エピローグ1
目が覚めると、そこには知らない天井があった。
体を起こし、茫然と自分の手を見る。
「なんだ、起きたのか」
と、横合いから声。
よく知っている声に、俺は顔を歪めた。
「結月……」
「そうだ、愚弟よ。お前の素晴らしき姉である折無結月だ」
保険教師でもないのにデスクの前にある回転椅子に腰かけ、キィと音を鳴らしてふんぞり返っていたのは、間違いなく我が姉でありこの鳳城学園の副生徒会長でもある折無結月だ。
そう、ここは保健室だった。
俺はベッドに寝かされており、よくよく見てみると体中に簡単な処置が施されている。
殴られた時に負った怪我だろう。
傷は頬の殴られた痕のみで済んでいるわけではない。吹き飛ばされた際に体のあちこちをぶつけたのだ。思いっきり地面にぶつかった右半身には、湿布や絆創膏などが目立つ。
状況を確認するためにキョロキョロと周囲を見渡してみる。
窓の外はもう夜の帳が下りていて、すっかり暗くなっている。壁にある時計を見てみると、時刻は六時半を回ったところだ。
保健室の中には俺と結月以外の人影はない。まぁ、とっくに下校時刻は過ぎているのだ。家族であり副会長でもある結月は特例措置が認められたのかもしれないが、他のヤツらは全員帰ってしまったのだろう。
べ、別にお見舞いに来てほしいとかそういうわけじゃないんだからね!!
それにしてもあれから一時間半程度しか経っていない。
だいぶふらふらで最終的に気絶するほどの重症だったと思うのだが、こんなに簡単に目を覚ましてしまったいいのだろうか?
「軽い脳震盪だったらしいな」
そんな俺の疑問に答えるように、結月は言った。
「安心しろ、後遺症はない。ふらふらだったのは、本来気絶していたところを気力で立っていたからだったらしい。まったくお前は少年マンガの主人公か?」
なにそれ俺そんな状態だったの?
しかし軽い脳震盪とは軽傷なのやら重症なのやら。正直ふらふらだった時は脳の血管がやられたんじゃないかとかちょっとやばいことも想像したが、思ったより大丈夫そうで安心した。
調子を確かめるように右手をグーパーしている俺を見て、結月は微笑む。
「とにかく無事でなによりだ。それと今回の件、よく頑張ったな」
うわなんかすっごい普通に褒められた。
普段が普段なので、こういう風に褒められると正直ちょっとキモい。というか結月が俺を褒めたこととか一度もなかったのではないだろうか。べ、べつにうれしくなんかないんだからね!!
どう反応していいのかわからず難しい顔をしたまま目を逸らす。
すると結月は愉快そうに笑った。
「照れるな愚弟、これでも私は関心しているんだぞ」
「別に照れてねーし」
なんとも微笑ましい光景である。つい数時間前まで修羅場にいたというのに、この時間のなんと穏やかなことなのだろうか。
このままこの時間を満喫するのも悪くはなかったが、今は気になることがありすぎる。
というわけでここからは事後処理の時間だ。
「それで結月、あの後どうなったんだ?」
ふむ、と結月は笑っていた顔を引き締める。
「そうだな、お前は知っておいた方がいいだろう。お前が体育館三階で倒れた後、すぐに私のところに連絡がきた。それでお前は保健室に運び込まれたわけだが……」
「いやそういうのじゃなくて、もっと選挙に関わる問題をだな」
「急くな、これも情報の一つだ。お前は保健室に秘密裏に運び込まれたんだ。選挙の裏側で暴力沙汰があったことが露見しないようにな。周囲の者達には単なる過労だと説明している」
なるほど、それは確かに知っておく必要があるな。俺が倒れた時には三階に数人の生徒がいたわけだし、その中でこの件を知らないヤツだっているかもしれない。俺が倒れたところを目撃したヤツが万が一にも質問してこないとも限らないしな。
