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第58話 踏み込む理由

 図書館の時計が、午後六時を指した。


 閉館まで、あと三十分。


 周りの席は少しずつ空いていく。


 それでも、一ノ瀬さつきは手を止めなかった。


 ページをめくる音。

 シャーペンの音。


 単調なリズムが続く。


 けれど裕翔には分かる。


 さっきから、同じ問題で三回止まっている。



(集中できてない)


 なのに、やめない。


 休まない。


 まるで止まったら何かが崩れるみたいに。



 裕翔は問題集を閉じた。


 もう、内容は頭に入っていなかった。


 視線が自然と向かいへ向く。


「……一ノ瀬」


「なに」


 即答。


 でも、ペンは止まらない。


「今日さ」


 言葉が続かない。


 聞く理由が見つからない。


 ただ気になった、じゃ足りない気がした。


 沈黙が落ちる。



 その時。


 さつきの手が、わずかに止まった。


 ほんの一瞬。


 指先が机の上で力を失う。


 そして、小さく息を吐いた。


 疲れている。


 それを隠そうとしているのが、逆に分かった。



(……もういいか)


 理由なんて、後付けでいい。


 気になるから聞く。


 それだけで十分な気がした。



「最近さ」


 裕翔はゆっくり言った。


「図書館、ずっと来てるよね」


 ペンが止まる。


 完全に。


 静寂。



「……だから?」


 声は平静。


 でも、少しだけ低い。


「いや、その……」


 逃げ道を探す。


 でも今回は、引かなかった。


「無理してるように見える」


 言った瞬間、自分でも驚いた。


 こんな踏み込み方、今までしなかった。



 さつきは顔を上げた。


 まっすぐ目が合う。


 逃げ場がない距離。


 数秒。


 何も言わない。


 視線だけが揺れる。



「……してない」


 いつもの否定。


 だけど、続かなかった。


 言葉が止まる。


 初めてだった。


 一ノ瀬さつきが、言葉に詰まったのは。



 裕翔の胸が少し強く鳴る。


(今だ)


 そう思った。


 理由はない。


 でも、ここでやめたらダメな気がした。



「じゃあさ」


 一歩だけ踏み込む。


「なんでそんなに急いでるの?」



 沈黙。


 長い沈黙。


 図書館の空調の音だけが聞こえる。


 さつきの視線が机に落ちる。


 ペンを握る手に力が入る。


 そして――。


「……別に」


 小さな声。


 でも。


 そのあとに続いた言葉は、初めてだった。


「……止まりたくないだけ」



 裕翔は何も言えなかった。


 意味は分からない。


 でも。


 その言葉の重さだけは伝わった。



 ポケットの中でスマホが震える。


 REALITÉ。


 画面を開く。



 紹介可能率


 51% → 58%



 また上がった。


 しかも理由は表示されない。


 ただ一行。



 未分類行動:継続検出



(……継続?)


 理解はできない。


 でも、分かったことが一つある。


 この数値は。


 もう偶然では動いていない。



 裕翔はスマホを閉じる。


 向かいを見る。


 さつきはまた問題に目を落としていた。


 けれど。


 さっきより少しだけ、ペンの動きが遅かった。


 誰かに気づかれたことで、

 少しだけ力が抜けたみたいに。



 裕翔は思う。


 リアリテのためじゃない。


 数値のためでもない。


 ただ――。


(もう少し、知りたい)


 その気持ちだけが、はっきりしていた。

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