〝とても良い〟
シャンテルと子どもたち手製の「デート十回」サインコレクション第二回の欄には、モリス公爵がさらさらとサインを記してくれた。
〝とても良い〟
「この葉巻は、生前のミッドフォード侯爵が吸っていたのを見かけたことがある。見た目からしてとてもエレガントで素晴らしい一品のようだったが、どこのものか聞けずじまいだった。自分で探してみたこともあったが、同じものは見つからなかったんだ。まさか御子息の手作りだったとは。いやいや、とても嬉しい。これはひとりの時間に大切に吸うよ」
その言葉はお世辞ではないようで、本当に嬉しそうな表情を向けられてアンナは心から安堵したのであった。
* * *
「あの人があんなに幸せな顔をしているのは久しぶりに見たかもしれないわ。アンナ、ありがとうね」
翌朝、シャンテルから私室に呼び出されて心のこもった礼を言われたアンナは、控えめにお辞儀をした。
「私ではなく、すべてミッドフォード卿の手柄です。私は途方に暮れていただけで、ミッドフォード卿の機転に助けられました」
女子会よろしく、ニコルとステファニーも同席してソファに座っている。幼いステファニーはどこまで話を理解しているのかは謎であるものの、にこにこしながら自分と同じくらいの大きさのクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめていた。クマ……ウォーレンがいたら戦闘になるかもしれない、とアンナはついいらぬ妄想をしてしまう。
その横では、なぜかニコルがむすっとしたしかめっ面をしていた。アンナの視線に気づくと、これみよがしに肩に落ちてきた髪を後ろに払いながらイライラとした口ぶりで言う。
「なんなのよ。アンナはできる女なんだから、相手が誰であれそんなに卑屈になって立てなくてもいいじゃない。アンナに気を遣わせるなんて、嫌な男だわ」
ウォーレンの悪口を言っているらしいと気づくまでにアンナは数秒を要した。
(珍しいこともあるものですね。ニコルお嬢様は気が強いところはあっても、普段から公平公正であることを心がけて理不尽なことを言わないように気をつけていらっしゃるのに)
なぜか彼のことはお気に召さないらしい。
シャンテルにもばっちり聞こえていたはずだが、独り言として無視することにしたようだ。ニコルに対して特にコメントすることなく、アンナへ茶目っ気たっぷりに片目を瞑って笑いかけてきた。
「彼、最高じゃない? 今現在独身に限って言えば、この国にあの方を超える逸材がいるとは考えられないわ。あなたもそう思っているのでしょう?」
ここは素直に「はい」と答える場面である。わかっていたが、アンナは視線をさまよわせて自信のない声で答えた。
「条件面では申し分がないかと」
「え、どういうこと? 見た目や性格は好きじゃないってこと?」
目をぱちぱちとしながらシャンテルが不思議そうに畳み掛けてくる。アンナは追い詰められた気持ちになりながら「そういうわけでは」とかすれた声で告げた。頬が熱くなってくるのが自分でもわかる。この会話に照れているのだ。
「その……ものすごく良い方だとは思うし好感度も高いんですけど、これってあの方を前にしたら誰もが抱く想いであって、私固有の感覚ではないと思うんです」
つい早口でまくしたててしまったが、シャンテルは不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「うん……? まあ私は夫が一番だから『素敵な男性ね』以上の感想はないけど、言いたいことはわかるわ。つまりアンナは『誰でも好きになるようなわかりやすい良い男に惹かれている自分を受け入れられない』ってことよね?」
うまくまとめきれない気持ちを簡単に言語化されてしまい、アンナは焦って言い返す。
「そ、そこまでは言ってないです、べつにそんな私は『おもしれぇ男』好きとかじゃないので、ごくごく普通の方であれば良いんです。ただあの方は全然普通じゃないですよね? 『イケメン』の上に最高級のウルトラスペシャルデラックスがつくといいますか!」
アンナがぽんぽんと言ったところで、それを上回るテンポでぽんぽんと言い返してくるかと思って言ったのに、なぜかシャンテルはにこにこしたままアンナを見て頷いているだけであった。
すかさず口を挟んできたのはニコルである。
「なんなのよそれはーっ!! アンナベタ惚れすぎるじゃない!! 目を覚まして? いまの自分がいかに恋にうつつを抜かしてふにゃふにゃになっているかわかる? 鏡を見てみたらいいんじゃないかしら!」
あまりにも舌鋒鋭く、胸に何本も矢が刺さった。生きた心地がせず、アンナは胸に手をあてて「お嬢様……」と呟く。
ニコルはまったく手を抜く様子もなく、立ち上がって腕を組み宣言した。
「次の課題わかっているわよね? 本屋さんで私好みの本を選んでくるのよ! 普段クマのことで頭がいっぱいの男がどんな本を選ぶのか見ものだわ。楽しみにしているわね! ほほほほほほ!」
悪役めいた高笑いまで完璧であった。
「はい。もちろん覚えています。お嬢様のご本に関しては私も意見を言えると思いますのでお任せください」
それはさすがにウォーレン頼りにはしない、と思ったアンナにニコルは「だめよ」とそっけなく言った。
「私はあの男がどんな本を選ぶのか知りたいの。変なもの買って帰ってきたら思いっきり笑い飛ばしてあげるわ!」
そんな、最初から否定する気持ちでいるなんて……とアンナはたしなめようか迷う。そのとき、ニコルの隣で座ったままでいたステファニーが何か異変を察知したように首を傾げた。
ニコルとアンナを見比べてから、大きなクマのぬいぐるみの腕を持つとぶんと振り回してニコルを弾き飛ばす。「きゃんっ」と子犬のような声を上げながらソファに座ったニコルに対し、ステファニーは子どもらしい声で告げた。
「おねえさま、アンナをいじめちゃだめよ?」
くすっとシャンテルがふきだす。
そのとき、部屋のドアがノックされた。アンナがすぐに応じて声をかけると、メイドが「アンナさんに来客です。男性の方です」と伝えてきたのであった。