あの時三階は薄暗く、俺が倒れたところを見たヤツはいたかもしれないが、頬の痣までは見られていない可能性はある。もっとも、見たヤツがいたとしても結月がうまくやったのだろうが。
この件はなるべく外部に漏らさないようにしなければならない。
誘拐犯の上垣達を捕まえる際に編成された突入部隊十数名は仕方ないとして、それ以外の生徒に知られることだけはなるべく避けたい。理由は前にも説明した通り、あまり大事にしたくはないからだ。
「で、ここからがお前の知りたい情報だ。まず確保した上垣をリーダーとする誘拐グループ五名だが、ひとまずお前に気絶させられた上垣はあの後すぐに目覚めた。さすがに運動部というだけあってタフなヤツだ、気絶までしたというのに、顎に湿布を貼る程度で済む軽傷だったよ」
なんだろう単にこれまでの鬱憤を晴らしたいって理由で殴っただけだから大怪我をしてなくて良かったといえば良かったんだけどすごい複雑な気分。
「その後、五人を生徒指導室に連行。ヤツらが所属していた陸上部の顧問教師立ち合いの元で事情聴取を行ったが、ヤツらは何も吐かなかったよ。様子から察するに、誰かが彼らに雨桐の誘拐を命じたのだとは思うがな」
「サッカー部の菅原じゃないのか?」
「おそらく違うだろう、アイツはそういうことを計画的にできるヤツじゃない。もっと直感的で、短絡思考の持ち主だ。とにかく、五人は十分反省しているようだったから一度釈放したよ。私が教師に掛け合って、とりあえず謹慎二週間という処分が下された。もちろん、彼らの保護者にも電話で説明済みだ。後日詳細な話をしなければならないだろうが、それは職員の仕事だろう」
思ったよりも軽い処分になったものだ。
結月の掛け合いがあってこそなのだろうか。そうだとしたらこの副会長は一体どれほどの権力を持っているのやら……。
「次に選挙の方だが、運動部から数十名ほど抗議があったよ」
「まぁそうだろうな」
今回の部会長選挙は菅原が圧倒的優位の状況で行われたもので、相浦先輩の勝ち目はかなり薄いものであった。
また、当選者を発表する際、伝達ミスによって最初は菅原が当選したという宣言をしようとして、直前で変更があって相浦先輩の当選が確定した。
何かがおかしいと思う者もいただろうし、そうでなくても期待させておいて落とされたということに憤りを感じていた者もいただろう。単に文化部代表の相浦先輩が当選したことを良く思わないヤツだっていたに違いない。とにかく、なにかしら抗議は来て当たり前だ。
「もちろん、部会長が相浦ということは既に決定事項だ。この後一週間程度の内に何か不正行為の痕跡でも見つからない限りは、この決定はねじ曲がらない」
不正、ね。
もちろんこの選挙は不正も不正だ。
最後に俺が魔法によってスクリーンに映された画像を書き換えたことからもわかるように、いくつもの細工によって相浦先輩に勝利を掴ませた。
「とりあえずこちらからは以上だ。さて、次はそちらが答える番だな?」
その細工について、結月に説明しなければならないわけだ。
「まずどうやって誘拐された雨桐の軟禁場所を特定した?」
しばしの間を置いて、俺は観念したように息を吐く。
隠していたところで仕方がない。どうせ後にバレることはわかっていたのだ。ここで吐いてしまうのが一番手っ取り早いだろう。
「九の魔法を使っただけだ」
「ふむ、沙奈の魔法はあの子の魔力波でマーキングしていない対象に関しては、集中した状態で半径三十メートル程度しか探れないと記憶しているが」
「そうだな、だからその半径三十メートル程度の場所に目星をつけたんだ」
もちろん、それは容易な話ではない。
数少ないヒントの中から雨桐が「大体どこら辺にいるか」を予測し、確実に半径三十メートル以内にはいるだろうという場所を特定しなければならかった。
確かに、あの時与えられたヒントのみで雨桐の軟禁されている場所を特定するのは不可能だったが、少し考えれば雨桐がどこらへんに軟禁されているか程度のことは簡単にわかった。
