どうしようもなく世話焼きで、 4-26
日が明けて木曜日。
昼休みになって、俺は弁当も持たずに教室を抜け出した。
行く先は雨桐のいる一年一組。隣の隣の教室なので、ちょっと歩くだけだ。
無論雨桐に会いに来たのだが、さて困ったことに学校には「他の組の教室に入ってはいけない」という謎の暗黙(?)のルールがある。
よって教室の扉付近で中から出てきた人に声をかけ、用のある人物を呼んでもらうのがセオリーなのだが、コミュ障の俺には若干難易度が高い。
緊張によって次第に大きくなる心臓の鼓動を感じつつも、一年一組の前に着く。
ここまで来たらもはや腹を括るしかない。というかここまで来て教室の前でうろうろしてたりしたら、それこそ不審人物として扱われて余計に恥ずかしい思いをすることになってしまうだろう。
と、そこで偶然にも中から出てくる男子生徒がいた。
ここで声をかけなければこの後もずっと声を掛けれないような気がしたので、思い切ることにする。
「なぁ、ちょっといいか?」
思ったよりもスムーズに声が出た。コミュ障とはいえ、スイッチが入っていればこんなもんである。
「何?」
男子生徒はこちらに気付くと、多少怪訝そうな顔をしたが、素直に応答してくれた。
これ幸いにと、俺はさっさと要件を告げることにする。
「雨桐弥生っているか? 確か一組だったと思うんだが」
「ああ、いるぞ。呼べばいいか?」
「悪い、頼む」
少し頭を下げると、男子生徒は「ちょっと待ってろ」と言い残して教室に戻っていく。
教室から出てきた時に財布だけ持っていたところを見ると、おそらく購買に行くつもりだったのだろう。男子だし腹も減っているだろうに、嫌な顔一つせず俺の頼みにわざわざ時間を割いてくれるとは、結構いいヤツじゃねぇか。モブだけど。
手持無沙汰になりつつも数十秒待っていると、何故か教室の中から黄色い声が上がった。
何の騒ぎかと思ったが、その黄色い声に押されるようにして、「そんなんじゃないから!」と教室内に大声を放ちながら雨桐が出てきた。何故か顔が赤い。
「なんかあったのか?」
「な、なにも!! ここじゃなんだし別のトコいこ!!」
もちろんそのつもりではあったのだが、ほぼ雨桐の勢いに押されるようにして、俺達はその場を後にした。
この時間帯、誰もいない場所の心当たりといえば、俺には補助委員室くらいしかなく。
九がいる可能性も考慮したが、扉には鍵がかかっていて、中に誰もいないということを物語っていた。もちろん、鍵を開けてみたら実は―――というオチもないだろう。
補助委員は今のところ二人しかいないので、とりあえず俺も鍵を持っている。というわけでさっそく鍵を開けて中に入ると、少しひんやりとした空気が身に染みた。
雨桐も同じだったのか少し身震いをしていたので、ささっと暖房をつけることにする。
ここ数日は部会長選挙の準備で雨桐もよくこの補助委員室を利用していたはずで、既に勝手知ったる場所だとは思うが、彼女は落ち着きなくそわそわとした様子だ。
無理もないだろう。最近は俺と雨桐が二人きりになる機会などほとんどなかったし、今日はどことなく俺達の間にある雰囲気がいつもと違う。それを彼女も感じ取っているのだろう。
ただ妙に顔が赤いのが気になるが。暖房効きすぎてんのかな?
「は、話ってなにかな?」
こちらと視線を合わせようとせず、少し早口な雨桐。
明らかに緊張している。だが、それに対して俺の頭はこれ以上ないくらいに冷え切っていた。心臓の方は相変わらずばくばくと激しく動き回っているが。
椅子があるのに二人とも立ったままという奇妙な状況で、俺はそれを維持したままですーっと息を吸った。
「雨桐、今回の部会長選挙に勝ちたいか?」
問いに、雨桐はきょとんとした表情を浮かべた。
「え、えっと、そういう話?」
「……? それ以外に何があるんだ?」
「いいいや別に!? うん、そうだよね、そういう話だよね、うん」
何故か残念そうに、しかしほっとしたように雨桐は胸を撫で下ろす。
よくわからないが、なんだか妙な空気になってしまったので、俺は咳払いを一つして場を整える。
「で、勝ちたいのか?」
再び質問。雨桐はそれに対して怪訝な表情を浮かべる。
「当然だけど、どうしていきなりそんなことを?」
「嘘だな」
解答ではなく、俺は断定をもって雨桐に切り込んだ。
「お前は今回の選挙、本気で勝とうとしていない。いや、勝ちたいとは思っているが、負けたいと願っている、そうだな?」
「……」
正直に言うと半信半疑だったが、雨桐の沈黙からそれが図星であったことがわかる。
「最初に俺達に依頼をしてきた時、お前は間違いなく本気だった。あの日、俺がお前に『自信があるか』と聞いて、お前は間髪入れずに『ある』と答えることができていたからな」
「よく憶えてるね」
「当然だろ。話を続けるが、あのあと俺が具体的な問題を提示すると、お前は返答に窮した。九が横やりを入れてきたから有耶無耶になってしまっていたが、思えばあの時から兆候があったわけだ」
もしもあの場に九がいなかったら。俺と雨桐の二人きりで、雨桐に対して俺がさらなる現実問題を突きつけたうえで「それでもやるのか?」と覚悟の確認をしていたとしたら。
雨桐は最初から表面上の問題を捉えるばかりで、細かい問題に目を向けられてはいなかった。
たとえば、「罅が入った壁」という問題があったとしよう。それを修復したいと思っている人がたくさんいて、その中にひときわ強くその意思を持っている者がいる。
罅が入った壁の修復という行動を口に出すだけなら簡単だ。それに、その程度ならちょっとやる気を出せば誰でもできそうな気さえする。
だが、それを実行するためには様々な手順が必要となる。壁の修復に使う道具は? 必要な人員は? それらを準備するために必要な予算は?
