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第69話 はじめての昼休み

 昼休み。


 さつきはいつものように席で参考書を開いていた。


 ページをめくる音だけが小さく響く。


 ——そのはずだった。


「一ノ瀬さん」


 声。


 顔を上げる。


 クラスの女子が立っていた。


 あまり話したことのない相手。


「えっと……この問題さ、ここ分かんなくて」


 ノートを差し出される。


 一瞬、理解が追いつかなかった。


(……私に?)



 前なら考えていた。


 なぜ自分に聞くのか。

 断った方がいいのか。

 嫌われない答えは何か。


 でも今日は違った。


「……ここ、式変えるだけ」


 自然にペンを取る。


 説明する。


 言葉が詰まらない。



「え、あ、そっか!」


 女子が顔を明るくする。


「ありがとう!」


 その笑顔が、まっすぐ向けられる。



 さつきは少し固まった。


「……別に」


 反射的にそう言ったけれど。


 胸の奥が、わずかに温かい。



「また分かんなかったら聞いていい?」


「……うん」


 答えてから、自分で驚く。



 女子が戻っていく。


 周囲の空気は変わらない。


 なのに。


(……なんで)


 嫌じゃない。


 疲れていない。


 むしろ。


 少しだけ——軽い。



 少し離れた席。


 裕翔はその様子を見ていた。


 視線をノートに落とす。


(普通に話してる)


 前なら起きなかった光景。


 リアリテの同期。


 間違いなく影響している。


 分かっている。


 ……分かっているのに。



 女子がもう一度さつきに話しかけて笑う。


 その光景を見て。


 胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。


(……なんだこれ)


 理由は分からない。


 けれど視線を逸らした。



 そのとき。


 さつきがふとこちらを見る。


 目が合う。


 ほんの一瞬。


 安心したように、視線が柔らかくなった。


 そしてまた参考書へ戻る。



 裕翔は小さく息を吐いた。


(……まあ、いいか)


 そう思ったのに。


 なぜか少しだけ落ち着かなかった。



 昼休みは、いつも通り過ぎていく。


 ただ。


 さつきにとっては。


 はじめて「普通」だった。

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