ひとがひとを好きになる瞬間だ
「これはまた、どういうことだ? いまさら何を学ぼうとしているんだ?」
王都のミッドフォード侯爵家のタウンハウスにて。
我が物顔で図書室に現れ、ウォーレンが机の上に並べていた本を一冊手にしてその青年は眉を吊り上げた。
アイザイア・ガヴィオラ。
茶色の髪に琥珀色の瞳で、整っているが強い印象を残さない顔立ちをしている。しいていえば目に力があり、やや勝ち気な印象があった。
ウォーレンがとある夜会で初めて顔を合わせたとき彼は、黄金色の髪に派手なメイクの美女だった。本人によれば「演劇の役だと思えば女性の声くらいいくらでも出せる」とのことで、男であるという事実を告白しがてら「元が良いからどんな変装もお手の物だよ」と得意げに言っていた。
身分としては王弟の末子であり、年齢的にはウォーレンより十歳下。学生時代に演劇にかぶれて、一時は勘当寸前の立場にあったとのこと。
しかし、普段は貴族の令息としてまったく褒められることがないというその特技を活かして、現在は宮廷に仕える密偵のような役割を担っているらしい。
ここ最近は「女癖が悪く問題を起こしがちなウォーレン・ミッドフォード」に関して調査を始めていたということだが、ウォーレンが「双子の兄弟であり、問題を起こしていた弟のほうは不在である。行方もわからない」と伝えたところ、長期戦を覚悟したらしく「裏を取らせてもらう」と密偵らしからぬ大胆さで宣言して侯爵邸に居座っているのである。
アンナとの初回のデートを終えた日は不在にしていたが、二日ばかりして帰宅するなりその足で邸内のウォーレンを探し出し、わざわざからかいに来たらしい。
アイザイアは自分が手にした本の表紙をしげしげと見つめて、張りのある声で読み上げた。
「『月の光を浴びて』知っている、これは有名な恋愛小説だ。メロドラマってやつだな。いままでウォーレンはこういう本、まったく興味がなかったんじゃないか? 身の回りにそれらしいもの全然なかっただろ」
普段はかけていないメガネを顔にのせて本の文字を目で追っていたウォーレンは、長話が始まりそうな気配を察して渋々と顔を上げた。
「第一回目のデートで、彼女から恋愛小説の話題を振られた。まったく読んだこともなかったからびっくりして、質問攻めにしてしまった」
話しながら紙のように薄い金属片の栞をページに挟み込み、メガネを外してアイザイアへと目を向ける。
訝しむような顔をしていたアイザイアは「なぜ?」と首を傾げた。
「『なぜ?』とは? わからなければ聞くだろう」
「そうか? 興味が無い話が始まったら、できるだけ話題を長引かせないようにするものじゃないのか。そうでもしないと、退屈していると相手にバレてしまう」
ウォーレンはすぐには答えず、アイザイアの質問の意味を考えた。
いまいちピンとこない。
こういったことは、ウォーレンの人生で何度となくあったので、自分が少しずれているのだろうと直感的にわかるのだが、ずれを埋める方法はいまだに見つかっていない。そのために、個別具体的に相手と問題をすり合わせるところから始める。
「退屈はしなかった。それまで知らなかったことを知ることにより、自分の中に変化が起きる。俺はこれを一種の成長だと考えている。実際、俺はこれまで読もうと考えもしなかった本を手にすることを思いついた。彼女が説明していた内容を、自分の目でたしかめて理解するために」
「面白いのか? 普段全然読まないジャンルの本を根気強く読むなんて、いくら相手に気に入られるための手段だとしてもものすごく苦痛じゃないのか」
共通の話題作りのために読んでいる、というのがアイザイアの解釈らしい。その意図に気づき、ウォーレンは即座に否定した。
「この程度のことで、相手の心臓を開き、そこに入り込むことができるようになるなんて考えていない」
「じゃあなんで読んでいるんだ? そんなに面白いのか?」
「読み始めたばかりだけに、まだ確たることは言えない。その意味では『新刊を心待ちにして買って、寝るのも忘れて楽しむ』読み方とは違うと思う。だが、まったく知らない世界に触れることで、読んだ後では確実に考え方に幅ができていると感じる」
ウォーレンはこれ以上認識のずれが生じないよう、言葉を厳選して伝えているつもりであった。
