勇者討伐戦~前編
「……本当に、懐かしいよ」
回想を終えて、俺は呟いた。邂逅の回想、というと、どっか洒落ているよな。なんていうのは、思い出を美化してしまっているからこそ生じた悲嘆だろうか。
同時に終えていたらしいバルドも目を開けて、そうだな、と、呟く。
「フェイとラグが不在だ、というのが、少々残念だがな」
そして浮かんだバルドの笑みは、俺の孤独を打ち破ったあの時と同じものだった。
「こっちもウノが戦えない状態だから、あの時とは大分違うがな」
なんだかウノが後ろでわめき出したが、少しは大人しく出来ないものだろうか。
「使役獣も増えているようだしな」
俺の後ろのリグナとトリノを見ながらバルド。しかし、
「どちらにせよ、あいつらも戦わせないよ」
俺はそう答えた。
するとバルドは、なんだ、と、残念そうに浅い息を吐く。
「となると、召喚師との再戦とは呼べないな」
正義以前に戦闘を楽しむ傾向にあるバルドにとっては、本当に残念な事なのかもしれない。
「しかし良いのか? お前の事だ。同調変換も使う気は無いのだろう? それでは、俺の勝利は確定するようなものだが」
それは、高慢なんかではないと、俺は知っている。こと戦闘において、俺とバルドでは大差がある。俺は、使役獣が居なければ普通より少し上程度の実力しかない。俺自身の戦闘力を上げる方法として同調変換という術があるのだが、それを仲間に対して使いたくない。
しかし、
「俺はお前に着いてこられなければ勝ちなんだ。タイミングを見計らって逃げるさ」
と、笑い返してみせた。
「簡単に逃がすと思うか? レオンと再び旅に出る、というのは、自らの視界を広くするには絶好の好機なのだ。逃す手はあるまい?」
「そうだな。逃げるだけでも骨が折れそうだ」
そして訪れる沈黙。
互いの瞳を伺いあうその表情から、少しずつ、笑みが消えた。
「どうしても連れて行かぬか」
「ああ。ムリだ」
「友の危機。救わせてはくれぬか」
「ご遠慮願おう」
「そうか」
「そうだ」
一拍。
そして、
「ならば、致し方あるまい」
一線。
あったはずの距離はすぐさま無くなり、巨大な斧が横凪に振るわれた。
後ろに飛んで回避するが、反応するのがやっとだった。反撃は出来そうにない。
しかし余力を残していたバルドの追撃は容赦なく、ショルダータックルによって弾き飛ばされる。巨体による重い一撃。後方数メートル先でなんとか踏ん張り、体制を立て直すが、構えまで立て直す間など無く、既に斧による突きが目前に迫っていた。
脇差にて受け止める。
弾かれる。
身を横に逸らす。
斧は肩を掠めて通過していった。
反撃の好機と見て、すぐ近くにあったバルドの顔面に肘を走らせた。しかし、バルドは斧から左手を離して、その左手によって肘を掴まれる。
停止。
交差する視線。
ふと、視界の外で動いていた斧を、俺は見逃さなかった。感じ取ったとでも言うべきか、いや、バルドの事だから、きっとそうするだろうと予想していただけだ。さっき俺を通過した斧を戻す事はせず、バルド自らの体を軸にして、そのまま横に振ったのだろう。
襲い掛かるのは刃ではなく柄だ。それでも、バルドの一撃は強烈だ。屈む事でそれは回避出来たものの、代償に踏ん張る力を失う。その隙を見逃す程、バルドの近接戦闘力は甘くない。俺の肘を掴んだままだったバルドは、その肘ごと、片手で、俺を投げ飛ばした。
「っつ!」
地面による摩擦を受ける。立ち上がる事も叶わず、引きずられる事数メートル。ようやく摩擦が終わった所で、戦闘は止まらない。倒れたままの俺に、バルドが駆けてくる。
真上から斧が振り落とされる。
横に転がり回避する。
それを止めようと降ってきたバルドの脚はしかし、間一髪で俺には届かなかった。
回転の力を利用して勢いよく立ち上がる。――そうしようとしたところで体制が崩れた。力を殺しきれずに、俺は再び転がる事に。
まともな戦闘など、昨日の時点で久しかったのだ。感覚が鈍っている。
擦り傷が生じれど距離を置く事は出来た。
気を取り直して今度こそ立ち上がると、防御の構えを取る。
しかし、そこに追撃は無かった。バルドはその場に立ち尽くし、隙は無いがどこか無気力に、俺を見ていた。
