世界はそれを「恋してる」って言うんだぜぇ!
「アンナさんはいったい何に悩んでいるんですかね?」
食堂の片隅で、朝の忙しい時間帯のはずの男女総勢十人の使用人にまるで追い詰められるように囲まれて、アンナは質問を受ける事態になっていた。
「べつに悩んで……悩んではいますけど。そんなに深刻なものでもなくて、ですね」
「目の下のクマ」「眉間の皺」「頬のかさつき」
口々に、化粧品でも売りつけられそうな勢いで顔面の衰えについて並べ立てられる。
「そ、それはもう私も若くないですから」
「目に生気がない」「声に張りがない」「猫背」「自信がなさそう」
今度はより内面を抉ってきた。このままだと高級な壺や護符の購入をすすめられそうである。
アンナは笑いながら「大丈夫ですってば」と言った。
その声が、自分でもびっくりするほどかすれていた。
「アンナさん! ろくに食べてないんじゃないんですか!?」
「早く食事をーっ、スープを!」「いや、肉を!」「とにかく何か食わせないとダメだ!」
「アンナさんが死んでしまう!!」
衛生班がまざっていたのかな? いや作った料理を美味しく食べて欲しいキッチンのひとたちだな……と思っていたところで、なぜか大人の群れをかきわけて幼い貴公子アンドレイが姿を見せた。
「アンナ、僕を置いて死ぬな!!」
唐突な一言を耳にして、笑顔のままアンナは固まった。
(どこから聞いてらしたのかわかりませんけど、その情報は正確ではないですよ。落ち着いてください、坊っちゃん)
盛られた話に惑わされずに、と声に出さずに心の中で言っていることに気づいてアンナは自分の疲れを自覚する。
このくらい、普段なら考える間もなく口に出して本人に言っているはずだ。
いまは胸がつかえるような息苦しさがあって、何気ない会話に声を発することすら億劫に感じてしまっているのであった。
子ども部屋で毎日声を張っていたときとは、明らかに違っている。
アンナは胸に手を置いて深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから言った。
「いますぐ死ぬということは事故事件以外ではないでしょうが、なんだかあまり体調が良くないかもしれません。ずーっと胸がしめつけられるような感じがあります」
「動悸息切れはどうです?」
横から、年嵩のメイドがずずっと顔を近づけて聞いてきた。生薬を用いた命を養う酒でもすすめられそうであった。
それならばアンナも得意分野である。
「こうも皆さんに心配されるほど見た目にも元気がないとなると、滋養強壮剤でも調合したほうがいいかもしれませんね」
気晴らしにもなるし、と続けようとしたところでなぜかダンが「ぶはっ」と噴き出した。なに? とアンナが聞く前に、照れ笑いのような表情で言われる。
「彼氏サンに盛るんすか? そういうアプローチ、ぐっときますね!」
「……えっ」
アンナが唖然として返答に詰まったところで、ティナが力いっぱいダンの向こう脛でも蹴飛ばしたらしい。ダンは悲鳴を上げて足を押さえてしゃがみこんだ。
「あんたはいい加減にしなよ。アンナさんはそういうんじゃないんだから、不埒な目で見ない! だいたい、どう考えても彼氏とまだそこまでいってねえべ!」
的確な気遣いであったが、どうしたことか胸が痛い。アンナはなんとか愛想笑いを浮かべながら言葉を挟んだ。
「アンドレイ様もいらっしゃるので、皆さん大人としての振る舞いを心がけましょう」
いち早く反応したのがダンで「よーし、大人の男の心得、何から教えればいいっすか?」とアンドレイの肩に腕を回そうとする。アンナの予想もしない方向に振り切れていたが、これは他の男性使用人も止めたので未遂で終わった。
(うーん、やっぱりいろいろ不安なんですよね。いまこのお屋敷を離れるのは)
公爵邸の使用人として考えたときに、いささか毛色の変わったざっくばらんな若者がまざっているのは、やはり数年に及んだ流行病の影響抜きには語れない。