「雨桐はホームルームが終わった後、真っ先に体育館に向かっていたらしい。で、今日の一年一組のホームルームはかなり早く終わったらしくて、つまり雨桐はおそらくだが全校生徒の中で一番早く体育館に向かったってことになる」
「ふむ、それで?」
「その条件だと雨桐を誘拐するチャンスはいくらでもあった。なんせ一番最初に体育館に向かっていたんだからな。他の生徒は全員ホームルーム中で、雨桐が通るはずの廊下や連絡通路には人気がない。となればどの場所でも誘拐できる可能性が浮上する。だが、考えてみれば誘拐グループはどうやって雨桐が一番最初に人気のない時間に雨桐が体育館に向かって来るということを知ることができた? そうじゃない、ヤツらもどのタイミングで雨桐が体育館に来るかわからなかったはずだ」
「確かに。普通であれば雨桐も他の生徒達に交じって体育館に向かって来るということを前提に考えるのが妥当だ。よもや人気のある廊下や連絡通路付近で誘拐しようなどと考えるバカはいるまい」
「ああ、だから雨桐が体育館に来る途中にルートで、人気のない場所はどこかを考えた。すると、一つの場所が思い当たる」
「なるほど、外周通路か」
体育館脇にある外周通路。
ここは今日、関係者のみが立ち入れるスペースになっていた。
ホームルームを終えた雨桐は、廊下を通って二階へ、そして連絡通路を使って体育館に向かったのだろう。
問題はその後。
彼女は生徒会の関係者なので外周通路を使って三階へ上がろうとしたはずだ。
外周通路は確かに関係者以外立ち入り禁止ではあったが、特別見張りが立っているというわけではなく、普段と同じく入ろうと思えば一般生徒でも立ち入れる状態になっていた。
となれば誘拐犯達が立ち入ることは可能。加えて関係者以外はこの通路を利用しないので、人気も少ない。万が一見つかったとしても、制服を着ている生徒が外周通路にいても、そいつらの顔を知らない関係者達は「この人達も関係者かな?」と少し疑問を抱く程度で、深く関わろうとはしないだろう。
あとは雨桐がやってくるのを待つだけ。少々予定外だったのは雨桐がかなり早くにやってきたことだろうが、むしろ雨桐と同じタイミングで外周通路を通ってくる者がいなかったことは彼らにとって好都合だったのだろう。
また、万が一雨桐と同じタイミングで外周通路を通ってくる生徒がいたのならば、一時的に雨桐を呼び止めてほんの少し会話をし、生徒が通り過ぎた時点で確保すればいいだけの話だ。よほど外周通路の通行量が多くない限りは成功率は高いだろうし、そもそも関係者は体育館内にある舞台脇の小部屋にあるはしごを使って二階と三階を行き来する者が大抵だったので、外周通路を使う者はかなり少なかった。まさにうってつけの環境だったといえるだろう。
「外周通路を使ったのなら誘拐犯達の行き先は大体予想ができる。まず人一人を抱えているわけだからあまり遠くに行くことはできない。ってことは外周通路の階段を使って下に降り、そのまま体育館裏手にあるどこかの施設に逃げ込んだか、あるいは体育館内部かのどちらかだ」
そこまで絞り込めば、体育館周辺(特に後部付近)が三十メートル以内にすっぽりと収まるような場所で九に魔法を行使してもらえば、雨桐の居場所は特定できる。
あとは結月も知っての通りだ。雨桐の居場所を特定した俺は、九に報告を任せて単身舞台下倉庫へと駆け付けた。
「なるほどな」
報告を聞いて満足気に頷く結月。
「我が弟ながら大したものだ、多少の荒は目立つが、改めてよくやったと褒めておいてやろう」
「そうかよ、じゃあありがとうって言っておいてやるよ」
皮肉めいた返しをすると、結月はくすくすと笑う。
なんとも穏やかだ。こんなやりとりを結月とするのは何年ぶりだろう。というかこれも初めてかもしれない。
「しかし、すまなかったな」
唐突な結月の謝罪。
