旦那様が討ち取られてしまいました! 冷徹侯爵、恐ろしい男!
このまま進むと、ドローイングルームにたどり着く前に次なる刺客が現れるのではとアンナは危ぶんだが、幸いにもその後は何事もなく目的地付近まで到達することができた。
(てっきり「ほほほほほ、ニコルは我が家の中でもまだまだ伸び盛り。さすがに地獄の門番を務めるのは荷が重かったかもしれないけれど、次の相手は私よ。簡単に倒せると思わないでね」なんて言いながら奥様が現れるかもしれないと緊張してしまいました。杞憂でしたね!)
シャンテルの昨日から今日にかけてのテンションの高さからするになんでも起こり得ると警戒していたが、さすがに考えすぎだったらしい。
「そこの角を曲がったところです」
ほっとしながらアンナはウォーレンを先導する。
その目指す角から、前触れもなくエリックが飛び出してきた。
アンナを見てばちんとウィンクをくれてから、ウォーレンへと視線を定めて破顔する。
「いやあ、よく来てくれたね。卿が社交界での評判最低最悪の冷徹侯爵か。どれほど恐ろしい男が現れるかと、怖いもの見たさで待ちきれずに来てしまったよ」
ひえっとアンナは笑顔のまま絶句してしまった。
(旦那様! とても海千山千にして生き馬の目を抜く伏魔殿の社交界で生き抜いている貴族とは思えないほどドストレートな発言ですわ!)
それはアリなんですか!? とおののくアンナの横で、ウォーレンがふきだした。
「わっかりやすー……! たすかります、公爵閣下。変にもったいつけられると、俺もどこから何を話して良いかわからなくなるので。はじめまして、ウォーレン・ミッドフォードです。このたびは急な申し出に対し、迅速なお返事いただきましてありがとうございます!」
小気味よい笑い声をたてつつ、ウォーレンは大股に一歩進んでエリックの手を取ると、両手でぎゅっと包み込んだ。
角度的に、ほぼほぼ身長の変わらないエリックの目を的確にのぞきこんでいる。
「出迎えていただき恐縮です! アンナさんは奥様の大切な侍女と聞きました。ぜひ奥様にもご挨拶させて頂けませんでしょうか」
決してエレガントではないのに、押し付けがましくない爽やかさをもって自分の要求をハッキリ口にしていた。
真正面から彼に見つめられたエリックは、アンナがかつて見たことないほど押されている様子であった。
(旦那様が討ち取られてしまいました……! ウォーレン・ミッドフォード、恐ろしい男……!)
ごく一般的な美的基準を備えていると自負しているアンナから見て、エリックは洗練された美青年である。好みの問題で言えば、ウォーレンではなくエリックに軍配を上げる者もいるであろう。
つまり、エリック当人は幼い頃から鏡を見るだけで「美形とはかくや」という姿が目に入ってくる育ちをしている。なまじの美形には動じることなどない耐性を得ているはずだ。
だが、ウォーレンは聞きしに勝る美貌であっただろう。それにもひるまずストレートな物言いで先制攻撃を仕掛けたというのに、気を悪くするどころか親しげに距離を詰めた上に包み込むような握手までしてくる剛の者である。
エリックはアンナに「なにこれ?」と言いたげな視線を向けてきた。アンナの正直な心境としては「私にもわかりません」に尽きる。
彼の凄みのある美貌は「冷徹公爵」の評判通りである。しかし、ここまでアンナが見た限りそれ以外は何もかもが最悪の前評判とズレて感じられた。
まず、彼自身は自分の容貌の持つ影響力をまったく気にしている素振りがない。
向き合った相手の性別や年齢を問わず接し方が一貫している。それも、素朴でおおらかという印象だ。なにしろ出会い頭に「評判が最低最悪の冷徹侯爵か」と言われても、笑い飛ばしてしまうくらいなのだから。
「お聞きしたかったんですけど、どうしてあなたにはあんな噂があるんですか?」
彼が婉曲表現を好まないらしいと知り、アンナはつい疑問点をそのまま口にしてしまった。
ウォーレンはエリックの手を離して、アンナをまっすぐに見つめてくる。
「その件に関しては、俺も説明したいと思っていたんだ。いますぐ言いたくて喉元まで来ている。でも、伝言ゲームはだいたい失敗するものと決まっているから、伝えるべき相手が全員揃っているところで自分の口から正確に事情を伝えたい。それで良いかな?」
「はい!」
