第17話 間違っていないはずなのに
一ノ瀬さつきは、昼休みになると必ず席に残る。
理由は特にない。
ただ、それが一番楽だからだ。
教室は騒がしい。
椅子が動き、笑い声が重なり、誰かが机を叩く音がする。
いつもの光景。
いつもの距離。
さつきは弁当箱を開き、小さく「いただきます」と呟いた。
誰にも聞こえない声で。
⸻
「さっきの数学やばくね?」
「一ノ瀬また完璧だったな」
「てか先生、一ノ瀬にしか聞かんやん」
近くでそんな会話が聞こえる。
悪口ではない。
笑っている声だ。
だからこそ、反応に困る。
褒められているのか、違うのか。
判断できない。
さつきは箸を止めず、ただ食べ続けた。
⸻
(気にしなくていい)
そう考える。
事実を言われただけ。
問題はない。
何も間違っていない。
⸻
ふと、教室の後ろを見る。
グループで昼食を囲むクラスメイトたち。
誰かが冗談を言い、笑いが広がる。
自然な流れ。
言葉を選んでいない会話。
少しだけ、視線が止まった。
すぐに戻す。
⸻
(別に、羨ましいわけじゃない)
そう結論づける。
必要ではない。
効率的でもない。
昼休みは休息の時間だ。
静かな方が合理的。
だから――問題ない。
⸻
弁当を食べ終え、ノートを開く。
次の授業の予習。
ページをめくる。
文字は読めている。
理解もできる。
なのに、集中が続かない。
数秒後。
無意識に顔を上げていた。
⸻
朝倉裕翔が、友人と話している。
笑いながら、何かを説明している。
相手も笑っている。
会話が自然に続いていく。
途切れない。
努力している様子もない。
ただ、そこにある関係。
⸻
(どうして)
思考が止まる。
すぐに打ち消した。
(関係ない)
自分とは違うだけ。
向き不向きの問題。
それだけ。
⸻
それでも、さっきの出来事を思い出す。
落としたプリントを拾われた瞬間。
朝倉は笑っていた。
意味のない笑顔。
理由の分からない表情。
必要性のないやり取り。
なのに――。
嫌ではなかった。
⸻
(……非効率)
小さく心の中で呟く。
その言葉が、少しだけ空しく響いた。
⸻
さつきはペンを持ち直す。
問題を解く。
答えはすぐに出る。
間違いはない。
いつも通り。
完璧に。
⸻
なのに。
胸の奥だけが、少し落ち着かなかった。
⸻
(私は、間違っていない)
そう確認する。
何度も。
静かに。
誰にも聞こえないように。
⸻
教室の笑い声が遠くで続いている。
その中で、一ノ瀬さつきは今日も正しく過ごしていた。
正しく。
そして、ほんの少しだけ――
ひとりで。
⸻




