ペンが必要な呼吸をするに任せて
ティーショップでの茶会は現地集合である。
ウォーレンは迎えに来ると申し出てくれたが、アンナが断固拒否した。
(その場合、馬車で二人きりになるところから始まってしまいますよねっ。私は試験と名のつくものにかけては、ぎりぎりまであがくんです!)
待ち合わせる理由は「デート」であり、決して「試験」ではない。だが、ミッションとあらば完璧を目指したいのがアンナの性分である。
そうかといって、男性とのデートはこれまでの人生で遭遇したことのないクエストであった。対策として、具体的に何をしたら良いのだろうか?
頭を痛めたアンナに救いの手を差し伸べたのはニコルだった。
「これを一緒に読みましょう」
メイドの手を借りて、アンナの前に積み上げてくれたのは流行りの恋愛小説である。
「そ、そこからですか……!?」
それはあくまで作り話ですよ? とニコルの発想と選択を危ぶみ「もう少しまっとうな文献をあたりましょう」と言おうとして、アンナ自身何も思い当たらないことに気づく。
慌てて、頭の中に図書館の分類を思い浮かべる。数学、天文学、物理学、医学、工学、薬草学、生理学……と書架の間をめぐる自分を想像し「無い」という結論に至った。「デート」はおそらく「交際」に属する分類になるはずで、学問としては「恋愛学」が妥当かと思われたが、そんな書架は見かけたことがない。
「あらいいじゃない」
そこにシャンテルが合流し、三人をはじめ文字の読み書きのできる侍女やメイドも加わり手分けして一回目のデートに向けて「アンナの事例において使えそうな部分」を恋愛小説から探すことになったのだが――
(無かった)
アンナ自身、時間の許す限り恋愛小説を読み漁ったが、手にした範囲内でこれといって妙案を授けてくれるものには行き当たらなかったのである。
もう恋愛小説作戦はだめかもしれないと思ったアンナがこわごわと手にしたのは、ウォーレンからの手紙であった。
忙しいはずなのに、彼は一回目のデートの日までに設けた準備期間十日の間に、五通もの手紙をくれたのだった。
(恋愛小説で男性の攻略方法を考えるのは時間があるときにするとして、対策を立てるのであればこちらのほうが現実的ですよね……)
日常のささいなことが綴られた実に簡素な手紙であった。「返信には及ばない」と書かれていたのに甘えてアンナは一度しか返事を書いていない。
その五通の手紙を、アンナは最後のあがきのようにティーショップへ向かう馬車の中でも読み続けた。
* * *
「恋愛小説を参考にしようとした?」
ティーショップの個室で向かい合ったウォーレンは、アンナの打ち明け話を聞いて面白そうに笑い出した。
今日も今日とて、笑顔がまばゆい。
直視すると目が焼かれそうだと思いながら、アンナは「少なくとも流行りの恋愛小説からめぼしい方法は見つけられませんでした」と結論を述べる。
「そもそも、女性向けかつ女性が主人公の恋愛小説の場合、女性関係に問題のある婚約者ですとか、新婚初夜に『君を愛することはない』と言い出す夫が現れる様式美がありまして」
「最低だな」
アンナは、我が意を得たとばかりに「そうなんです!」と身を乗り出した。
ウォーレンは相槌を打ちつつも、スイーツとセイボリーがみっしりと詰まった三段のケーキスタンドから小さなタルトをアンナと自分の皿に取り分ける。会話の合間に上品な仕草ながら一口でぱくっと一個食べて「おっ」と目を見開いた。
「マロニエのタルトだ。美味しい。話すのもいいけど、これは食べておいた方がいい」
すすめられたので、アンナも手にとって食べてみる。想像よりずっと美味しくて、やはりぱっと目を見開いてしまった。
「美味しいです」
「こっちはなんだろう。プラムとバターのケーキだ。これも美味しい。お茶もすごく香りがいい。あ、プディングもいいな」
「私はこれ好きです。いちじくを使っていますね!」
店員はメニューの説明をしようとしてくれていたが、アンナには門限があり時間に限りがあるからと早々と退室をお願いしていたため、どれもこれも実際に食べて確かめることになったのである。
ウォーレンはその体格に見合った良い食べっぷりであり、好き嫌いもないらしくなんでも楽しそうに食べる。アンナもつられて「美味しいです!」としばしの間幸せな気分で食べ続けてしまっていた。
そのうちに、話の途中であったことを思い出す。
「つまり、私が恋愛小説から得た知識ですとミッドフォード卿のような男性はあまりいないんですよ」
「俺のような? どういう意味で?」
「『問題のない男性』ですね。物語の男性というのはたいてい、わかりやすく自分勝手でわがままなんです。でも、ヒロインは自分の結婚は政略結婚とわきまえていて、相手は親が決めた婚約者であり夫だからと、なんとかうまくいくように粉骨砕身、まさに骨身を惜しまず努力するんです」