エリックは、乱れてもいない胸元のクラバットを指先で軽く直す仕草をしながら「んんっ」と咳払いをした。
主を差し置いて発言をしてしまったことに気づき、アンナは素早く謝罪しようとする。しかし先回りしたエリックによって「良いんだ。いまの会話は重要な示唆に富んでいた」と遮られた。
「どうやら何か深い事情があることはわかった。ぜひシャンテルのいる場で話してもらったほうが良いと私も思う。シャンテルはすぐそばの部屋で待っている。行こう」
落ち着きを取り戻したように見えたエリックであったが、踵を返したところで右手と右足が同時に前に出てバランスを崩した。何もないところで躓き、がくっとその身が沈み込む。
「旦那様!」
アンナは忠臣よろしくクッションとなって受け止めようとしたが、ウォーレンが長い腕を伸ばしてあっさりとその腰を抱きとめて事なきを得てしまった。
「失礼。許可なく触れてしまいました」
エリックが体勢を整えるなり、速やかに手を引く。一方のエリックは軽く目を瞬いてから、ウォーレンへと視線を向けた。
「卿は最低限の護身術を身に着けている……というレベルではないな。相当に体を鍛えている」
あ、やっぱり、とアンナも声に出さずに頷いた。
(反射神経がずば抜けていた上に、ものすごく体幹が安定していました。旦那様もかなり身長が高い男性なのに、ミッドフォード侯爵は片手で支えていましたし。しかも力を入れた様子もなくごく自然な仕草で、少しも揺らぐことなく。相当な腕力の持ち主ですね)
彼は繊麗な美貌に注目を集めがちであるが、服を脱ぐと全身筋肉なのでは……と想像しかけてアンナは慌てて打ち消した。不埒が過ぎる。
ウォーレンは飄々としたもので、エリックの問いかけにあっさりと「そうなんです」と答えていた。
「俺はこの年齢まで、ほとんど領地を出ることなく過ごしてきました。世間の方はミッドフォード侯爵領とはどういうところとお考えでしょうか」
「薬草の産地だな。これまではその堅実な領地経営ぶりで目立つこともなかったが、先の流行り病の時に特効薬の原料となる薬草を突き止めて、薬を完成させたことで名を挙げた」
ぴくっとアンナは反応しそうになった。
(薬草に関しての私の知識は八年前で止まっているので最先端のものではないけれど、研究内容を聞けばある程度あたりをつけることはできます。特効薬に使われたのは栽培の極めて難しい菌根菌から抽出したエキスということで……)
現時点では栽培に成功例がなく、採取でしか入手できないトリュフのようなきのこの一種だと聞いている。ミッドフォード侯爵領では比較的安定して採取できたために特効薬の実用化までこぎつけたとのことだ。
気になる話題を耳にしてうずうずするアンナの前で、ウォーレンは気負った様子もなく話を続けた。
「特効薬に必ず必要となるのは希少種のきのこなんですが、採取するためには山に入る必要があります。山にはグリズリーがたくさんひしめいていますので、ほぼほぼ戦闘になります」
「人間はグリズリーと戦ってはいけない」
エリックが極めてまっとうな意見を口にする。ウォーレンは真面目くさった顔で頷いた。
「いけないのは、グリズリーに人間の味を覚えさせることです。遭遇したら確実に仕留める必要があります。きのこを手に入れるためには避けて通れません。つまり、トリュフ豚のごとくきのこの見分けがつく目利きかつ、グリズリーと戦って勝てる人間が採取に行く必要があるんです」
「卿は……」
その先を言うか否か逡巡したエリックに対し、ウォーレンは瞬きもせずに言う。
「領主たる者、採取班のリーダーが務まらなければいけません。俺はグリズリー討伐成績が図抜けていましたので、毎日必ず山に入っていました」
ぽん、とエリックがウォーレンの腕に手を置く。そのまま軽く指で握るようにして呻いた。
「……固い。全身筋肉か」
ウォーレンは薄く笑って頷いた。
「グリズリーには負けられません」
グリズリー絶対倒すマンの自信がその声には滲んでいた。
しかし、何か辛い出来事を思い出したように眉をひそめて、悩ましげな溜め息をついて呟く。
「そういうわけで、俺は領地の山で毎日グリズリー狩りをしていたので、王都にはいなかったんです。グリズリーの間で俺の手配書くらいは出回っていたと思いますし賞金首になっていた自負はありますが、女性と浮名など流しようがないんですよ」
いつも衛生班(誤字報告)たすかります!




