それは「私のどこが好きなの?」という意味だろうか。言ってもいいが、耐えられるのか?
これまで人の気配があり賑やかだったのが嘘のように、突如として場が静寂に包まれた。
(二人きり……呼びに来るまで二人きり……の、時間をどうにかもたせなければ! 会話!?)
婚約者であれば、困った困ったと言いながらも内心では嬉しいハプニングかもしれない。
しかし、アンナとウォーレンは出会ってまだ三日だ。
二人になったからとて、いそいそと恋人同士の語らいをする関係性ではない。
(まずは彼と向き合うところからですよね)
今日のアンナは普段とは違い、気合の入ったおしゃれをしている。「目にものを見せてあげなければ」とシャンテルは物騒なことを言っていたが、アンナひとりではどうにもできなかったのでその心遣いには感謝の気持ちでいっぱいだ。
とはいえ、花の盛りの八年間を子育てに明け暮れてきたアンナとしては「いまさら私が『女』を演じようとしましても」と落ち着かないことこの上ない。
しかも目の前にいるのは極上の美青年なのだった。幸いにして、彼は女性よりグリズリーのほうが得意ということで、アンナごときが着飾ったところで距離を詰めてくることもないだろう。「女」を求められても応えられる気がしないアンナにとっては、それが何よりありがたい。
「えっと……あの、すみません。何かとこちらのペースで進めてしまっておりまして」
まずは何はともあれ謝罪であると、口火を切った。
なまじ仕掛け人が公爵夫妻であるだけに、アンナの立場からは非礼と思っていても詫び辛いものがある。言葉で言うならば「私の雇い主がすみません」になるであろうが、さすがに一介の侍女が口にするには大胆すぎるというもの。それゆえに迂遠な言い方になる。
ウォーレンはといえば、まったく気にした様子もなく穏やかな笑みを浮かべていた。
「謝ることではないよ。そもそも一昨日のプロポーズから、中一日で屋敷に押しかけているのは俺のペースで、これはそれに応えてもらった形だ。この縁談を歓迎してくれているのがわかって俺も助かる」
事実として、その通りであった。アンナ以外の全員が、さっさと縁談を進めようとしている。
女性としての自己評価は限りなく低い自覚はあるが、この期に及んでいつまでも「察しの悪い女」をしている場合ではない。
なにしろ、彼は婚約者への贈り物まで用意してきてくれたのだ。青い小箱は「ポケットのないドレスだから」と一度彼に返してはいるが、あの一件だけでも彼は本気らしいとわかった。
アンナも覚悟を決めて、確認を口にした。
「これは完全に……玉砕前提であったはずのプロポーズが、結婚方面で大成功を収めていますよね」
「ありがとう。たくさんいる伴侶候補の中から『俺』を見つけてくれて」
微笑んだままウォーレンが胸に手を当てて言う。実にさまになっていた。三十歳まで山暮らしをしていたと本人は言うが、ここぞという場面では育ちの良い貴公子だ。
しかも大変に奥ゆかしく謙虚である。
(この方は、まるでご自身を砂の中の一粒の金のように言いますが、どう考えても砂金どころか人間の形をした生ける黄金郷じゃないですか……!)
さすがにその麗々しい外見も多少見慣れてきたが、最初に見かけたときの「美形すぎて目がバチバチ痛い」の輝きは健在である。人となりを知った後だと、さらに輝きが増したようにも感じられる。
もはやこんな男性は自分のような疲れた女ではなく、どこかの押しも押されもせぬ美姫にこそ引き取ってほしい。
アンナはわらにもすがる思いで言った。
「これまでは弟さんの所業で手痛い目にあってきたかもしれませんが、めげずにあと何回かひとの集まる場に顔を出せば、疑いは晴れることでしょう。ここはひとつ、真剣に婚活なさってみてはいかがでしょうか」
アンナとしては「私で手を打とうなど思わずに」と真剣にすすめてみたのだが、ウォーレンはふっと息を吐き出して遠い目になった。
「俺が思うにだな……。俺には、婚活にかける情熱が無い」
「無い?」
え? とアンナが小首を傾げて聞き返すと、視線を向けてきたウォーレンは口の端を吊り上げて苦み走った笑みを浮かべた。
「時間も惜しい。真剣に婚活をしてご令嬢たちと親交を結び慎重にひとりを選び抜いて領地に連れ帰る頃には一年も二年も経過しているだろう。そんな手間暇かけて弟の所業から俺の名誉を回復するくらいなら、あっさりと本命と結婚して領地に帰ることでこの一件に幕引きをはかりたい」
「婚活に情熱はなくとも、独身主義者ではないんですね?」
「ではない。妻は必要だ」
きっぱりと言い切ってから、ウォーレンは「グリズリーと戦うのは俺に任せてもらうとしても」と前置きをして続けた。
「まず仕事に関して、俺はかなり忙しい自覚がある。できればごく身近で信頼できる相手にいくつか仕事を割り振ることができれば良いが、そういった相手は滅多に見つからないものだ。なにしろ双子の弟にしてやられたばかりだ」
説得力がありすぎる説明に、アンナは異論を差し挟む余地もなく頷いた。
彼自身はここまで弟の悪行を淡々と話していたが、実際はその失踪により事業においてかなり痛手があったのかもしれない。
(女性関係はともかく、王都での仕事の切り盛りは的確だったということですからね……。入れ替わり問題が発覚した後も弟さんの悪評が出回らないのは、侯爵ご本人が広まらないように止めているのかも)
名前を使われたことで迷惑を被っているとはいえ、犯人は他ならぬ双子の弟なのである。犯罪に加担した証拠でも出てくれば温情のかけようもないだろうが、現状そういうわけではないのであれば心情的には許したいのかもしれない。戻ってきたときに居場所があるように取り計らっているようにも見える。