「堕ちたものだな……」
虚ろな瞳が、俺の心をえぐる刃となった。その目が写す感情はつまり失望。
俺は何も答えられなかった。
そんな情けない俺に、せめてもの情けを。全力で戦うという、恥の生じぬ戦いを。そういう意思を隣に引きつれ、バルドは再び突進する。
真上に翳された斧。縦からの攻撃――ではないだろう、と俺は判断する。
真下。死角から襲い掛かるバルドの蹴りを、両手を使って防いだ。咄嗟の切り返しだったため、そうするしか無かったのだ。
きっとこの判断は正解であり、失策だ。振り上げられたバルドの斧が無くなったわけではないのだから。
両手が塞がったままの状態で、真上から振る刃を止める方法など無い。俺は身を屈め、バルドの足元に潜り込んだ。
内側への回避。これは流石のバルドでも予想外だったのか、追撃は無かった。
そのまま脚払いをしようと、水面蹴りを繰り出す。
だが、
「なめるなあああ!」
太鼓を打ちつけたようなバルドの恫喝と共に、バルドの脚を蹴った俺の脚のほうに痛みが走る。バルドは体制を崩さない。
「嘘だろ……?」
思わず呟いてしまった。バルドは今片足で立っているというのに、それでもバランスを崩さない。
浮いていたほうの脚が戻ってきた。体制を立て直すためではない。もう一度、今度は踵で、俺を蹴る飛ばすためだ。まさかの水面蹴り不発に動揺していたせいで、反応が一瞬遅れる。
熱を感じた。しかし同時に、冷たいとも思った。
脳が揺れた。痛みはまだ無い。
体が宙に浮く。蹴りを喰らったのだ、と、その時初めて気づいた。
体が地面に叩きつけられて、ようやくこめかみに鈍い痛みを感じた。視界が固定されたみたいに固まる。どこか顔の筋を痛めたのかもしれない。口が開かない。顎が外れたのかとも思ったが、唇は震えていた。つまり顎は無事らしい。
なんとか立ち上がろうとしたら、さっきまで固まってたはずの視界が揺れてバランスを崩す。
バルドが迫ってきている。ぼんやりとしたシルエットから察するに、斧は真上に振り上げているようだ。
脇差でガードしようとする。
だが、斧が落ちてくるより先に、腹に強烈な痛みを感じた。
異物が喉からこみ上げてくる。堪えきれずに吐き出すと、それは血だった。内臓がダメージを受けたのか。吹き飛ばされる直前に視認すると、どうやらバルドはさっきと同じように、真上からは斧、真下からは蹴り、という二段構えにしていたようだ。どっちかをガードされたら逆側から攻撃する、という戦法。
しかし、たった一発の蹴りで吐血するなんて、どうかしてる。そう思うのは平和ボケだろうか。もう一度地面に叩きつけられながら、俺は後悔に唇を噛んだ。そのせいで唇が切れて、吐血に紛れて出血した。
痛みが体内で暴れたせいで思わず蹲ると、真上からバルドの声がした。
「力の差は歴然。これもまたあの時と同じのようだが、以前はもっと強かっただろう」
哀れむような声だった。
「……思い出を、美化してる、だけだろ」
なんとか皮肉を捻り出して、俺は笑う。
笑ったら余計に腹が痛くなって、また、血が胃から込み上げてきた。
「何故だ、レオン。俺にはわからん。俺とお前の仲で、何故同行を拒む。仲間だと思っていたのは俺だけなのか? お前を信頼していたのは俺だけだったのか?」
違う。そうじゃない。
さっきは皮肉が言えたのに、そういう気の利いた言葉は言えなかった。言うわけにはいかなかった。
「俺はな、嬉しかったんだ。先日お前に相談を持ちかけられた時、旅は終わっても、俺達あのパーティーが築いてきた絆は終らないのだと。そう思って、お前が帰った後、涙さえ浮かべた」
それは俺も同じだ、と、言いたかった。
俺の孤独を終らせてくれた恩人。俺を迫害しないで、頼ってくれた仲間。信じたいし、信じている。
でも、ダメなんだ。俺は、禁忌を犯している。
「何故だ!」
ふと、霞んでいた視界が一気に持ち上がる感覚がした。バルドに胸倉を掴まれて、そのまま起こされたようだ。
「何故なにも言わん! 何故なにも答えん!」
霞んだ視界の真ん中で、バルドが吼える。
