信じてるわよ、アンナ
夕方の大号令以降、アンナのすべての仕事は強制終了となった。
半年待ちと言われる王都きっての流行ドレスのデザイナーが現れ、サンプル用に出来上がっていたドレスの中からアンナにあわせて選ばれた一着は、お針子総動員でサイズの微調整やレースの付け替え作業が夜通し行われることとなった。
宝石類やハンカチ、靴、扇子等の小物も外商が公爵邸に山と運び込んだ中からシャンテルが選び抜いた。アンナは意見を求められることもなかったので「選べないですよぅ」と尻込みする隙すらなかった。
夕食後、引き続き休む間もなくアンナはメイドたちに取り囲まれ肌や髪や足の爪まで磨かれる。
「腕がなります!」「既婚だと思っていましたがこれからだったんですね!?」「応援しています!」「相手の男性はどんな方なんですか?」「ここで決めちゃいましょう!」
「たっのしみでっすねー!!」
ほぼ祭りの空気である。
作業を終えた後は「寝ないと目元に疲れが出ます」「肌艶が悪くなるんです」「化粧ノリも良くなくなるので絶対に七時間くらい死んだように眠ってください」とベッドに監禁された。
アンナとしてはここ数年「淋しくて眠れない」と子どもたちに言われればその横で添い寝をし、夜泣きとあらば跳ね起きてという睡眠スタイルで過ごしてきたため、寝ろと言われて仕事を取り上げられたところで、すぐに寝られるものではない。
「自分のベッドで寝るのが久しぶりすぎて、落ち着かなくて」
正直に言って起き上がろうとしたら、気合の入りまくったメイドたちになみなみと注がれたホットワインを差し出された。
ベッドの周りでは鎮静効果があるという香が焚かれ、枕元には眠りを誘発する効果があるというポプリを敷き詰められた。手順はどことなく葬式に通じるものがあり、花に囲まれた枕に頭を埋めたときによぎったのは棺桶である。
(もはやこれは何らかの儀式に挑む生贄のよう!)
逆に目が冴える! と思ったものの、いつの間にか気絶するように寝落ちしたらしく気がついたら朝だった。
魔法をかけられたようで怖いと思いながら起きたところで、待ち構えていたメイドたちに乳白色の湯で満たされたバスタブに放り込まれてまたもや全身を磨かれる。
「こんなその場しのぎの対策なんて良くないと思うんですけどっ。後々『優良誤認させられた』『詐欺だ』とミッドフォード侯爵から訴えられることになりますっ」
部屋に顔を出したシャンテルに向かってアンナはバスタブの中から必死に訴えかけたが、シャンテルは扇子で口元を隠して「往生際が悪いわ」と笑顔で言い放った。
「だいたい『その場しのぎ』ってなに? 弱気なこと言わないで欲しいの。それって『自分には継続して努力できる見込みがない』って敗北宣言にしかなってないわよ? そんなことないわ。アンナはやればできる女じゃない。なせばなる。信じてるわよ、アンナ」
ぐうの音も出ない正論とはこのことである。
(侍女の見栄えが良くないというのは、奥様の名誉や信頼にも関わることですからね。流行り病が落ち着き、社交界が活気を取り戻してからも私は子ども部屋付きとして夜会にお供することもなかったですが……)
いざ「行くわよ」と言われても、アンナはすぐに行ける外見ではなかったのである。あれこれ言われても毎回「仕事が」と逃げていた。それをシャンテルはずっと歯がゆく思っていたに違いない。
その「どうしようもない」取り繕わぬ姿のままでウォーレン・ミッドフォードにプロポーズをしたのに、まさかその返事が「わかった、結婚しよう」とは。その上、勤め先の上司にあたるエリックに速攻で挨拶にくる事件に発展するなど、アンナは想像もしなかったのである。
いったい「冷徹侯爵」は何を考えているのか。一度遊んだ女はポイ捨て上等、最低最悪の遊び人にして独身主義者という噂はなんだったのか。
そこで、アンナはこれまで考えもしなかった可能性に思い当たった。
「もしかして、侯爵は交際の断りを申し入れてくるのではないでしょうか。プロポーズを受け入れると言ったのは間違いだったと」