先程まで笑みを絶やさなかった結月が、ここで初めてシリアスな雰囲気を纏う。
「もう少し早く突入部隊の準備が済んでいれば、お前に怪我をさせずに済んだのだが……」
そのことか、と俺は心の中で呆れ混じりの息を吐く。
「んなもん気にすんな、むしろ九が報告に行ってから突入部隊が舞台下倉庫に駆け付けるまでそう時間はかからなかった。十分早かったと思うけどな……?」
言葉尻が疑問形になった。
結月に向けたものではない。
違和感。
「いや、待て」
湧いて出てきたそれは、小さな穴だったかもしれない。
だが、小さな蟻の巣がダムを決壊させるように、認識してしまった違和感は、次々とある疑問を浮き彫りにしていく。
まったくもって簡単な話だ。
雨桐の誘拐現場を推理する時、前提として「雨桐が一番最初に教室を出た」という条件を当てはめてしまったように。
この前提によって、俺は雨桐が人気のない廊下を歩き、結果誘拐犯はどこでも雨桐の誘拐を実行可能であるという風に考えてしまった。
それと同じだ。
前提からまず間違っている。
雨桐の居場所を突き止め、俺は舞台下倉庫へと向かう。九は結月に報告するために体育館三階へ向かい、結月はそこで雨桐の居場所を知る。
ここまでは間違っていない。
だが、問題はこれより以前にある。
「結月、どうして突入部隊の編成を九の報告を受けてから行ったんだ?」
硬直。
この言葉を受けて、結月は驚愕でも、焦りでも、憤怒でもなく、ただ無表情を顔に張り付けていた。
質問の意味。
結月は突入部隊の編成を九の報告を受けてから行った。そうであるなら確かに舞台下倉庫に駆け付けるまで多少の時間がかかってしまうことも頷ける。実際、あの時俺はそれくらいの時間はかかるだろうと予想して単身雨桐の軟禁場所に乗り込んだのだ。
今にして考えれば、あの時の俺は冷静ではなかったのだろう。
雨桐の居場所を突き止めることに精神力を削った直後であり、差し迫った時間に追われている身でもあった。
それだけに多大な焦燥を抱え、判断力や思考力が低下していたとしても無理はない。
では、冷静であったなら。俺は次のように考えるだろう。
折無結月は完璧な人間だ。故に。
「事前に雨桐が誘拐され、軟禁されていることを知っていたお前なら、その救出に向かうために人手が必要なことは予想できたはずだ。なら、俺と九が雨桐を探している間に突入部隊の編成を済ませておくのが、一番効率的な方法だろ」
このような些細なミスが、折無結月に許されていいわけがない。
いいや、結月に限ってこんな簡単なミスは絶対にありえない。
本来なら九が報告に向かった時点で突入部隊の編成は整っているはずであり、俺が時間稼ぎに上垣達とやりとりをしている間に舞台下倉庫に駆け付けることはできたはずだ。
むしろ、ミスを犯したのは俺だ。
もしもあの時そこまで予想できていたのなら、単独行動ではなく結月との合流を計るべきだった。そして突入部隊と共に雨桐の軟禁場所に駆け付け、そして上垣達と対面すべきだったのだ。
そこまでできていたのなら、俺はこんな無駄な傷を負わずに済んだだろう。
もちろん、これは自業自得の話だ。故に結月を責めていい理由にはならない。それに、結果的には結月は(おそらく)九が報告に行くまで意図的に突入部隊を編制していなかったのだから、俺の選択は正しかったのだろう。
だが、俺の中で湧き上がる怒りは、それだけが理由となっているわけではなかった。
「そもそも、今回の件はおかしい点が多々あった。最初にアメフト部の連中が襲って来た時、どうしてアイツらはそんな危険な手を取った?」
確かに、運動部というだけあって暴力にも多少の自信はあったのだろう。だが、それにしたっておかしい。
多少腕に自信があるからといって、雨桐のことを尾行し、隙あらば筋力にものを言わせて脅しをかける。そんな度胸のある学生が今時いるものだろうか?