しかし、アイザイアは「う~~~~」と唸って髪をかきむしる仕草をする。
「わからん。俺は演劇のために恋愛小説も読むしそういった劇を演じることもあるけど、実は男女の機微はさっぱりわかっていない。恋愛小説からいったい何を学べるって?」
立て続けに質問攻めをされて、ウォーレンは顔をほころばせた。
本来のウォーレンは、好奇心はあるもののぼーっとした気性であり、自分からあえて前に出ようとせず一歩引いてしまう性格である。幼い頃に読み書きをあっさり覚えたこともあり、大人を質問攻めにしてわずらわせることなく「あとで自分で調べよう」と引き下がってしまうところがあった。
しかし、本からは得られない知識が世の中にはたくさんあるとほどなくして気づく。
故郷の山で高頻度で遭遇するグリズリー対策などがその最たるもので、大切なことはほぼほぼハンターたちの口伝なのだった。
それも、絶えず最新の情報が出回っているのである。中にはかつて絶対だと信じられていた内容が覆るような新情報もあり「これを読めばすべてわかる」という書物を編みようがないということもわかった。「改訂版が出ていることに気づかず古い内容を妄信すればかえって危険なこともある」と、ハンターたちは書を編むことに否定的だった。
かくして山での生活が日常になるにつれ、ウォーレンは生存のために周囲の大人たちを質問攻めにするようになっていた。
それは意外なほどに大人たちに受け入れられた。「質問が上手いから、説明しやすいし自分にも発見がある」と褒められることも多くなってきた。
つまり、自分が興味を持って質問をすることで「知りたいことを知れるばかりか相手の中でも情報が整理され、お互いの知識が明確になる」という体験を何度もしてきたのである。
よって、ウォーレンは自分がそれまで興味を持ったことがない話題でも、相手にとって重大な関心事であるのならば自分も知りたいと自然に考えて質問を繰り出すのが習い性となっている。
アンナと話したときにも自然にそのように振る舞っていて、その結果恋愛小説に興味を持ち、こうして自分でも読むに至ったのだった。
ひとまず真摯に読書に向き合おうとしているが、次のデートのときに話題になるような発見があれば嬉しいとも考えている。
だが、読み進めるにつれてウォーレンはある壁にぶち当たっていた。
「恋愛小説から学べることな……。そうだな。俺は今朝起きてからいままで五冊読んだところだけど、わかったことがある。いや、わからなかったことと言うか」
「なんだ」
アイザイアに興味を持って聞かれたのが嬉しくて、ウォーレンは意気込んで答えた。
「ひとがひとを好きになる瞬間だ」
「は?」
「恋愛小説というのは、ヒロインと相手役の男がいて、惹かれ合う。大筋はそうなんだが、どのタイミングで相手のことを好きになったのかさっぱりわからない作品がここまでずっと続いている」
「……顔とか、性格とか……?」
首を傾げながらアイザイアが言うものの、ウォーレンとしてはすぐに同意できるものではない。
「人間社会の中で生きている以上、ストーリー開始以前に彼らはすでに多くのひとに会っているはずなんだ。よほど最低の環境でもない限り『顔や性格』だけで相手を好きになるなら、それまで何人も候補はいたはずだろう。それなのに、恋愛小説の登場人物はまるで物語が始まった瞬間、卵から孵った雛鳥のように相手役を見初めて人生を変える大恋愛を始める。一応なんらかの説明はあるんだが、本によっては『ヒーローとヒロインだから』としか説明していないようなものもあって俺は」
こんこんと話し始めたウォーレンに対し、アイザイアは「ストップ!!」と張りのある声で待ったをかけた。
そして、数秒自分の頭の中で考えをまとめるように「それはだな……」と呟いてからウォーレンに向き直り、真正面から尋ねてきた。
「ウォーレンはどうなんだ? いまアンナ嬢と婚約話を進めようとしているけど、俺が茶々を入れたあの夜会が初対面だったんだろ? どうしていきなり結婚しようと決めたんだ? 小説の話はいいよ、まずお前のコイバナを俺に教えてくれよ!」
問われたウォーレンは目を瞬いてから「それは」と切り出した。




