃん!」

 先生が笑みを浮かべて手を叩いた。

「まあ……みんな、ゆうくんを温かく迎えてあげてね。席はあかりの隣でいいわ……委員長、ちゃんと面倒見ておいてね……」

 クラスからくすくすと笑い声が漏れた。

 生徒たちの視線が少年に集中し、彼は頰を少し赤らめながら教壇から降り、あかりの席──窓際の二列目──に向かった。

 ──あかりさんの隣……胸がざわつく。

 あかりは席でノートを広げて前を向いた。

 でも心の中はキスの余韻でざわついた。

 あの感触、息の温かさ、互いの鼓動が同期したような、胸の奥に残る疼き──保健室の記憶が、静かな教室の空気の中でふと蘇り、頰を熱く染め上げた。

 集中しようとペンを握りしめたが、視界の端で少年の足音が近づくのを、なぜか意識せざるを得なかった。

 彼があかりの席に近づき、特に理由もなく──運命のいたずらか、ただの不注意か──自分の足に足を引っかけ、ぐらっと体勢を崩した。

 まるで世界が一瞬だけ傾いたかのように、少年の体が前につんのめり、バランスを崩してあかりの方へ倒れ込んだ。

 時間はゆっくりと流れ、彼の髪がふわりと舞い、瞳が驚きの色を宿して広がった。

 あかりが慌てて振り向いた時には遅かった──いや、振り向くより早く、少年の顔がぽふんっと彼女の波打つ優美なシルエットにうずめられた。

 柔らかな膨らみの温もりが、制服の薄い布地越しに彼の頰を包み込むように寄り添い、雲のような弾力と重みを持って受け止めた。

 息が詰まるほどの親密さ──蜜のような圧迫感を伴っていた。

 ほのかにシャンプーの香りが、滑らかな肌の曲線から漂い上がり、少年の鼻腔をくすぐり、胸の奥まで染み渡る。

 温かな鼓動が、布越しに彼の頰に直接伝わり、まるで二人の心臓が一つのリズムを刻むかのように、少年の視界をぼんやりと霞ませた──え、ええっ!? ……あかりさんの……! 熱くて、甘くて……!

 彼の心臓が爆発的に鳴り響き──ぽわんっ、という小さな音とともに、少年の体がまた兎の姿に変わってしまった。

 白銀の毛並みが照明にきらめき、長い耳がピクピクと震えながら、慌てふためいてキョロキョロと周囲を見回した。

 兎があかりの胸元でぴくぴくと震え、瞳を慌てて見開いた。

 彼女の柔らかな膨らみに、ふわふわの白い毛玉が埋もれ、微かな振動が布地越しに伝わり、あかりの肌を刺激した──小さな生き物が心臓の鼓動に寄り添うように、温かくくすぐったく、胸の奥を掻き乱した。

「あ、ちょっと! ゆうっ!?」

 あかりの声が上ずり、クラス中が一瞬で凍りついた。

 彼女の頰が火照り、慌てて体を起こそうとする仕草が、少年をさらに押し込む形になり、柔らかな波打ちが彼の小さな体を包み込んだ──その瞬間、あかりの心臓もまた加速し、ツンとした委員長の仮面の下で、混乱が広がった。

 クラスメイトたちの視線が一斉に集中し、息を潜めた静寂が、すぐに爆笑と悲鳴の渦に変わった。

「キャー! また兎に!」

「やるじゃん、王子様!」

 教室が大騒ぎに包まれ、先生が目を丸くして立ち上がった。

「みんな……落ち着いて……メイドさん呼んでくるから、ちょっと待っててね……」

 あかりは少年を抱き上げ、頰を真っ赤に染めて睨みつけた。

「バカ……! ……なにやってんのよ」

 彼の耳がぺたんと倒れ、尻尾が小さく震えた。──ご、ごめんなさい……でも、このドキドキ、止まらないんですっ。

 教室の窓から差し込む陽光が兎の毛並みを輝かせた。

 新しい一日の始まりがハプニングで幕を開けた。

 このクラスで、この女子高で──少年の伴侶探しの旅がどんな風に花開くのか、誰も知らない。


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