極めつけは雨桐の誘拐事件だ。
これはやりすぎにも程がある。なにせ立派な犯罪行為だ。たかが学生の取り決めである部会長の座を手に入れるためだけにそんな暴挙に及ぶとは到底思えない。
俺の思っているよりも今時の高校生は度胸がある、または単にバカだったと言われてしまえばそれまでだが、少なくとも誘拐グループの頭角である上垣は俺の脅しを含めた説得に恐怖を抱いて自分の行為を後悔していたし、また俺を一発殴りはしたものの最終的には雨桐を開放する方針で話が固まっていたことから懸命な選択ができる程度の人物でもあった。
その上垣が一般以上に度胸があってバカだったと言われても納得し難いものがある。
「最初は、裏で手を引いているであろう菅原竜太郎か、あるいはそれ以外の誰かがとんでもないバカなんだと思っていた」
「……」
「でも、単なるバカが考えた計画にしてはある程度現実味を帯びている。雨桐がアメフト部の連中に襲われたのは校外の、人気のない場所だった。それも、俺が意図的にその場所に行かなければ襲ってくる気配すらなかった。バカなら手っ取り早く校内で済ませようとするはずだ。あの日は日曜日で生徒はほとんどいなかったわけだしな。人気のない場所は校内にいくらでもある」
尾行に、人気のない場所での強襲。妙に慎重な動きだ。ただの脳肉ゴリラならそんな回りくどい方法は取らないだろう。
「誘拐の件に関してもそうだ。予め人気のない場所をリサーチし、計画性をもって実行に及んだ。それに―――」
これが一番気になっていたことだ。
未だ無表情を保ったままの結月に、俺はその疑問を突き立てる。
「どうしてヤツらは雨桐が一人で外周通路を通って三階に向かうことを知っていた?」
雨桐は軽音部の部員だ。相浦先輩とも仲がいいし、脅しの材料としてはうってつけだろう。
だが、親密な仲だからといって雨桐がどこまで深く生徒会と関わっているかというところまでは運動部も知り得なかったはずだ。実際、上垣に俺が雨桐に依頼されたことを説明した時、ヤツは明らかに初耳といった様子をしていた。
相浦先輩は軽音部の部員全員とある程度仲がいい。今日も相浦先輩が三階に来た時には二人の部員が同行していたわけだし、それは証明できる。さらに、同じ軽音部の部員でも二階で設営を手伝っている者もいた。
であれば、雨桐も相浦先輩に付き添わず、連絡通路からそのまま体育館内に入り、設営を手伝っていた可能性だってある。
ではヤツらはどのようにして雨桐が三階に来ることを知ることができたのか。
偶然通りかかった軽音部部員を捕らえようとした可能性はある。雨桐は一人だったし、恰好の獲物ではあっただろう。
それにしては、誘拐グループの作戦はあまりにも雑である。いかにアホでも、軽音部部員が一人必ず通りがかるだろうなどと考えて誘拐計画を実行するものだろうか。
あるいは実行するかもしれないが、雨桐が一人で外周通路を通るという情報を事前に知っていたことを前提とする誘拐計画であるなら、ある程度筋の通ったものだった。むしろ、そうでないとするなら逆に違和感があるくらいだ。
ここ数日雨桐にのみ注目してきた俺は、軽音部で一年一組に所属しているのは雨桐のみだと知っている。そしてそれは他の生徒会役員も同じだ。
そして雨桐はバカ正直なヤツである。その性格から他のクラスの軽音部員を待って一緒に体育館に向かうようなタイプではなく、たとえ一人でも一刻も早く体育館に到着することを考えるようなヤツだ。
少なくとも雨桐を一週間程見ていることのできた俺は、そのことを知っていた。そして、他にそんな雨桐の性格を読み取れるような人物は、俺の知っている限り一人しかいない。
また、ヤツらはまるで雨桐にのみ狙いを絞ったかのように嫌がらせをしてきた。なにせ雨桐以外の軽音部部員は、何の被害にも遭っていないのだ。
偶然という一言で片付けることはできる。だが、最後の疑問がそれを許さない。
