第21話
文化祭の準備が本格化し、教室は賑やかだった。
始業式から数週間が経ち、クラスメイトたちの笑い声とテープの引きちぎれる音が交錯した。
壁に色とりどりの飾り付けが少しずつ貼られていった。
午後の陽光が窓から差し込み、机の上に散らばった画用紙を照らした。
そんな中、クラスの隅で一人の少女がメジャーを手に悪戦苦闘していた。
小鳥遊ひより(たかなし ひより)だった。
低身長の体躯が、まるで繊細な人形のように華奢で、眼鏡の奥の瞳が少し怯え気味に揺れ、おさげ髪が肩を叩くように軽やかに揺れた。
制服の布地を押し上げる柔らかく豊かな輪郭が、彼女の小さな体に穏やかなうねりを与え、動きのたびに静かな魅力を湛えていた──内気な性格とは対照的に、周囲の空気を満たすような存在感だった。
文化祭実行委員に選ばれた少女で、気が弱い性格ゆえに誰もやりたがらない作業を押しつけられていた。
クラスの部屋の長さを測っていた。
簡単そうに見えて低身長の体では天井近くの壁まで届かず、輪郭の膨らみが邪魔をしてメジャーが曲がってしまった。
「うう……もう少し……」
その姿は健気でどこか守りたくなるような儚さがあった。
そんな少女の様子をゆうが教室の隅から見つけた。
瞳に心配の色が浮かんだ。
「あれ……小鳥遊さん? 手伝いますよ!」
彼はひよりの隣に立った。
ゆうの身長は少女より少し高く、メジャーを受け取って壁に沿ってスッと伸ばした。
「これで……はい、測れました。長さは七メートル二十センチですね」
ひよりは眼鏡を押し上げ、顔を上げた。
「あ、ありがとうございます……宇崎君」
小さな声が恥ずかしげに響いた。
ゆうの顔を見て、頰を少し赤らめ呟いた。
「……こういうの、得意なんですね」
その言葉に彼の胸が少し膨らんだ。
「えへへ、僕でよければ、いつでもどうぞ!」
その様子を、教室の反対側からあかりとみおが見守っていた。
みおがあかりに囁いた。
「あれ、何やってるんだ?」
「ゆうが、唯一身長勝ってる女子だから……、男の子しちゃってるのよ」
苦笑いが唇に浮かんだ。
みおは目を細め呟いた。
「でも、あれって……」
ゆうのメジャーが壁に届かず微妙にずれているのを察知した。
あかりはくすっと笑った。
「そうよ、何も測れてないから……後で他の子が測り直してるわ」
二人は顔を見合わせて肩を震わせた。
その時、担任の林先生が二人に近づいた。
「……あかり、ゆう──さぼってるなら、買い出しに行ってきなさいね……」
あかりは頷き、ゆうに手を振った。
「わかりました……ゆう、頑張ってね!」
「がんばれよー!」
みおも笑顔で手を振った。
彼は誇らしげに胸を張った。
「任せてください!」
満面の笑みで手を振り返した。
教室の空気が少し温かくなった。
二人が去ると、教室は少し静かになり、文化祭準備の喧騒が遠のいた。
ゆうとひよりだけが残された。
彼は机の上に飾り付けの材料を広げ、一生懸命に星形の紙を切り抜いた。
ハサミの音が静かに響いた。
前髪が集中の証に額に落ち、少女は正面の椅子を向かい合わせにし、同じく飾りを作り始めた。
真剣に紙を折り、黙々とした時間が流れた。
ハサミのシュッという音、紙の擦れ、遠くの笑い声が響き、二人の息遣いが教室を満たした。
やがてひよりがぽつりと口を開いた。
「宇崎君は……あの二人とお付き合いされてるんですか?」
ゆうのハサミがぴたりと止まった。
「えっ……!? あかりさんとみおさんですか? まだお付き合いとかはその……告白は、できてないです」
声が少し上ずり、紙の星を指でいじくった。
少女は眼鏡を押し上げた。
「そうなんですね……ふだんから仲が良さそうなので、お付き合いされてるのかと思ってました」
小さな声に純粋な好奇が混じった。
低身長の体が椅子に少し縮こまった。
彼は深呼吸をし、瞳を真っ直ぐにひよりに向けた。
「今はまだ僕が助けてもらってばっかりで……胸を張って自信が持てたら、皆に告白しようと思ってるんです」
少女の瞳がぱちくりと瞬いた。
「みんな……?」
ゆうは頰をさらに赤らめ、星の飾りを握りしめた。
「はい……あかりさん、みおさん、ゆい先輩、りんさん──みんなのことが大好きなので。みんなに認めてもらえる立派な男になりたいんです」
言葉に月兎人の王子らしい純粋さが滲み、瞳が輝いた。
ひよりは瞳を伏せた。
「いいなぁ……」
彼は首を傾げた。
「えっ……?」
少女の声が小さく震えた。
「私、こんなだから……自分に自信が持てないんです。チビだし根暗だし……実行委員だってみんなに押しつけられて……」
ゆうは立ち上がった。
少女の前に膝をつき、ひよりの手を握った。
「そんなことないです……ひよりさんの手はとても暖かいし──、こうして誰よりも頑張ってます。とても素敵な女性です」
瞳が真剣に少女を映した。