「言い訳ぐらいしてみたらどうだ! 俺が納得できなくとも良いのだ! 確かめようが無いものなら嘘でも構わん。お前が、俺の同行を拒む真っ当な理由さえ言えば、俺も納得するふりをして頷こうと思っていた! だが、なんだ、その態度は! なんだ、その顔は! なんだその体たらくは!」
結局、まだ、俺は何も言えなかった。
しかし、
「ご主人からはなれろおおお!」
そう叫ぶ声と同時に、バルドの腕が俺から離れた。
少しずつ回復してきた視界に写ったのは、バルドにしがみつく、少女姿の、傷だらけのウノだった。
「いくらバルドでも許さないからな! ご主人に手をかけるのは許さないからな! うちが相手だ!」
「やめ……ろ。ウノ……」
手を伸ばすが、届かない。
声さえも届かない内に、封印を施されたままのウノは、容易く振り払われる事だろう。
だがバルドは、そうはしなかった。
「ウノ。お前も何か知っているのか」
ウノに腕を噛まれながらも、バルドはそのまま聞いた。
「知ってるけど、言うもんか! 言わないし、バルドも連れて行かない! バルドを共犯には出来ない!」
「ばか……。言う、な……」
俺の制止は当然間に合わず、バルドが眉を寄せた。
「共犯?」
聞かれてしまった。俺の禁忌の証。
だが、やはりバルドは、昔と変わらない。
「そんなものがどうかしたのか」
当然のように、そう言うのだ。
「レオンは召喚師だ。元より世間から嫌われやすい役職だったではないか。レオンは邪族にも獣にも人間にも同等に接するような、人間の習性に背くような輩だったではないか。どうせ今抱え込んでいるのも、そういうものなのだろう? 俺達が出会った、あの時のように」
俺も、ウノも、何も言えなかった。
無垢で純粋な信頼。それがあまりにも嬉しくて、なによりも、痛かった。ダメージを受けていないはずの胸まで痛みを伴うほどに。
「邪族とも解り合えるのだとお前は教えてくれた。レオンが契約してきた使役獣達は、どれも個性的で愉快で頼りにもなった。ウノ、お前もだ。俺はお前が好きだったぞ」
仲間として当然の好意。そのはずなのに、それが、どうしようもなく、辛かった。
「レオン。レオンよ。もういい。今のお前を一人で旅に行かせるのは危険だ。お前は俺が拘束する。ウノの傷も癒え、せめて昔の感覚を取り戻すまでは匿ってやる。だからレオン、俺を頼ってくれ」
どこまでも優しくて、正しくなくとも正義を示す。
彼は言った。俺が過ちを犯したら、俺であろうと罰すると。
しかし現状、彼はそうしようとはしない。俺が過ちを犯す事など有り得ないだろうと高を括っていたから。信頼していたから。
でも、そうじゃない。そうじゃないんだよ。
俺は、バルド達を頼るわけにはいかないんだ。本当なら、頼るわけにはいかなかったんだ。
そして、
「――あまり手こずらせるな、ばか者」
そんな声が、上空から聞こえた。
凛として響く声。
黒く輝く繊維が、木漏れ日のようにやわらかく、俺の視界に入ってきて、それは鋭く、バルドの腕に降りかかる。
鈍い衝突音。バルドの腕にしがみ付いていたウノと、バルドが同時に弾かれる。
降りかかってきたのは、人だった。
女性だ。美しい黒髪を揺らし、黒い瞳孔は深遠のように深く俺を睨んでいて、その手足には鋭い爪があった。擬人化したトリノだ。
トリノはバルドの顔面に蹴りを入れようとしたが、バルドはそれを受け止め、さらに、怯む事なく、トリノを腕から振り落とした。身軽に着地したトリノはしかし、手足をぶらぶらとだらしなく揺らしながらぼやく。
「この身体はやはり慣れんの」
余裕がある態度には見えない。が、隙だらけの体制だった。
突然の奇襲者に、おそらく条件反射だろう、バルドは斧を走らせていた。
瞬間。目の前の空間が歪む。
「ぐあ!」「うひゃ!」
俺に影響は無かったが、ウノとバルドが、小さな悲鳴を上げる。そしてそれぞれが距離を置いて、何が起きたのかと辺りを伺う。ウノは尻餅を着いている。バルドは呆けて、トリノは呆れたような流し目をしていた。
その歪みの正体はすぐに解った。
高い背。大人びた身体。黒い羽。
悪魔族、リグナ。
「な……!」
驚愕したのは俺だった。俺自身だった。
リグナの封印が解けている。なぜ? どうして?