「それと」
息を呑む。
俺の予想はおそらく正しい。
できるならばそうであってほしくない。偶然という言葉で片付ければ全てが綺麗に収まる。
それでも、俺の口は止まらず。
「なんであいつらは職員が管理しているはずの舞台下倉庫の鍵を持っていたんだ?」
最初からおかしいとは思っていた。
偶然にしてはできすぎている。
あるいはマンガでよくあるように、俺の知らない物語の果てにその鍵を手に入れた者がいたのかもしれない。
だが、鳳城学園の管理体制は思っている以上にしっかりしている。
なにせ今期の生徒会副会長がこの折無結月なのだ。特定の生徒が許可もなく校内にある重要区域の鍵を持つなどという違反行為を許すはずがない。
それに、俺が舞台裏倉庫に入る時に開けた鉄扉は、長い間使われていなかったかのように錆びついていた。もし生徒があの場所をプライベート化していたのならば、何度か扉を開け閉めしていてもおかしくはないはずだ。錆びはあれど、程度はもう少しマシでなければならない。
即ち、あの鉄扉は長いこと放置されていたと考えるのが妥当だ。そして、事件当時は舞台下倉庫に入るために体育館外周通路にあるあの鉄扉以外に雨桐を中に運び込むルートはなかったはずだ。
つまり、誰かがあいつらに舞台下倉庫の鍵を渡した。雨桐の誘拐に加担していたということになる。
そして、それができる人物は。
これら一連の事件を企て、ヤツらに入れ知恵し、そして協力できるほどの力を持った人物といえば。
ゆっくりと、その心当たりに目を向ける。
可能性の一つにすぎない。だが、それはあまりにも大きな可能性だ。
なぜなら、舞台下倉庫に向かう俺に鍵を渡したのは、他ならぬ―――、
「結月?」
嗤っている。
その笑みは、嘲笑でもなく、苦笑でもなく、ただ歓喜に満ちたものだった。
「―――合格だ」
嬉しそうに、千尋の谷に突き落とした獅子の子が這い上がってきた様を見て喜ぶように、結月は言う。
「まったく、我が弟ながらそこまで辿り着くとは末恐ろしいものだな。そうだ、この一連の事件は私が企て彼らに実行させた」
「……何のために?」
「そんなことはわかりきっているだろう?」
予想はできている。
だが、結月はまるで答え合わせをするかのように、その推論を並べていく。
「二回の事件は、どちらも雨桐弥生を狙ったものだ。そして、弥生はお前たち補助委員の依頼主でもある。運動部連中にとっては弥生の価値はそれほど高くないが、お前たち補助委員は弥生に危機が迫った場合、他の軽音部員よりも『守らなければならない』という使命感がより重くのしかかってくる。違うか?」
「……」
「使命感に駆られたお前たちは、そのためにより力を発揮せざるを得ない。故にこそ弥生がターゲットになった。簡単な話が、私の目的は弥生ではなく、お前たちの方だったというわけだ」
雨桐の後ろにいた、補助委員。
運動部連中は相浦聖奈の背後に生徒会というバックアップがついているという認識だっただろう。だが、今回の選挙は実質的に、俺と九―――生徒会補助委員を後ろ盾にした、雨桐弥生の戦いだった。
そのことを知っているのは他でもない生徒会補助委員である俺達と、依頼主である雨桐、そしてそれに協力する軽音部と生徒会だけだった。
そして、俺達補助委員は敵が運動部であると認識していた。故にこの一連の事件の犯人は運動部の誰かという結論が真っ先に出てくるのも仕方がない。それが認識をスライドさせた。
いつの間にか俺達はこの選挙が軽音部と運動部の戦いであると思い込んでしまったのだ。もちろんそれは正しいが、そう考えてしまえば身内に真犯人がいると突き止めるのはかなり難しくなる。
折無結月はそれを利用した。実に狡猾で、かつ合理的な手腕だ。
「何のために?」
その答えも俺の中で推論ができている。
だが、あえて訊ねてみようと思った。この事件の真相、その答え合わせをするために。