かつて公爵邸を支えた古くからの使用人たちが相次いで本人や家族の病気を理由に職を辞し、かなり顔ぶれが入れ替わっているのだ。その上、夜会なども数年会開かれなかった影響で手順や段取りが継承されていない部分があるのである。ウォーレンを迎えたパーティーでクラッカーを鳴らしていたのもそのせいかもしれない。もっとも、エリックも面白がって許可していたというので、これは現当主の気質ゆえとも考えられたが。
この落ち着かない状況は、子どもの教育への影響はどうなのだろう? 子ども部屋付きではなくとも、もう少しこの屋敷で成長を見守っていたい……と切なく思うアンナの前に、湯気を立てるコンソメスープの皿がことりと置かれた。
「まずは食べなよ、アンナさん。いくら恋煩いだからって、やつれてしまえばせっかくのドレスもサイズ直しが必要になってしまいますぜ」
渋くて良い声で言ってくれたのは、壮年の男性である料理長だった。
ありがたいと思いつつも、アンナはその言い分にほんの少しだけ抵抗を試みる。
「恋煩いというのは、どうなんですかね」
「認めなよ、アンナさん。認めたほうが楽になれるよ」
すぐさま年嵩のメイドに言われ、取り囲む人々にうんうんと頷かれる。あっという間に、取り調べクライマックスのような雰囲気になってしまっていた。
しかし押し切られてばかりではいられない。
「そう言われましても。少なくとも、あの方は名のある貴族として、ご自分に都合の良い相手をお探しであっただけのように思います。実に貴族らしい振る舞いですよ、条件で伴侶を選ぶというのは。私はたまたまその条件にかすっただけといいますか」
「でも、アンナさんは」
納得いかない様子で、ティナが目の前に迫ってきた。アンナは勢いに気圧されて目を瞬いていたが、ティナは真剣そのものの表情で言う。
「好きになったんですよね?」
「そ、そんな。こんな短期間に好きも嫌いもないです」
逃げ道を残すようにアンナは素早くそう答えたものの、ティナは「うんにゃ」と否定してきた。
「アンナさんはあの王子様のこと、もう好きになってますよ。だって考えてもみてください、アンナさんは何年間もこの公爵邸で過ごしてきて、周りにそれなりに男性がいて出会いだってあったんです。でも、いま屋敷の中の誰かと無条件で付き合えるとして、選びたい相手がいますか?」
「出会い?」
一度も考えたことがなかった。ただの一度も。言われてアンナは真剣に屋敷の中の男性を思い浮かべてみる。エリックにはシャンテルがいて、家令の奥さんはメイド長で……と考えているうちに、どんなに無条件でと言われても誰も「付き合いたい相手」として思い浮かばないことに気づいた。
なぜかアンドレイが身を乗り出して挙手していたが、お勉強中に質問したわけでもないのにどうしたのかしら? と不思議に思いつつアンナは指名することはなく見送った。
「ほら。これまで毎日のように顔を合わせて一緒に働いてきた相手は誰一人意識していなかったのに、いまは突然目の前に現れた王子様のことで頭がいっぱいなんですよね? それって好きってことですよ」
それって
好きってことですよ
頭の中で何重にもその言葉が響き渡る。
「世界はそれを『恋してる』って言うんだぜぇ!」
なぜかダンがドヤ顔で言葉を重ねてきた。
「私……恋、しているんですか?」
アンナが呆然として呟くと、アンドレイが必死の形相で「騙されるなーっ」と叫ぶ。その声はもうアンナには届かない。
(恋してる? 好き?)
ぐるぐると考えていたとき、男性使用人が人間の壁をかきわけるようにして現れて、アンナに手紙を差し出してきた。
「あ、いたいた、アンナさん。これアンナさん宛です。部屋に届けそびれていたみたいで、そのまま何日間か置きっぱなしになっていました。急ぎの内容じゃないか確認してもらえます?」
アンナはひとまず手を伸ばして「ありがとうございます」と受け取る。
差出人を確認する一瞬、胸がドキドキとした。
詩人のように美しい言葉を紡ぐ青年の横顔を思い出してしまう。
その一方で、すでに見慣れた彼の字とは違うということにもすぐに気づいていた。
(この字は見覚えがある……)
ロジェ・フォンタン
差出人の名を確認してやはりと思う。
隣国の研究所で、親しく会話を交わしていた研究者のひとりであった。