その答えもすぐに解った。リグナの手には、昨日の瓶が握られていたからだ。
昨日の血が、まだ残っていたのだ。それで封印を解いたリグナによるアルマードレイトが、さっきの歪みの正体。しかし、状況を打破しうる切り札にしては、彼女はあまりにも傷付き過ぎている。アルマードレイトの反動か、昨日の傷口が開き、鮮血が垂れていた。
そんな事は気にも留めず、リグナは再び、バルドへ向けてアルマードレイトを展開させた。空間の歪みを第六感で感じたのか、バルドはそれを、横に飛んで回避した。
「これは……一体なんの力だ……?」
困惑するバルド。当然だ。普通なら、悪魔族に関する情報など、誰も知らない。
「アルマードレイト」
答えたのはリグナだ。なんだこれは、と聞かれたら、必ず答えてしまう彼女の悪癖。
しかし、リグナはすぐにそれを解除した。
「レクター」静かに、リグナは言う。「隠し事は、卑怯」
無表情のまま、感情の篭らない声で、非常識なリグナが、そんな常識を語るのだ。
「悪魔族の娘に同意だ。人間から授かった勇者の名を捨てる覚悟が無いのなら、他種族と理解しあおうという目標など捨てろ」
トリノまでそんな事を言うのだから、もはや八方塞がりだった。
とはいえ、俺もそろそろ、割り切らなければとは思っていたんだ。
「……ああ、そうだな」
ただ、俺の覚悟が足りなかった。
禁忌を犯した時から、覚悟していなければおかしかったのに。
「なあ、バルド。いや、バル・ウェル・ボンド。覚えてるか。魔王討伐戦の時の事」
俺は、手放してしまっていた脇差を手に取りながら言った。
「当然だとも」
バルドは、いや、バルは答える。強く頷く。
「あの時に、俺は、大事な物を失った」
「ああ。そうだったな。俺にとっても、大事だったぞ」
そう答える事くらい知っていた。だって、魔王討伐戦で失ったものは、
「正確には戦闘後に、ドノが――俺の使役獣が死んだ」
俺達の邂逅の原因となった、霊族だったから。
「それでな、俺は思ったんだ。召喚師として沢山の種族と関わってきたからこその自責かもしれないが、もっとちゃんと、他種族と解りあう事は出来ないのかと」
手に持った脇差で、自らの指先を切った。
バルドはその間、立ち尽くしていた。
この時を待っていた、と、その目に宿った光が語っている。
「レクター・ゼフト・オリオンの血と名の下に命ずる。使役獣トリノの封印を限定解除」
騙し通せると思っていた。黙っていればバレないと、こんなことにさえならなければ問題は無かったはずだと、今更ながらそう思うのは、俺の甘さ故だ。
結局俺自身、契約なんて交わしておきながら、この名をこうやって口にする時が来るとは思ってなかったんだ。
「――召喚」
そして、垂れた血をトリノが指で撫でる。
俺の血が付いた自分の指を舐めて、トリノの姿はメタモルフォーゼを始めた。
黒い髪は鬣へ。白かった肌は鱗へ。虹彩の黒は瞳全体へ広がり、その身体は巨大化する。
「悪いな、バルド」
黒竜。
「こういう事なんだよ」
それは彼女の本来の姿。
そしてなにより、
「ばかな……」
青ざめるバルドを見て、胸が張り裂けそうになった。
「これが、俺の意思だ」
そうだ。トリノは――
俺達が倒した、前魔王だ。
――俺の最大の禁忌。契約してはならないはずの者。
「……本当に、ごめんな」
耳を劈く黒竜の咆哮が、大地を揺らして木々を傾け、俺の声を掻き消した。