ひよりの頰がぽっと赤くなり、眼鏡が曇った。
「あっ……ありがとう……ございます……」
彼はにこりと笑い、手を離した。
「手始めにこの飾りを完成させて……みんなを驚かせちゃいましょう!」
少女はくすっと笑顔を返した。
「そうですね……がんばりますっ」
二人は椅子を壁際に寄せ、飾りを端から付けていった。
星形の紙が天井に輝き、色とりどりのリボンが壁を彩った。
少しずつきらびやかな教室が形作られ、二人の努力が結ばれそうになる瞬間だった──ひよりが最後の飾りを付けようと手を伸ばした。
教室の空気が静かに張りつめ、彼女の小さな手がゆっくりと天井近くに届きかけたその時だった──。
ぱちん! という小さな、しかし鋭い音が響き、少女の制服のボタンが圧力の限界を超えて弾け飛んだ。
細かな糸の切れる音が続き、柔らかなシルエットが夕陽に照らされ、白い肌がほのかに透けて露わになった。
彼女の体がバランスを崩し、わずかに傾き、慌てて支えようとした手が空を切った。
「あっ……!」
ひよりの声が小さく震え、足元がふらついた。
ゆうは持ち前の瞬発力で即座に飛び寄り、少女の腰を支えるように抱き止めた。
しかし勢い余って、二人は倒れ込み、彼が下敷きになった。
ひよりの体がゆうの上に重なり、彼の顔が少女の体にぽふんっと埋もれた──布地の隙間から覗く波打つ柔らかなシルエットに、穏やかなぬくもりが頰を包み込んだ。
少女の体温が布越しにじんわりと伝わり、甘く優しいシャンプーの香りが鼻腔をくすぐり、心臓の鼓動が静かなリズムのように響いてきた。
その親密な温もりが彼の繊細な感覚を静かに揺さぶり、胸の奥で穏やかな高揚を呼び起こした──ひよりの息遣いが近く、髪の先が頰を軽く撫で、安心感とドキドキが同時に膨れ上がった。
ゆうの体が火照るように熱くなり、心臓の鼓動が耳元で鳴り響き、視界が甘くぼやけ始めた。
「ひゃ……っ!」
小さな吐息が漏れ、体がびくんと震えた瞬間──ぽんっと、可愛らしい音が響き、彼の姿が瞬時に白い兎に変わった。
少女の体に縮こまり、長い耳がぴくぴくと震え、慌てて周囲を見回した。
「あいたた……」
ひよりは体を起こし、眼鏡を直した。
視界に兎が一匹いて、ぱちくりと目を瞬いた。
「えっ……!?」
少女は一瞬固まった。
「う、宇崎君……!?」
ゆうは耳をぺたんと倒した。
「あー、ゆうです……その、先生を呼んできていただければ大丈夫なので……」
ひよりは眼鏡の奥で瞳を潤ませ、慌てて兎を抱き上げた。
「あっ、あっと……怪我は!? どうすればいいの!? 元に戻って……本当に大丈夫!?」
体が震え、混乱の極みだった。
眼鏡がずり落ち、涙がぽろりと零れた。
彼は少女の掌で前足を振り、なだめた。
「大丈夫……安心して。あかりさん達が帰ってきても、何とかなるから……」
ひよりはますます泣き出した。
ゆうを胸に抱きしめ訴えた。
「私に……できることはないの? 何でもするから元に戻って! 本当に大丈夫なの……?」
声が嗚咽に変わった。
眼鏡のレンズに涙が溜まっていた。
彼は少女の涙を見て胸が疼き、頑張ってなだめた。
「本当に大丈夫だからっ……キスすれば、すぐ戻るから……!」
瞳が必死にひよりを映した。
少女は鼻をすすり、呟いた。
「本当に……?」
ゆうを持ち上げた。
眼鏡を押し上げ、おさげを耳にかける仕草で意を決し、深呼吸をした──息が少し震え、彼女の唇が微かに湿り、胸の鼓動が耳まで聞こえるほど速くなった。
彼の小さな鼻息が少女の指をくすぐるように温かく、ひよりの心を溶かした。
唇が兎の口先にそっと重なり、温かな感触が続いた──少女の唇は想像以上に優しく、わずかに震えながらゆうの小さな体を包み込んだ。
ひよりの息が優しく溶け合い、涙の塩気と混ざった湿り気が心の奥まで染み渡った。
口づけが体を光に変え、彼は人間に戻った──白い光がふわりと広がり、床の上に少年の体が現れ、息を弾ませながらゆっくりと目を開いた。
少女の頰が真っ赤に染まり、眼鏡が曇った──唇に残るゆうの温もりが、ひよりの体を熱く震わせ、胸の奥で花が咲くような喜びが広がった。
少女は慌てて眼鏡を拭き、彼の顔をまじまじと見つめ、声が上ずった。
「う、宇崎君……戻った……! よかった……本当に、よかったよぉ……!」
そのタイミングで扉がガチャリと開き、あかりとみおが買い物の袋を抱えて帰ってきた。
「ただいまー! ゆう、ひよりちゃん……大丈夫……そう……?」
あかりの声が途中で止まった。
ひよりは慌てて立ち上がった。
ボタンを直しつつ弁解した。
「こ、これはあの、違うんです……!」
あかりは一人頭を抱え、壁に寄りかかった。
「……五人目だわ」
みおがくすくすと笑い出した。
「やるなぁ! ゆう!」
夕陽が教室のきらびやかな飾りを照らし、文化祭の準備が意外なハプニングで幕を開けた。




