上
「ういか!? 大丈夫?」
耳元で聞こえる少女の声。目を開けると、私のことを心配そうに見つめるあおいがベッドのそばに立っていた。
「あおい……、おはよ」
「おはよ、じゃないよ! びっくりしたよ……、ういか急に叫ぶんだもん」
ホッとため息を吐いたあおいは眉間にしわを寄せて頬を膨らませた。
あおいは私の……親友で、ルームメイトかつ同じ部のパートナーだ。
私達の所属しているテニス部は、毎年県大会でベスト4入りをしているほどの実力があり、私とあおいはダブルスでタッグを組んでいた。因みに私達は一回戦敗退が常である。
あおいはショートヘアーのスポーツ女子であり、毎週発売するスポーツ誌の愛読者でもある。周りの生徒からも人望が厚く、バレンタインの日には女子からチョコを両手じゃ持ち切れないほど貰っている。しかしあおいはチョコがあまり好きではない為、ほとんど私が食べることになるわけで、私の体重もそれに比例してゴニョゴニョ……。
昨日、部活中に体調が悪くなり、私は早めに帰ることになった。学生寮は学校から徒歩5分のところにあり、寮を利用する生徒のほとんどがスポーツ推薦入学者である。つまり一回戦敗退常連の私とあおいは推薦入学ではなく、別の理由で学生寮を使用しているということだ。
部屋に着くなりベッドに突っ伏して、気付けば朝になっていた。寝付けないことはよくあるが、寝言で叫んだのは初めてだった。
「私、何叫んでたの?」
「お母さんって」
「……まじ?」
「まじ」
「まじか」
「まじじゃ」
どうやら昔のことを思い出していたらしい。
懐かしいあの声。懐かしいあの家。懐かしいあの日……。
今はもう、ない。
あおいは私をじっと見つめた。
「ん? 何? あおい」
「ういか……、もしかして今日……」
「……うん、そう」
「だからか」
「何が?」
「気付いてないの? あんたいつもこの日に体調悪くなってんだよ?」
「……え」
どこか寂しそうな表情のあおいは何かを言おうと口を開けるが、何も言わずそのまま学校へ向かった。
私は着替えが済むと、20分かけて最寄りの駅へ向かい、電車に乗り込んだ。
3時間弱走り続けた電車は白く美しい雪原に停車した。赤いジャンパーに包まり、手袋を部屋に忘れてきてしまったことを後悔しながらも、私は一年ぶりの定食屋で軽めの昼食を取り、墓地に向かう。
「お母さん、一年ぶりだね。元気だった? 私は元気だよ。去年同様今年も大会は一回戦負け。あおいとダブルスしてて気付いたんだけど、多分私あおいの足手まといになってるんだ。私がへたっぴだからいつも負けちゃうの。
はあ、なんか憂鬱な気分になっちゃう。あ、けど部のみんなはそんな私にも優しくしてくれるし楽しいんだ。
あ、そうそう! あおいがね、先週男の子に告白されたんだよ! びっくりしたよ。だって学校帰りに突然『一目惚れしました!』なんて言われるんだもん。
けど……あおい断っちゃったの。
実はね、あおい好きな人いるんだって……。ここだけの話ね?
そういえば今日ね、お母さんの夢見たんだよ。どんな夢だったかは覚えてないけど、あおいが言うには私『お母さん!』って叫んだみたいなの。あはは! まだまだ私は親離れできてないのかも。
……。
……………。
ねえ、おかあさん……、ういか、さみしいよ」
11年前の今日、母は亡くなった。白血病を患っていたのだ。その瞬間はあっという間だった。お別れを言う暇さえ与えてくれなかった。
物心つく頃には私はあの屋敷で暮らしていた。なんでもあそこは祖母の家だったらしく、祖母が亡くなった後に母が引き継いだ形になったらしい。あの屋敷は何もかもが場違いな建物だった。母に訊ねても「おばあちゃんはね、実は魔女だったの」なんてからかわれるだけでなぜこんな屋敷に住んでいたのかは何も教えてくれなかった。近所の人達やクラスメイトが母のことを魔女と言う原因はきっと母自身にもある。それなのに母は笑って済ます。そんな母に腹を立てていた。どうして魔女なんて言われても平気でいられるのか。
私は……母のことが分からなかった。全然分かっていなかった。
「変わんないな」
墓地からそう遠くない場所にこの町で唯一雪が積もらない不思議な不思議なお屋敷がある。それが私の実家である。
見れば見るほど確かに不思議だ。奇妙だ。不気味だ。こんな所で暮らしていれば魔女なんて言われても仕方がない。
屋敷は古びた塀に囲われていて、その向こうから雪は積もらなくなっている。草が生い茂り、枯れ葉が散り、まるで冬になる前の秋の様。相も変わらずカラスが鳴き叫び、屋敷に近付くにつれカラスの視線が鋭く突き刺さる。
屋敷の扉を開けるとブワッと嫌な匂いが吹き抜けた。
直接的な匂いというよりは、その場所に染み付いた記憶の匂いとでもいうのだろうか。あの日の……母が亡くなった時の……。
いつ底が抜けてもおかしくないそんな床をゆっくりと進んでいく。
ギシギシと木の軋む音がうるさい。
二階建てのこの屋敷は、一階にリビング、浴槽、倉庫、空き部屋兼客室があり、二階に私の部屋と母の部屋、そして空き部屋がひとつ。母が病気になってからは一階の客室にベッドを置き、そこで看病をしていた。
客室は6畳ほどの小さな部屋で、入って正面に大きな窓がひとつ。天井には小さなシャンデリアの様な綺麗な照明器具がぶら下がり、その真下にベッドが置かれていた。
今では、破れた窓ガラスが床に散乱し、ホコリの溜まったベッドの上には小さなシャンデリアが落ちて無惨な姿になっていた。11年も放置されていればそうなるのも無理はない。
私はシャンデリアをどかし、ホコリを払ってベッドに腰を下ろした。
宙を仰ぎ、ホコリが舞っていることも忘れて深く深呼吸をする。
「昔は広く感じたけど、こんなに狭かったんだ」
廃墟と化した私の家。母が亡くなり、身寄りがいなくなった私は施設に引き取られた。あおいと知り合ったのはその時。
あおいは捨て子だった。だから両親の顔さえ知らない。けれどそんなこと気にもせずにいつも元気いっぱいだった。
母の死を受け入れられず、優しく迎えてくれた施設の人達にもきつく当たっていた私にまで、彼女のその空回りとも言える元気さは影響を与えた。
すぎたことをどうこう思っていても仕方がない。両親に捨てられても元気でいられる彼女の前で、母との想い出がたくさんある私が哀しんでいたらいけないと思うようになった。
けれど私は知っている。あおいの元気は寂しさの、哀しさの、裏返しなのだと。だから私があおいの両親が与えるはずだった『 』を与えようと決めたのだ。
あおいは……母が私に与えてくれたおくりものだから。