そういった細かい部分に目を向けると、途端に「自分にもできそう」という自信が萎んでしまうものだ。
「そのうえ、今のところ九におんぶにだっこだ」
選挙に必要な道具、人員、その他諸々、具体的な部分を用意したのは九で、選挙活動の具体的な内容、計画を立てたのも九が中心となってのことだ。
雨桐は確かに中心に近い場所にいたが、相浦先輩が今獲得している四割という支持率は、九なしでは得られなかったものだろう。
きっと九にそのつもりはない。彼女は純粋に雨桐や、雨桐が救おうとしている文化部全体の助けになりたいと思って行動しているのだから。
だが、それが逆に雨桐を追い詰めている。
「お前はお前自身が中心に立って進めなければならないこの選挙活動で、中心ではなくそれに近い場所にいるだけだ。だからこそ自分の力不足をこれ以上ないくらいに痛感している。このまま事がうまく運んだとして、自分がうまく部会を切り盛りしていけるかどうか不安になるくらいに、な」
雨桐は何も言わなかった。
これが雨桐の核心にあるものかどうかは俺にもわからない。だが、限りなく近いものではあるはずだ。
そして、だからこそ俺の言葉は雨桐の心にひどく突き刺さっていることだろう。
「お前には力がない」
それを承知の上で、俺はさらに鋭い言葉を吐き続ける。
「今はまだ一年生で、部会長選挙に出馬する権利すらない。部会の全てを変えたいと願っていて、それが具体的にどうすれば実現できるのかわかっていない。それでも行動をして運よく生徒会を味方につけることができても、選挙に勝てる見込みはない。これは全部お前の力不足が原因だ」
「―――っ」
「もし仮に何かの手違いがあったとして、相浦先輩が部会長に当選したとしても、このままだとお前は何もすることができない。何も変えることはできないだろうな」
それは雨桐の弱点である「人の悪意に弱い」という部分を除いてもきっとそうだろう。
同年代の俺が言うのも何だが、彼女はまだまだヒヨッコだ。この世界の残酷さを知らない井の中の蛙そのものだ。そんな状態で何かを変えたいと願うとは、片腹痛いにも程がある。
「何が、言いたいの?」
雨桐の声は震えていた。目尻にもうっすらと涙が浮かんでいる。
あるいは、ここまで言ってしまえばショックのあまりに逃げ出してしまうかとも思っていた。だが、雨桐の取った行動はそうではなかった。
「そうだよ、私は弱い。折無くんに言われて今はっきりと自覚したよ。私には何の力もなくて、このまま頑張っても何も実現なんてできない。でも、だからって今の部会をそのままにしておきたくなんかない。見て見ぬフリなんかしてたら、きっといつか後悔する。私が部会長選挙に正式に立候補できるようになる一年ですら待てない。今変えなきゃ、私はきっと私を許せなくなる!!」
激しい言葉に、目尻に溜まっていた涙が頬を伝って顎から落ちる。
「できないなんてことは最初からわかってた。でも、どうしても諦めきれなかったの。なのに、折無くんはここで諦めろって言うの? もう少しなんだよ。もう少しで勝てるかもしれないところに来てるの。この部会長選挙に勝つことさえできれば、スタート地点に立つことができるんだよ」
「その先が続かないとしてもか?」
「続くかもしれないじゃない。だって、そんなの始めてみないとわからないでしょう?」
「いいや、わかる。今のお前のままじゃ必ず失敗する」
力がなく、人の悪意に弱い雨桐は、人の上に立つ人材ではない。誰かを導ける器でもない。
「このまま諦めるのが、お前にとって一番安定した道に繋がるだろうな」
故に、この説得だ。
雨桐が説得に応じ、自分から諦めさえすれば、九とて強くは出れない。少なくとも、「自分の力不足で選挙に負けた」という責任を背負い込むことはないだろう。もっとも、少しの傷も負わずにというわけにはいかないだろうが。
これが俺の考えた、最も安定した選択肢だ。
俺の言葉に、雨桐は瞳を伏せる。
多少心は痛むが、これは必要なやりとりだ。
雨桐が自分の無力さをはっきりと自覚し、その無念さと悔しさを噛みしめることで、彼女は次の段階へ上がることができる。
「その上でもう一度聞く。選挙に勝ちたいか、雨桐?」
だからこそ、俺は一番最初の質問を再び雨桐に持ちかける。
昨日の夜散々悩んで悩みぬいた果てに得た結論として、雨桐を説得し、ここで彼女を諦めさせるという選択肢はあった。だが、俺の考えた選択肢はその一つだけではない。
「―――え?」
