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使役獣

 陽は上った。多少は眠れたとはいえ、万全とは言い難い。しかしそれでも、もう家は無いのだから進まなければならない。


 そういえば、


「いくら注ぎ込んだんだっけ。この家」


 女々しくもそんな事を呟きながら、その残骸を眺めていた。だって家だぞ? 失ったもののスケールがデカイから、仕方ないだろ。


「感慨深いねー、ご主人」


 ふざけた口調で言う、フクロウ姿のウノ。傷が痛むのだろう、俺の肩に乗ったウノは、羽ばたきすらしなかった。そのせいか、テンションが高いのか低いのか曖昧だ。感じたらすぐに行動のウノだからこそ、動きに制限が掛かると精神面にもダメージが来るはずなのに。


「浸る程の思い出も無いがな」


 引きこもってただけだものな。当然だ。というか俺、今まで何やってたんだっけ。取り合えず人間のお偉いさん方から逃げて、リグナに勉強を教えて、寝て飯食って、ウノと遊んで、寝て。……ほんと、何やってたんだろ。


 奪われた安寧は、きっともう手には入らないだろう。俺は、使役獣以外の全てのものを失った。だから、一生分の平穏をこの不毛な日々に詰め込んだと思えば、むしろ順当だとさえ思える。だからというわけではないが、リグナを責めるのは筋が違う。彼女は、自己防衛と、俺の救出のために力を発揮したのだ。彼女の行動は正解だったと言える。


 さらに言えば、奇襲者達のせいでもない。彼らには彼らなりの正義があった。


 だから受け入れよう。許すさ。なんだって。


「さて、行こう」


 これ以上ここに留まっていても何も始まらないし、終わらない。せめてバルドに一言伝えたかったが、街は今頃、昨日の件が広まっていて、俺が行けるような状況では無いだろう。


 しかし、


「どこに行くのだ。レオン」


 振り向いた先に、バルドが居た。巨大な戦斧を背中に担ぎ、予備の短刀もちゃっかり装備して、鎧まで着た臨戦態勢。


「お前こそ、どうしたんだよ。バルド」


 問うと、バルドは真剣な面持ちのまま言った。


「セレナから話は聞いた。大規模な襲撃があったらしいな」


 そうか、そういえばバルドにはそういうパイプがあったな、と、妙なところに納得した。だからといってなんの話しだろうか、と思い黙っていたら、バルドは俺に手を伸ばしながら、こう言った。


「俺も連れて行け」


 と。


 一瞬、何を言われたのか解らなかった。


 思考が現状に追いついて、ようやく理解したところで、しかし、俺が何かを言い返す前に、バルドが続ける。


「あの優れたパーティーメンバーの中で最も、物事を冷静に、客観的に見る事が出来たのはお前ではないか。そんなお前が襲撃を受けなければならない理由など無いはずだ」


「だが事実、襲撃はあったぞ?」


「街の皆は勘違いをしている。俺が説得しようと誰も聞かぬ程、強く勘違いしているのだ。レオンは異端なんかでは無いのに、レオンが異端である事が当たり前のようになってしまっている。それを晴らすためならば、この身を捧げる。友の危機だ。救わずして何が友だ」


