あなたが彼を好きになってしまうのもわかるわ
「夜会に参加して、目が痛くなるような美形の男性にプロポーズして、結婚しようって快諾されて逃げてきた? どういうこと?」
翌日、昼下がり。
モリス公爵夫人シャンテルと向かい合ってお茶を飲みながら、アンナは前夜のことを洗いざらいぶちまけてしまった。
(とても胸に秘めておける気がしない……っ。濃かった……!)
もともと顛末を打ち明けるつもりではあったのだ。悲恋仕立てで「かくなる上は仕事に邁進したく存じます」という流れで。
想定と違ったのは「冷徹侯爵」がアンナのプロポーズに対して「わかった、結婚しよう」と快諾したことである。
その考えはなかった。
「どういうことも何も」
私にもわからないんです、とアンナは続けようとした。しかし、シャンテルに「待って」遮られてひとまず口をつぐむ。
公爵邸のバルコニーは、日差しと木陰のバランスが良く爽やかな風が吹いていた。
シャンテルは、アンナが淹れたお茶を優雅な仕草で飲んでいる。
出会ってから八年。シャンテルは四度の出産を経て三十歳を迎えたいま、以前よりさらに色香が増し女ぶりを上げており、まさに水も滴るような美女として仕上がっていた。
(思えば、ここに至るまでいろいろありましたねえ……)
シャンテルが第一子を出産したのは、流行り病が世を席巻する直前で世の中が不穏な空気に包まれ始めたときのことだった。ほどなくして人手が不足し食糧の流通すら滞った過酷な状況下で、高貴な身でありながら慣れぬ子育てを体当たりでこなしていた。
彼女はその後産んだ子どもともども現時点で総勢四人の子を自ら母乳で育てている。
その姿を見て勇気を受け取ってきたアンナにとっては、戦友のようなもの。
見た目はほっそりとして美しく、貴族の奥方として文句無く優雅でありながらその内実はたくましく、どんな時でも頼りになる姉貴分なのであった。
シャンテルは「今日のお茶もとても美味しいわ」と呟いてカップをテーブルに置くと、顔を上げてアンナに向き直ってきた。
「よくわからないけど、わかったわ。アンナ、結婚するのね。おめでとう」
思った以上に雑にまとめてきた。アンナは「だめですだめです」と頼りになる姉貴分の発言を真っ向から否定する。
「わかっていないです、それは大切なところがわかっていないです」
まったく聞く耳持たぬ様子でティーケーキをつまんで食べてから、シャンテルはアンナの目を見つめてこんこんと諭すように言ってきた。
「大丈夫よ。なせばなる。私たちはあの辛い時期をそうやって支え合って生きてきたでしょう? 子どもの夜泣きもおしめを替えるのも、助産師が間に合わなかったときの出産も全部、やってできないことはなかったわ。そうよね?」
「そうですね。私も授乳以外のことはなんでもしてきましたから、いまでは立派な産婆としても独り立ちできそうです。三番目のトーマス様と四番目のステファニー様を取り上げたのはこの私ですからね!」
胸を張って言うアンナに対し、シャンテルは遠い目をした。
「あのときは、助かったなんてものじゃなかったわ。初産はともかく二人目以降は陣痛が来たらすぐって本当なのよね。ステファニーなんて、陣痛に気づいてベッドに向かって歩いている途中にすぽんって出てきて、床に落とすところだったもの」
「間一髪でしたよねえ。トーマス様を取り上げたときの経験が活きました。ここまできたら五人目も私が」
アンナ、とシャンテルは真顔になった。
「そんなに子どもが好きなら自分でも産んでみたらどうかしら、と私は何度かあなたに言ったはずよ」
「それは未婚の女に言ってはいけない言葉ランキング上位すぎますよ。産む産まないは大変にデリケートな話題でありまして」
「産みなさい」
ぴしゃりと言われて、アンナはふーっと息を吐き出した。
「そうは言いましてもですね。今回のプロポーズは成功するつもりはなかったんです」
「あなたね、これが事故なら当て逃げよ? 責任取りなさいよ。すっかり結婚する気になった相手の男性がかわいそうだわ」
うぐ、とアンナは言葉を詰まらせた。ぐうの音も出ない。
「……独身主義者だと聞いていたから、絶対に振られると思っていたんです」
「そうよ、そういえば肝心の相手の名前を聞いていないわ。誰なの? あなたいままでお付き合いしている男性がいる気配なんてなかったじゃない。一目惚れ? それにしては相手のこと詳しそうなのよね。そもそも夜会に参加するなんて昨日今日でどうにかなるわけではないし、結構前から相手のことは気にしていたのね」
さーっと立て板に水のごとく推理を披露されて、アンナはあわわわわと慌てふためいて「奥様!」と声を上げた。
「私のこと見透かしたようなことを言うのはやめてください。そんなに全部やることなすこと読まれてしまうと、作戦の立てようがないじゃないですか!」
あら、とまったく悪びれない様子でシャンテルは目を瞬かせた。
「当たっているってことね? 目が痛くなるような美形、独身主義者、アンナが興味を持ちそうな経歴の持ち主……。あぁ、そういうこと。先の流行り病のときに特効薬を作り出したウォーレン・ミッドフォード侯爵ね」
「シャンテル様!? 名探偵もびっくりですよ!?」
昨日もそんな会話を交わした……と思い、アンナは謎のゴージャス美女を思い出した。突如として疾風のように乱入してきたあの美女が誰だったのか、逃げ出してしまったアンナにはさっぱり謎のままだ。心当たりすらない。
(あぁ……私には名探偵の才能が無いです。あの方やシャンテル様のようにすらすらと相手の素性を言い当てることができない……)
敗北感に打ちひしがれるアンナの前で、シャンテルはジャムをのせて焼いたクッキーをさくっと食べて「そうねえ」とさらに言った。
「侯爵にはなんだかよくない噂があるのは気にかかるけれど、薬草に関してはとんでもない天才らしいからあなたが好きになってしまうのもわかるわ」
「す、す、好き……? プロポーズをしただけで好きってことになるんですか?」
シャンテルが、すん、とした不審そうな目でアンナを見て来る。
「逆に、好き以外のどんな理由でプロポーズしたというの?」
※前回誤字報告いただきました。ありがとうございました。なんと「マンドラゴラの女――」が「マンドゴラの女」になってました。
うっかりあとがきで作者が「モノローグ間違えすぎの男――」と余計なことを書いていたせいで、気づいても「これも演出かもしれない」と思って指摘できなかった方もたくさんいたかもしれません。勇気を出して報告出してくださった方、本当にありがとうございます。
正真正銘ただの誤字(脱字)でした。エクストリーム気遣いたすかるです。