アンナはぴんときて、思いつきをそのまま口にしてしまった。
「ミッドフォード卿が仕事上のパートナーをお探しということで、弟さんの穴埋めとして奥様をお求めであれば、弟さんが見つかった場合奥様は不要なのではないですか」
ハハッとウォーレンはアンナの言い分を明るく笑い飛ばした。
「さすがに妻と弟を混同することはない。妻にも仕事を引き受けてもらえたら嬉しいという考えはあるが、まずは俺の妻でいてくれれば十分だ」
「ということは、後継者問題ですね」
であればなおさら私ではなくせめてもう少し若い女性を……と年齢で引け目のあるアンナは思わずにはいられなかったが、ウォーレンは「そうじゃなくて」とアンナの目を見つめてきた。
「忙しくて出会いもなければ婚活に情熱もないが、独身主義者ではなく結婚するなら本命の女性が良いと思っている。考えてもみてくれ、俺はおそろしく都合の良い願望を持っているんだ」
考える余地をくれたが、考えるまでもない。ウォーレンの言っている「婚活せず本命に出逢いたい」は、よく恋人に求める条件として話題になる「少年の心を忘れない大人の男がいい」とか「床上手な処女が望ましい」くらい実現不可能なことに違いない。
慎重に、さりげない表現に言い換える。
「そう……ですね。たしかにそれは『空から結婚相手が降ってこないかな』くらい突き抜けた願望だと思います。お酒の席で口にしますと、全員に笑い飛ばされてしまいそうな」
言ってから、アンナはウォーレンとしっかり目が合っていることを改めて認識した。ハッと気づいたその瞬間、にこっと大変魅力的に微笑まれた。
「酒の席で笑い飛ばされるくらい、なんてことはないよ。それに、俺の願望は天まで届いていたらしい。俺の勝ちだ」
「待って……えっ……いや……ええっ!? あの……でも、私は」
かあっと頬に血が上ってくるのを感じながら、アンナは居ても立ってもいられず席を立った。勢いのまま部屋の中を歩き回ろうとしたが、ウォーレンも同時に立ち上がったことにより身動きがとれなくなる。
その場で叫んだ。
「私、空から登場なんかできていません!」
「似たようなものだよ。結婚したいなと思っていたときに目の前に出てきた。マンドラゴラかな? と思ったらマンドラゴラだった。運命以外の何ものでもない」
「なぜ一回マンドラゴラを経由するんです?」
「じゃあ直通でいいのか?」
マンドラゴラを足して二で割らない場合、アンナのみが残る。さらに顔が熱くなり、喉まで干上がってきた。それでも、アンナはなんとか言い返した。
「ひ、一目惚れするようなところ、何もなかったと思うんですが」
「それは『私のどこが好きなの?』という意味だろうか。言ってもいいが、すでに顔がだいぶ赤い。耐えられるのか?」
ひいっと声を上げながらアンナは後ずさった。背後には立ち上がったばかりの一人掛けがあり、すぽっと体が収まってしまう。
「そんな百戦錬磨の色男みたいな……。グリズリーに育てられたひとは絶対にそんな言い回しはしない……」
「グリズリーに育てられてはいない。親も家族もいた、人間の中で生活していたよ。まあ、戦闘スキルはグリズリーで磨いたからある意味育てられたとも言えるが。その場合育ての親は全員討伐したことに」
勝率百%。百戦錬磨であることは間違いないという。
「あの、でも……。私は子爵家の生まれでして、身分差が……」
「俺は当主なので親類縁者の指図を受けることもないし、王家も俺の選択に口出しはできないだろう。子爵家であれば十分すぎるくらいだ。その上、モリス公爵家の後押しもあるんだろう?」
「年齢」
「俺の方が上だな」
打てば響くように返してきたウォーレンが「俺からもいいか?」と尋ねてきた。
「嫁入り後はモリス公爵家の仕事は続けられないだろう。当家の仕事であれば好きなだけ励んでくれ。俺は領地に一緒に戻って欲しいと思うが、どうしても王都が良いというのであれば薬の取引に関して仕事がたくさんある。領地では研究所の仕事が良いんじゃないかな。アンナ・ギボンズは即戦力として大歓迎だ。あ、すまない、働かないという選択肢ももちろんある。まずは、君に妻でいてほしい」
聞けば聞くほど、条件が良すぎる。
(子育て仕事からは離れることになるとしても、仕事はよりどりみどり! しかも薬草の研究にも復帰できるだなんて)
おそらくこれ以上の縁談は無い。
無いが、それだけにうまい話すぎて不安になるのだった。
まるでアンナの考えを見透かしたように、ウォーレンが小首を傾げて聞いてきた。
「不安?」
「……はい」
不安の理由は条件の良さだけではないと、アンナも気づいている。
自分にとって彼が「条件が良い」のは間違いないが、それは彼にとってもそうなのだとわかってしまったからだ。
彼は領地へ連れ帰れる手頃な女性としてアンナを口説いている。それは「好き」とは違う。アンナ自身、彼を好ましい人物と感じているが「好き」とは言い切れない。
振られるだけなら条件が揃っているほうがいいが、この先生涯を共にするなら条件だけでは選べない……相思相愛でいたいという青臭い思いが心の真ん中に居座っている。その理想は、無視できないほどに大きい。
わかった、とウォーレンが言った。
「まあ、それもそうだ。俺たちはお互いを知らない。だけど俺は諦めるつもりはない。正式に婚約する前にチャンスをくれないだろうか」
チャンス? と目で問いかけたアンナに対し、ウォーレンはきわめて真面目な顔で頷いた。
「これから三ヶ月の間に十回デートをしよう。そして三ヶ月後に結論を出す。それならどうだ?」