 成るほど。だから、一緒に来てくれるというのだ。だから一緒に戦ってくれるというのだ。友だから。助けて当然なのだと。


 なんてかっこいいやつなのか。こいつこそヒーローに相応しい。勇者の名に、最も恥の無い人間だろう。


 だからこそ、


「それはできない」


 俺は言った。


「何故」


 眉頭を寄せるバルド。


「俺はお前を連れて行けない。一緒には行けないんだ」


 何故なら俺は、最低の裏切り者だから。


 俺が契約してはいけない者と契約している事実を、バルドも、誰も知らない。


 それを知られたくない。それが、それだけが最優先事項だ。


「理由は……言えぬか」


「ああ。言えない」


 その言葉は、ある種の決別だった。


 そして次は、行動による決別。


「ならば無理矢理聞き出して、無理矢理着いていくぞ」


 バルドは戦斧を構えた。


「セレナはどうするつもりだ」


 対して俺は、脇差を振り抜く。


「あいつはもう、信用に足る強さを得た。教える事は何も無い」


「そうかい。なら、お前の好きなようにしろ。俺はお前を連れて行かない」


 聞き出されるつもりも、連れて行くつもりも毛頭無い。だから、負けてもいいとは思わない。それでも、こいつにならば、罰せられても構わない。


 勝っても負けても、俺の勝利だ。


「レオンよ。覚えているか」


 戦斧を構えた体制のまま、過去に思いを寄せるかのように目を閉ざす。本来ならばその行為は、戦闘中ではご法度の行為だ。いわゆる信頼の証。


 ならばそれに応えようと、それくらいには応えようと、バルドが目を開けるまで待った。


 するとバルドは、俺のその意思を感じ取ってか、そのまま話し出す。


「初めてレオンと出会った時も、こうして対峙したものだな」


「……そうだな」


 俺が、あのパーティーに入るきっかけになった出会い。


 そのきっかけになったのは、とある邪族だった。






 ――それは、霊族と呼ばれる、新種の種族だった。


 アルメリア教団はそれを、突然変異の亜種だと判断。神出鬼没。行動原理も不明の霊族は、その特異性故に、人間から忌み嫌われていた。


 集落を構えるわけでもなく、必ず単体で行動していたそれが突如として大量発生。姿も固体毎で大きく異なり、霊族であるという判断基準は唯一、足が無いという点のみだった。飛行しているわけではない。移動方法は浮遊、もしくは瞬間移動のどちらかで、言葉も持たず、何もかもが不明瞭だった霊族の首には多額の賞金が掛けられた。


 多くの冒険者や狩人達が躍起になって霊族狩りをしている中、俺は、霊族が何故、どこから、どうやって大量発生したのかを調べようとしていた。文明も持たず、単体で行動するが故にコミュニケーション能力の有無は未明。本来ならば獣に属すであろう霊族の行動には、知性があるように思えたからだ。人間のみならず様々な種族に被害をもたらした霊族。しかし、捕食のために襲っていたわけでは無かった。


 ならば何故、他種族を襲うのか。それがどうしても知りたかった。


 師匠が死に、天狗とも別れ、ウノと出会ったばかりだった俺だからこそ、知性を持った者の孤独というのが憐れに思えたのかもしれない。俺は、一体の霊族を見つけ、生態調査をしようと尾行を試みた。


 三日程尾行をして解ったのは、霊族特有の能力、瞬間移動を使うのは、戦闘及びその直前のみだという事。睡眠時は姿を消すが、それは姿が見えなくなっただけで、触れる事は出来るという事くらいだった。あとは、目覚めている時の行動が不定期過ぎるという事か。その霊族は、何かを探すように、ただ彷徨うばかりだったのだ。


 このままでは生態調査も捗らない。悪戯に時間を浪費するだけだと判断した俺は、その霊族との接触を試みた。しかし、その霊族は俺を見るや否や攻撃を仕掛けてきた。


 戦闘力は、俺とウノの二人掛かりで逃げるのがやっと、と言った具合。当時の俺がまだ未熟だったというのもあるかもしれないが、極力攻撃はしたくなかったという、俺の精神的弱さも、理由の一端だろう。


 そんな事があっても、俺は霊族の尾行及び生態調査は続行した。反対するウノをなんとか説得し、いくつもの夜を、その霊族が使っていた寝床の前で過ごした。何度か、尾行がバレて、その霊族と戦闘になった。その時は逃げたが、少しだけ時間を置いて、また戻ってきた。知性があるのなら、俺に害意は無いと、いつか解ってもらえる。そう信じていた。


 しかし、その信頼は実らなかった。


 その霊族はついに、シスナントという小さな人里に姿を現した。


 人間に襲い掛かる霊族。見張っていた俺がそれを食い止めようとしたが、そいつは止まらなかった。そもそも、俺とウノの二人掛かりで逃げるのがやっとだったのだ。村人を守りながら戦うのは至難の業だった。


 そこで現れたのが、バルド達だった。丁度、その村に滞在していたらしい。


 その冒険者達はそれぞれ、バルド、フェイ、ラグ、と名乗った。そのパーティーはチームワークを大事にしていて、互いの名を縮めた、いわゆるあだ名で呼び合う、という決まりを作っていた。孤独に慣れてしまっていた俺からすれば、羨ましく、そして寒気がするような関係。