大事に発展する前に、エリックに謝罪して幕引きをはかる。いかにもありそうなことだと思ったが、シャンテルにはあっさり「無いわね」と却下された。
「手紙を見せてもらったけど『今からアンナさんをもらいにいきます♡』って書いてあったわ」
「嘘です。そんなファンシーな文面を送ってくるような方とは思えません」
アンナが疑いの目を向けると、シャンテルは肩をそびやかして悪びれなく言った。
「ハートマークは私の脚色よ。それ以外はほぼそのまま。可及的速やかにくださいって書いてあって、人さらいの類かと何度見かしたわ」
ハッとアンナは息を呑む。「それです!!」と思わず叫んだ。
「人さらい! それはもう人さらいです! 妻に迎えたいとは何か違う意味で、私をもらいに来ようとしているのかもしれません! そうです、これは危ない話です!」
わぁわぁ言っているうちに、アンナはバスローブを着せられて椅子に座らせられる。体中にクリームやオイルのようなものをすりこまれながら、自分の思いつきに取りつかれて「奥様、人さらいに私を下げ渡すのはおやめくださいぃぃ」と懇願したものの、シャンテルには一切受け入れられなかった。
「相手が何を考えているにせよ、あなたはしっかり身なりを整えて迎え撃てばいいだけよ。もし本当にミッドフォード侯爵がやましい考えの持ち主で、あなたを安く身受けできると思って来るというのなら冗談じゃないわ。美しく着飾ったあなたを前に、公爵邸があなたをどれだけ大切にしているか思い知ればいいの。そのときには『後悔してももう遅い』という言葉をじっくり味わわせてあげるわ。うふふ」
楽しげに笑うシャンテルに凄みを感じて、アンナはついに口をつぐんだ。
(私が考える程度のこと、奥様と旦那様が考えていないはずもなく! 冷徹侯爵がふざけた人間だった場合は容赦なく制裁を加える気でいますね。いまや王家も手出しができないと言われている方だというのに)
逆にウォーレンのことが心配になってくるまでの本気度の高さであった。そもそもアンナがおかしなことを言い出さなければ何も起きなかったのに、彼もまた災難なことである。
しかし事態はすでに動き出しており、ウォーレン本人もモリス公爵夫妻に宣言して飛び込んでくるとあらば、アンナも覚悟を決めるしかない。
夜を迎える前に、流行りの美しいドレスを身にまとい、金額を考えたくもない宝石類で飾られてアンナは完成品にされてしまった。
準備の間は近づくのを止められていた四人の子どもたちは、このときを待ちに待っていたとばかりにアンナに駆け寄ってくる。
「アンナ最っっっ高に可愛い! お姫さまだわ!」
一番年上であるニコルが快哉を叫びつつ「王子様が来る前にほころびがあってはいけないから、全員近づかないで」とアンナの正面に立ちはだかってきょうだいたちを牽制した。
空気を読んだトーマスやステファニーは大変聞き分けがよく、遠巻きに「きれい」「かわいい」と称賛を口にしている。
アンドレイはやや難しい年頃のようで、顔を逸らしていた。
「アンナはもとがいいし普段から可愛いけど、着飾ったら絶対絶対とてつもなく可愛いと思っていたわ。この姿が、私のためじゃなくてポッと出の男のためだなんて悔しすぎるわね」
ニコルは本当に悔しそうに言いつつ、アンナにレースのハンカチを渡してくる。
「これ……」
「私がアンナのために刺繍したのよ。持っていてね」
「うわぁ、ありがとうございます! 大切にしますね!」
全身、新品で固められていたアンナはなじみのものを何一つ持っていなかったので少々心細さを感じていた。ニコルの心遣いをありがたく思い、お守りのようにそのハンカチを握りしめる。
そのとき、バタバタと騒がしい気配が廊下から近づいてきて、室内に緊張が走った。
バタン、といつになく慌てた仕草で駆け込んできたのは年嵩のメイド長である。アンナを見るなり、こわばった顔で穏やかならざる内容を早口に告げてきた。
「お着きになりました。好奇心を抑えきれず出迎えに加わっていた若いメイドが何人か倒れました。顔面凶器のような紳士でございますわね!」
間違いない。
正真正銘ウォーレン・ミッドフォード冷徹侯爵がモリス公爵邸を訪れた知らせであった。




