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第64話 帰り道の距離

 夜の空気は、昼より少し冷たかった。


 駅までの道を、二人は並んで歩いていた。


 さつきはスマホを両手で持ったまま。


 画面はもう閉じているのに、しまわない。



 さっき泣いたことについて、どちらも触れない。


 触れなくてもいいと、なんとなく分かっていた。



 足音だけが続く。


 信号が青に変わる。


 二人同時に歩き出す。


 タイミングが揃って、少しだけ可笑しかった。



「……ね」


 さつきが小さく言った。


「ん?」


「これ」


 スマホを軽く持ち上げる。


「消えないんだけど」


「消えないよ」


「消えないの?」


「俺も無理だった」



 さつきは少し眉を寄せる。


「怖いアプリじゃない?」


「最初そう思った」


「今は?」


 少し考えてから、裕翔は答える。


「……まあ、慣れた」



 さつきは小さく息を吐いた。


「慣れるんだ……」


 その言い方が少しだけ柔らかい。


 さっきより声が落ち着いている。



 改札が見えてくる。


 人の流れが増える。


 日常の音が戻ってくる。



「……朝倉」


「ん?」


「さっきの」


 一瞬止まる。


 続けるか迷った顔。


「……忘れて」


「え?」


「泣いたやつ」



 裕翔は少し考えて、


「無理」


 と言った。



 さつきが驚いた顔をする。


「なんで」


「見ちゃったし」


「最低」


「いや別に悪い意味じゃなくて」


 慌てて付け足す。


「なんか、普通だったから」



 さつきは黙る。


 怒ってはいない。


 ただ、言葉を探している。



「……普通じゃない」


「そう?」


「私、あんなの」


 言いかけて止まる。


 続きは出てこなかった。



 改札前。


 二人の足が自然に止まる。


 帰る方向が違う場所。



 少しの沈黙。


 前ならすぐ別れていた距離。


 でも今日は、誰も先に動かなかった。



「……じゃあ」


 さつきが言う。


 けれど体は動かない。



「また明日」


 裕翔が言った。


 自然に。



 さつきは一瞬だけ驚いた顔をして、


 小さく頷いた。


「……うん」



 背を向けて歩き出す。


 数歩進んでから、止まる。


 振り返らないまま言った。



「……ありがとう」



 声は小さくて、ほとんど聞こえなかった。


 でも裕翔にはちゃんと届いた。



 さつきはそのまま人混みに消えていく。


 スマホを胸の前で握ったまま。



 画面の中。


 REALITÉ。



SOC:D → C



 変化は静かだった。


 誰にも気づかれないまま。

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