 しかも俺は召喚師だ。人間には元より嫌われる役職。その霊族を撤退させた後、そのパーティーに、共闘した事を労おう、と、居酒屋に誘われた。当然のように、断った。


 撤退した霊族の後を追い、そこで俺は目撃した。戦闘によって透過能力が落ちたのか、その霊族は姿を現したままで眠っていた。


 その瞳から、涙が溢れていた。


 次の日も、そいつは同じ人里に赴き、暴れた。だが、俺は傍観しているだけだった。バルド達が戦闘に入ったからだ。


 戦闘力はバルド達のほうが上だった。霊族はすぐさま撤退。傷を負った状態で寝床まで逃げおおせると、すぐさま眠った。やはり、涙を流していた。


 次の日も、また次の日も、同じような事が行われた。何度もバルド達に返り討ちにされながらも、その瞬間移動能力を駆使し、命からがら撤退する霊族。


 傷は日に日に増えていった。


 当然のように落ちていく霊族の戦闘力。対処法を身に付けて行ったバルド達は、逆に、負う傷を少なくしていった。


 おかしい。そう思った。


 もしかしたら、あの村に何かあるのではないか? 今まで彷徨うだけだったあいつが、執着を持ってあの村を襲う程の理由が。


 そう思った俺は、調査対象をその霊族から村のほうにシフトした。


 どこにでもあるような普通の村。普通の光景。農業が盛んで、農奴がせっせと農地を耕し、その傍らで、商人達が物販をする。そんな光景。


 俺は、村の被害状況を調べた。


 辛うじて死人は出ていない。怪我を負ったの人数は多かったが、どいつも商人のほうばかりで、農地を耕す農奴のほうに被害は無かった。農奴とは、奴隷の一種だ。裕福な者、もしくは村、街、国に買われた格安の人材、とでも言うべきか、魔族や獣などによって身を寄せる場所が無くなった者が行く末である。そうやって買われた者は証拠として性の名に街の名を背負う。シスナントで出会った一人の奴隷で例えるなら、エルマライ・シスナント、と言った具合だ。


 そして、エルマライに協力して貰い調査を進めて数日。俺は、ひとつの予想を立てた。


 だから俺は、あの霊族が今日も村に来る前に、行動に出た。商人達をたぶらかし、地下の倉庫に隠れるようにと仕向けたのだ。当然、霊族が襲ってくる事を恐れた商人達は、慌てて姿を隠した。我先にと取り乱し、自分達の資産である農奴を放置して。


 農奴達は困惑していた。逃げ場が無い。どうしたらいい、と。


 そして、あの霊族が来た。


 再びバルド達によって行く手を阻まれる霊族。俺は、そのバルド達と対峙した。


「そこをどくんだ。レクター・オリオン」


 バルドは言った。


「退けないな。俺にも目的ってものがあるんだ」


 俺は脇差を取り出し、ウノの封印も解除して、臨戦態勢に入る。


「商人達は隠れたようだが、農奴達が逃げていない。我々がここでそれを排除でねば、農奴達に被害が及ぶ」


 その言い分はよく理解しているつもりだ。だが、


「どうだろうな。現状、農奴は誰一人、負傷していないぞ?」


「それは我々が戦ってきたからだ」


 もっともかもしれない。それでも、バルド達の参戦が遅れた初日でさえ、農奴に負傷者は出なかったのだ。これは、ひとつの光明ではなかろうか。俺は、そう信じて疑わなかった。


 こうして、俺とバルド達は戦った。といえど、時間を稼ぐための戦いだ。防戦一方でも、知りたい事が知れたら俺の勝ちである。数分、三対ニでの戦闘は続く。しかし、実力差は歴然だった。俺もウノも地に伏して、後は留めを喰らうのみとなる。