にやりと笑った結月は、律儀にもその答え合わせに付き合う。
「お前たちの力を見るためだ」
「俺達の力……?」
「当然だろう、補助委員を企画、設立したのは私だ。いわば私は顧問のような存在で、お前たちがどれくらい役に立っているのかを知りたいと考えるのは至極真っ当だと思わないか?」
つまり、今回の事件は俺達の力を見るためだけに引き起こされたもの。
なんだそれは。
本当に、たったそれだけのために、雨桐はあんな目に遭ったというのか。それだけのために、俺はあんなに頑張ってしまったというのか。
込み上げてくる怒りをさらに煽るように、結月は続ける。
「その点で、武月、お前は合格だ」
「……は?」
「一度目の事件で弥生を見事無傷で守り切り、その上で敵勢力の総数を削る算段まで立てていた。その後少し怪しい部分もあったが、今日の誘拐事件で短時間で弥生の軟禁場所を探し出し、さらに首謀者である上垣の説得にも成功している。さらに不可能であると思われた聖奈を部会長にする件に関しても、若干の邪道を用いはしたものの勝利へと導いた」
楽しそうに、いや、嬉しそうに結月は言葉を並べていく。
「十分だ。だからこそ私はよくやったと褒めよう。魔法を使い、不可能な案件を成功に導く。これこそ私が補助委員に求めていたものだ」
その一方で、と結月は前置きして。
「沙奈は不合格だろう」
淡々とした口調だった。
さして興味もないものを評価するかのように、結月は無表情で語る。
「確かに沙奈は頑張った。たった一週間の選挙活動において、効率的な手段を用い、軽音部を後押しし、もう少しで五分五分の状況にまで持っていけそうな状況まで選挙の情勢を動かした」
その九の手腕は、確かに見事なものだった。それは誰の目から見ても明らかだ。
「だが、逆に言えばそれまでだな」
それを、結月はばっさりと切り捨てる。
「卑怯な手を使えとは言わないが、正攻法だけで『そこ』止まりでは先が思いやられる。そういう意味で、沙奈は私の期待には応えてくれなかったよ。自分の魔法もうまく使えていなかったようだしな」
「九の魔法は選挙の情勢を動かすために利用できるようなもんじゃねぇだろ」
「確かにそうかもしれないが、弥生が誘拐された時、その捜索に時間がかかってしまったのは何故だ?」
その質問に、俺は口を噤んでしまった。
反応を見て、結月はほくそ笑む。
「そうだ、沙奈が弥生に魔力波によるマーキングをしていなかったからだ」
九の魔法『探知』は、捜索対象に魔力波を浴びせることによって、対象が数キロ先にいても探し出すことができる力だ。
だが、魔力波によるマーキングを行わずに特定の物体、人物を探知しようと思えば、自身から半径三十メートル程度までのものしか探れない。
もしも、九が万が一を考え、事前に雨桐や軽音部のメンバーにマーキングを行っていたなら。
雨桐が誘拐されたあの時点で、九は魔法を行使して校内の探知を行えていたはずだ。仮に校外に連れ出されていたとしても、雨桐の居場所はものの数分で発見できていたことだろう。もしそうだったなら、余計な時間を消費して俺が推理を行う必要もなかった。
「今回の選挙で聖奈が勝てたのは、お前と沙奈が力を合わせた結果だ。沙奈が聖奈の支持率を四割近くまで上げたおかげで、大衆に『もしかしたら相浦聖奈が勝てるのではないか?』という希望を抱かせることができた。そして、大衆がその可能性を抱いていたからこそ、お前があのスクリーンに魔法を使って偽の得票数を映していても、違和感を最小限で済ますことができた」
あの時、体育館で俺が行った最後の仕上げの真相。
結月の言う通り、それこそが俺が行った「邪道」だ。あれは不正以外の何でもない。九が築き上げた「可能性」を利用し、より違和感なく「相浦聖奈がギリギリの逆転勝利をした」という事実を捏造したに過ぎない。
そう、司会進行役の女子学生が最初に菅原竜太郎の勝利宣言を行おうとしてしまったのは、伝達ミスでも何でもない。