雨桐が驚いたように顔を上げる。
諦めろと言ってきた本人が、今になってまったく逆の提案を持ち掛けたのだ。その反応は至極当然である。
あまりにも想定内すぎる反応に、俺は少し口角を上げた。
「今回、俺がお前に持ちかける提案は二つだ。ここで諦めるか、それとも無理をしてでも前に進むか」
「でも、折無くんはここで諦めるべきだって」
「それはお前の意志次第だ」
確かに、今でも俺は雨桐が諦めるという選択肢を選ぶことこそがこの件を一番手っ取り早く終わらせる方法だと思っている。
だがそれは、テストの問題をぱっと見て難解そうだから数式すら構築せずに放置し、自分が理解できる問題のみ解いていくという取捨に過ぎない。
「確かに今のお前には力がない。弱点だってある。だが、もしもこの先それを克服できるのなら話は別だ」
読んだだけではわからない問題でも、数式を構築していく内に理解できる可能性だってある。
「つまり、俺が提案したいのは『とりあえずやってみないか?』ということだ」
やらないで後悔するぐらいならやって後悔しろ、という言葉に従う。正直俺はその言葉があまり好きではないが、つまりはそういうことだ。
「力がないのならこの先で力をつければいい。自分の無力さを理解したお前なら、あるいはそれができるかもしれない」
力があるやつは努力する必要がない。努力をするのは、いつだって力がないやつだ。
だが、どのような力が欠落しているのかが理解できない内は、どういう努力をしていいのかわからないものだ。
そして一番厄介なのが、中途半端に力を持っているやつだ。
雨桐はまさにそのパターンで、行動力はあるが実行力がないというありがちなタイプだ。
この手の輩は周囲を巻き込み事を起こし、その規模をどんどん大きくしていくが、大きくなった案件をコントロールしきれずに適当な場所に不時着させてしまう。
いるんだよなぁ、学祭とかで「劇やろうぜ!」って言いだしてクラスのカースト下位層も巻き込むヤツ。
やる気のないカースト下位層はとことん非協力的で、監督役である先生に怒られないようしぶしぶ参加するが、先生にもクラスのカースト上位層にも怒られない程度に適当に仕事をして、結局仕上がった劇の出来はそれほど大したことないものになる。
ちゃんと下で働いている人たちをコントロールできないってダメ上司みたいだな。ある種その卵なのかもしれない。
もっとも、雨桐の場合は行動力もあるし、ある程度の実行力もある。しかし、今回は今の彼女が受け持つにはあまりに案件が大きすぎるのだ。
俺は雨桐の潜在能力がどれくらいのものなのかは知らない。もしかしたら努力したところで部会をコントロールしきれるほどの力はつかないかもしれないし、あるいは「人の悪意に弱い」という弱点によって、力がつく前に雨桐は潰れてしまうかもしれない。
「もしお前がそのつもりなら、お前が部会を変えるその日まで、俺がフォローしてやる」
だからこれは賭けだ。
もしここで雨桐が「諦め」を選択すれば、彼女は二度と大きな舞台に立つことはしなくなるかもしれない。
だからといって「前進」を選んだところで、志半ばで折れてしまう可能性だってある。
どちらを選んだとしても、雨桐が二度と立ち直ることができなくなるリスクを孕んだ大博打。
「選べよ、雨桐。お前は諦めたいのか? それとも―――」
雨桐はいつの間にか顔を伏せていた。
表情を窺うことはできない。だが、ここまで言えば彼女の性格上、どちらを選ぶのかはもうわかりきっている。
だからこそ、次の問いは強く言い放つ。
「―――勝ちたいか?」
数秒間の空白があった。
だが、それは逡巡のための間ではない。
小さく息を吸って、吐いて、雨桐は覚悟を決める。
「勝ちたい」
上がった顔に、もう弱いものはなかった。
あるのは決意。強い瞳は真っ直ぐ俺を見据えている。
「私、勝ちたい。どうしても今の部会に納得できないから絶対に変えたい。どれだけ無力感に襲われてもその考えだけは変わらなかった。でも、九さんを信用してないわけじゃないけど、きっともう折無くんの力なしに今回の選挙に勝つことはできない。だから」
次の言葉は、きっと俺にとって決定的なものになる。
そう理解しておきながら、俺はそれを遮ろうとも、避けようともしなかった。
むしろ待ち望んですらいただろう。なぜなら、
「折無くん、私を勝たせてください」
これはおそらく高校生活が始まって初めての、やりがいのある依頼だからだ。