「召喚師と戦うのは初めてだが……良い経験にはなった」


 バルドは言う。


「人間に仇を成すっていうんならさーあ、教会に引き渡しちゃうしかなくない?」


 フェイという女魔法使いがそう言うと、ラグという錬金術師は首を横に振る。


「……召喚師はそれだけで異端ゆえ、ここで始末してしまったほうが良いと思われる」


 その言葉に、俺は笑ってしまった。


「そうだよ。俺は異端だ」立ち上がる事すら出来ない状況で、強がりを並べる。「――だからちょっくら、この村の資産を台無しにしてやろうと思ったのさ」


 言葉と同時に、少し離れた所から、悲鳴のような、歓声のような声がいくつも響いてきた。


「「!?」」


 動揺を浮かべるバルド達。そして、ボロボロの衣服を纏ったいくつもの人影をが走って村から逃げ出していく様を見て、唖然とした。


 それは農奴達であった。


 自由の無い農奴達であった。


 力の無い農奴達であった。


「俺は、ああいうのが嫌いでね」


 農奴達のその手には、少量ながらも確かに、金が握られていた。


 それは農奴達の物では無い。商人達の物である。しかし、農奴達が稼いだ金である。


 逃げ行く農奴を見守るのは、あの霊族だった。


 あの霊族が商人の金庫に穴を開けて、しかし農奴は決して襲わずに、逃がしたのだ。


 あの霊族の目的は、奴隷を逃がす事だったのだ。


 理由は不明だ。しかし、理由など必要ない。なぜなら俺は異端だから。


 召喚師というだけで迫害された少年が居た。それは自分が選んだ道だから仕方ないとは思う。


 奴隷は違う。人間でありながら人権が無い。逃れる手段さえも無かった。いかれてる。狂ってる。そういうものも受け入れないといけないのなら、俺は一生異端で良い。


 あの固体に限定しているのかもしれない。しかし、少なくともあの霊族の目的は解った。行動原理も不明。それでも、満足出来る程度の事はしてくれた。これならば、こんな事のためならば、異端審問に掛けられても構わないと思った。どうせ、生きていたってろくでもない人生でしかないのだから。


「なんてことを……っ!」


 ラグが歯を食いしばり、小さな石像を作った。しかし、それを制したのはバルドだった。そしてバルドは俺でもラグでも無く、ただ一点、俺の後方を見つめている。


 何事だ、と思い振り向くと、そこにはあの霊族が立っていた。いつの間に、と思ったが、霊族には瞬間移動能力もあるのだった。突然現れるのも仕方ない。


 フェイとラグが臨戦態勢に入る。しかしバルドは――斧を捨てた。


「は?」「なっ……!」「ちょ、何してんのよ!」


 俺とラグは唖然とし、フェイが取り乱す。


 それでも斧を拾う事なく、バルドは、霊族と向き合った。


「レクター・オリオンよ。俺達の仲間にならんか」


 霊族と向き合ったままで、そんな事まで言うのだ。


「言葉も発さない、表情さえ見えないこいつと、意思の疎通をしたのだ。素晴らしい。素晴らしいじゃないか召喚師。邪族とコミュニケーションが取れるのならば、無駄な戦いは回避出来るという事だろう? なんたることか。俺も師が居たら召喚師になりたかった。今となればそうも思うぞ!」


 目を輝かせ、そう語るバルドに、言葉を理解しない霊族が襲い掛かる。


 それを止めたのは、俺でもラグでもフェイでもなく、ウノだった。


 それで再び感激したバルドは、ついに両手を広げ、懐をさらけ出す、無防備な体制に。


「今度はハーピーに助けられるとは! 邪族とは戦うものだとばかり考えていた今までの俺が憎いぞ! ああ、仲間になりたい! フェイよ、ラグよ、そう思うのは異端か? わがままか!?」


 二人は唖然としてしまい、何も答えられなかった。


 だが、霊族の動きを止めていたウノを引かせて、俺は霊族の前に立った。


 今度は、襲ってこなかった。


 霊族と向き合い、バルドに背を向ける。


 手を差し伸べる。


 すると霊族は……片膝を着き、騎士が如く、頭を下げた。


 あとは簡単だった。ウノで実演してみせて、契約の結び方を教えるだけ。言葉で意思の疎通が出来ないのなら、見せる他にない。


 何故、霊族は頭を下げたのか。何故、農奴を解放しようとしたのか。それは解らない。


 何故、大量発生したのか。何故、どうやって現れたのか。それさえも知らない。


 しかし、召喚師と契約を結べば、人の姿になることも出来る。教えれば、言葉だって覚えられる。


 こいつが言葉を覚えたら、その時に聞こう。いくつもの知らない事は、その時まで保留しよう。


「召喚師ってだけで迫害されてきた俺を、認めてくれるっていうのか」


 バルドのほうへ向き直って俺は問う。


 すると、彼は笑った。


「当然だ」


 と。


 バルドの後ろに目をやると、二人は呆れたように笑っていた。


「バルドがそうなったらー、もう誰にも止められないてゆーかさー。諦めるしかないんだよねん。猪よりも猪突猛進だし」


 と、フェイ。


「無駄な戦いを避ける事が出来る。成る程合理的故、反対する必要はない」


 と、ラグ。思ったよりもあっさりとした肯定だった。


「これから頼むぞ。レオン」


 そうやって差し伸べられた大きな手は、俺が今までの人生で培ってきた孤独や自己嫌悪の全てを、容易く打ち破った。

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