今回の部会長選挙の勝者は、間違いなく菅原竜太郎だった。
菅原竜太郎は百七十一票。相浦先輩は百三十票。
それが今回の選挙の正しい結果だ。
「お前の計画は沙奈の努力を元にしたものだったが、それでもこれはギリギリの結果だ。沙奈がもう少しうまく立ち回れていれば、あるいは不正など行わずに聖奈を勝利に導くことができたかもしれないな」
まったくもってその通りだ。
九はその辺の保険をかけていなかった。
これは慢心に他ならない。
いや、そもそも彼女は未来にあるかもしれない危険の可能性を考慮する能力が低いのだろう。
決して悪いことではない。おそらく九の危険察知能力は、一般人とそう変わらないだろう。単に、俺や結月が過敏すぎるだけだ。
それでも、この能力は持っておかなければならない。補助委員のような組織に属するなら必要不可欠ともいえる。
結月はきっとそのことを指摘した。今回の件で俺と九に差があったとするなら、間違いなくそれだから。
だが、それでも。
「……それでも、あんまりだろ」
若干の間を置いて俺の口から漏れたのは、悲嘆の声だった。
「今日の最初に体育館の三階に集合した時、お前は九のことを褒めてただろ?」
「一般の範疇でだ。私が沙奈に苦言を呈したのは、魔法使いとしてこの結果が不十分だったという点だ」
「一般の範疇で十分だろ。九は必至だった。必死に雨桐の力になりたいと願って頑張ってた。俺はそういうのはなかったけど、依頼を果たすために奔走した。頑張ったかどうかを自己評価することはできないが、それでも努力はしたつもりだ」
天を仰ぐように顔を上に向け、目を手で覆う。
涙が流れたわけではない。悲しいというわけでもない。
あるのはやり場のない怒りと、それを強引に押しとどめた結果出てきた嘆きだ。
「なのに、全部がお前の手のひらの上だったなんて、そりゃねーよ」
「そうか」
結月に反省をしている様子はない。
これ以上こいつと話していたくなかった。
ベッドから体を出し、立ち上がる。倒れる前はふらふらだった体も、今はだいぶ回復したのか歩ける程度には力を取り戻していた。
無言で歩き、結月の前を通過する。
「ああ、そうそう」
そうして扉の前に立ったところで、結月は思い出したかのように口を開いた。
「選挙が終わった後、事後処理を行っている時に少々変な報告を受けてな。なんでも、選挙に使われた投票箱がなくなっているだとか」
「……」
「あと、プロジェクター用に使っていたPCを操作していた者から、PCの画面に映っている投票結果とスクリーンに映っていた映像が違っていたという報告もあった。確認のためにPCを見に行ってみると、何の異常も見つからなかったわけだが」
「何が言いたい?」
「さてな、不思議なこともあるものだと思っただけだ」
結月が行ったのは、報告。
別にコイツにされずとも後でその報告は別の人物から受ける手筈になっていたのだが、まぁいいだろう。
それにしても、本当に気に食わない。
折無結月は全てが見えている。
故に万能。彼女に失敗はなく、成功のみを収め続ける怪物である。
「そうかよ」
吐き捨てるように言って、扉を開ける。
外に一歩踏み出したところで、どうしても我慢できずに立ち止まった。
「俺からも一つだけ言っておく」
数年間、結月とはろくに会話もしたことがなかった。
だからこそ、忘れていた。
「お前を一度でも見直した俺がバカだったよ」
扉を閉め、蛍光灯が暗闇をかき消す廊下を歩く。
俺は昔から結月が嫌いだった。
そして、折無結月は昔からこういう人物だった。
人を常に自分の手のひらの上に置いておくような存在。
圧倒的な高みにいて、常に人を見下している。だけど、そのことに罪悪感を抱かない。
その上で、手のひらの上にいない人々のことは幸福にする。結月の手駒である手のひらの上の人を使って。
そんな結月のことが、俺はこれ以上なく嫌いだった。




