第四章 99.99%の勝利
「っしゃあ!」
医師が説明を続けるよりも先に、翔太が椅子を蹴るようにして立ち上がった。
両手を高く突き上げ、歓喜の声を上げる。
「聞いたか、99.99%だぞ!」
結衣を指差し、勝ち誇ったように叫んだ。
「ほぼ確実に俺の子じゃないってことだろ! これでお前の不倫は確定だ!」
誰も言葉を発しなかった。
結衣は、夫の顔を黙って見上げた。
美和子は目を見開いている。
義父は口を半開きにし、義母は両手で口元を覆っていた。
担当医も相談員も、何が起きたのか理解できないという表情で翔太を見ている。
だが翔太は、周囲の反応を自分への驚嘆だと受け取ったらしい。
「父さん、母さん、聞いたよな!?」
「あ、ああ……聞いたが……」
「これで、こいつから慰謝料を取れる! 相手の男も探し出して――」
「翔太様」
医師が遮った。
「はい?」
「違います」
「何がですか?」
「お子様は、あなたの実のお子様です」
翔太の笑顔が止まった。
「……え?」
「報告書には、父権肯定確率99.99%以上と記載されています」
医師が書類の一部を指で示した。
「これは、あなたがこのお子様の生物学的父親である可能性が、極めて高いという意味です」
「いや、でも……」
翔太の視線が、報告書と医師の顔の間を往復する。
「肯定って……何を肯定してるんですか」
「あなたが父親であることです」
医師は一語ずつ、はっきりと言った。
「検査対象となったすべての遺伝子座で、親子関係に矛盾は認められませんでした。医学的、統計学的には、親子関係が成立すると判断される結果です」
「じゃあ、99.99%って……」
「あなたのお子様である確率です」
「俺の子じゃない確率じゃなくて?」
「違います」
「でも、残りの0.01%は?」
「統計上、百%と表記しないためのものです。少なくとも今回の結果から、父子関係を否定する根拠はありません」
翔太の顔から、少しずつ血の気が引いていった。
振り上げていた両手が、力なく下がる。
「俺の……子?」
「はい」
「本当に?」
「その説明を、先ほどからしています」
医師の声には、わずかな疲労がにじんでいた。
「では……結衣は、浮気していない?」
「この検査からわかるのは、あなたとお子様の間に生物学的な父子関係が認められるということです」
「そんな……」
翔太はよろめき、椅子に座り込んだ。
「あれ?」
小さな声が漏れる。
「じゃあ、俺……今、何を……」
その場にいる誰も、答えなかった。
ほんの数秒前まで、翔太は妻の不貞が証明されたと信じ、全身で喜びを表していた。
我が子が自分の子ではないことを、嬉しそうに祝っていた。
そして何より、検査結果に使われている言葉の意味さえ理解しないまま、結衣を断罪していた。
美和子がゆっくりと立ち上がった。
その顔に怒りは浮かんでいない。
怒りを通り越した、氷のような静けさだけがあった。
「さて」
美和子の声が、相談室に響く。
「命がけであなたの子を産んだ娘を、淫売呼ばわりした謝罪は、いつしてくださるんですか?」
「いや、その……」
翔太が視線を泳がせる。
「俺は、可能性を考えただけで……」
「病室で、結衣を恥知らずと呼びましたね」
「それは父さんたちが――」
「あなたも言いました」
「でも、結果が出る前だったから」
「結果が出る前なら、何を言っても許されると?」
美和子の問いに、翔太は口を閉ざした。
義父母は青ざめていた。
義母が震える声で言う。
「翔太、あなた……結果の意味も知らずに鑑定を受けたの?」
「知ってたよ!」
「では、なぜ今、喜んだんだ」
義父に尋ねられ、翔太は答えに詰まった。
「数字を聞いたら、そういう意味だと思ったんだよ……」
「思った?」
「だって、俺はずっと、そのつもりで……」
結衣は夫を見つめていた。
怒鳴りたいとは思わなかった。
泣きながら責めたいとも思わなかった。
目の前にいる男が、ひどく小さな存在に見えた。
七年間、隣にいた人。
これから先も一緒に歩くのだと思っていた人。
その正体が、ようやく見えた。
「謝る前に、一つだけ教えて」
結衣が口を開くと、翔太の肩が跳ねた。
「あなたは、なぜそこまで私の不倫を確信できたの?」
「それは……」
「浮気相手の名前も知らない。写真も、メッセージも、目撃証言もない。それなのに、あなたは私が不倫していると決めつけた」
「だから、それは……」
「どうして?」
翔太は助けを求めるように、両親を見た。
だが義父母も、今度ばかりは目を逸らした。
相談室の中で、翔太一人だけが取り残されていた。