「それでなんでうまくいかないんだ?」
きわめてまっとうな質問を受けて、アンナはよくぞ聞いてくれましたと意気込む。勉強したことはなんであれ、すぐに誰かと分かち合いたいと思ってしまうのだ。ウォーレンがあまりにも聞き上手なため、話すつもりのなかった研究成果まで踏み込んで披露してしまう。
「いろんなパターンがありますが有力なストーリーラインとして、努力すればするほど相手から『小賢しい女』として嫌われるパターンがありますね。相手はヒロインのような真面目すぎるがゆえに面倒な女を避け、自分に都合の良い『可愛い女』に夢中になり、ヒロインを無下にするんです」
「ヒロインは『政略結婚だから、その範囲内で問題を収束させるように』最善の振る舞いをしているんだろう? どうして相手の男はそう考えないんだ? 家督を継ぐ者だろうがそうでなかろうが、ごく普通の教育を受けていたら、そんなことは当たり前にわかっているべきことだろう」
ド正論で返されて、アンナは「だからなんですよ」と悩ましく息を吐いた。
「どう考えても男性の設定に無理があるんです。その無理をヒロインが乗り越えていく過程が醍醐味で面白くはあるんですが……、相手の振る舞いには何か理由があると突き止めて相互理解に至るですとか、あるいは徹底的に追い詰めて相手の有責で婚約を解消し晴れて自由の身となって、違う恋に邁進するですとか。ただ、その……ミッドフォード卿のように『冒頭から特に問題のない男性』って物語的観点からするとなかなかいないんですね」
実際、アンナをはじめ公爵邸の女性陣で知恵を寄せ集めてもウォーレンが「難しい」のはそこなのだった。
事前情報では女性関係に大きな問題があり、結婚相手としては考えられない相手だという欠点があった。しかしその問題は「弟のやらかし」とわかってしまった。こうなると、本人は誰もが理想的と思える美点を兼ね備えた男性なのである。
欠点がない上に性格が良くて、アンナのことも好待遇で迎え入れようとしてくれている。
(この話しぶりからすると、おそらく結婚後も浮気をしたりよそで女性を囲ったりと問題を起こすこともなさそうで……。穏やかで、とても良い夫婦になれそうなのですが)
そこに「恋愛」は無いだろうとアンナは感じている。あえて彼が抱えている問題をひとつあげるとすれば「相手がいないと自分一人では後継者たる子どもを産めない」ではないだろうか。それ以外の理由で、伴侶を必要としていないように思えるのだ。それは、条件さえあえばアンナ以外の相手でも良いという意味ではないだろうか? という不安が拭えない。アンナは「相手から必要とされたい、唯一である実感が欲しい」という気持ちを無視しないほうが良いと感じている。
「問題がないとだめなのか」
不思議そうに聞かれて、アンナは苦い表情で頷いてみせた。
「物語が始まらないで終わります。だって解決するべき問題が無いですから」
「物語が始まらないで終わる……」
ウォーレンは考えているそぶりをしながら呟いたが、頬から唇がぴくぴくと震えていた。どう見ても笑いをこらえている顔であったが、アンナはすぐに言葉が過ぎたと後悔し、なんとかフォローしようとする。
「もちろん現実は物語ではないので、ミッドフォード卿はご自身が主役の物語を生きていると思うんですけど……」
うんうん、とウォーレンは楽しげに相槌を打ってから口を開いた。
「俺はこの数日間、まるで恋愛小説の中の人物みたいに振る舞っていたと自分では思う。手紙を書きながら」
あっ、とアンナは鞄の中に詰めてきた手紙を思い出した。
「お忙しいのにたくさんありがとうございました!」
私はろくにお返事を書けず……とかしこまるアンナにウォーレンは優しいまなざしを向けてくると、甘く微笑みながら言った。
「送ってから負担になっていたら申し訳ないと思ったけど、自分ではたくさん書いているつもりはなかったんだ。愛の手紙というのはまったく普段の書き物とは違うと実感したよ。ただペンが生きるのに必要な呼吸をするのに任せていただけなんだ」
詩句の一節のような言葉が心に染み込んでくるにつれて、アンナは自分の頬に血がのぼってくるのを感じた。
デート一回目、完敗。
帰宅後、デート十回分のサインコレクションの台紙を子どもたちと作って待ち構えていたシャンテルは、アンナの報告を受けて一回目の地点にサインを記した。
〝もう少し頑張りましょう〟
※誤字報告でレスキュー!いつもありがとうございます!
※サインコレクション=スタンプラリー的な意味で使ってます。スタンプラリーを検索してみたところ「和製英語で、英語ではPassport programなどといいますよ」的な説明が出てきたんですがそのまま本文に使うとわかりにくいので造語?です。




