表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
指先を灯す  作者: あめたす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/19

第15話:静かなる共謀、0.01ミリの反逆

第15話:静かなる共謀、0.01ミリの反逆


 地下室の空気は、一度動き出すと止まらない。

 矢野瑞希という「錆びついた鏡」が、私の研磨したフレームを見て、その瞳に微かな火を灯したあの日から、このカビ臭い在庫倉庫は、密かな「実験場」へと変貌していた。

 カタカタと無機質なキーボードの音が響く。

 表面上、私は副社長・勇人から命じられた「過去十年の在庫データ化」という、気の遠くなるような作業に従事している。

 だが、私の指先が真に奏でているのは、エクセルの入力音ではない。


「……富永さん、これを見て」


 瑞希さんが、古い設計図の束を広げた。それは、今の工場では「効率が悪い」と一蹴されるであろう、手作業による三次元的なカッティングを前提とした、眼鏡の金型設計図だった。


「これは……高岡さんが作った金型ですか?」


「そうよ。あの頑固ジジイが、最後に社長と大喧嘩して放り投げた『未完成』の遺産。勇人が導入した全自動加工機(CNC)では、この『遊び』の部分が計算不能エラーになって、どうしても削り出せないの」


 私はその図面を指でなぞる。

 設計図の線は、単なる数値の羅列ではない。そこには、祖父・春道が大工として柱に刻んだ「逃げ」や、父・誠が土を捻りながら生み出す「ゆらぎ」と同じ、血の通った意志が宿っていた。


「……瑞希さん。この金型、私が『ハック』してもいいですか?」


「ハック? あんた、またそのビジネス動画の言葉を使ってるの?」


 瑞希さんは呆れたように笑ったが、その目は挑戦を待つ少女のように輝いていた。


「ええ。機械が計算できないなら、人間の指先が計算式になればいい。組織の数字を破壊するほどの、圧倒的な『一品』を、ここで作ります」


 その時、地下の扉が遠慮がちに開いた。

 入ってきたのは、デザイナーの瀬戸口有だった。

 彼は最新のタブレットを抱え、ひどく消耗した顔をしていた。


「……富永さん。勇人さんのやり方、やっぱりついていけません。新ラインのデザイン、全部AIのサジェスト通りにしろって。個性が死んでる。こんなの、ただのプラスチックの塊です」


 瀬戸口くんは、私のデスクに積まれた、磨き抜かれた試作フレームを見て息を呑んだ。


「……これ、誰が?」


「私と、瑞希さん。そして、ここにある古い設計図の共同作業です」


 私は、彼に椅子を勧めた。


「瀬戸口くん。あなたのその最新のガジェットで、この『アナログな熱』をデータ化してくれない? 勇人さんが愛してやまない『再現性』という言葉を、逆手に取るために」


 瀬戸口くんの目に、絶望ではない、狡猾なまでの光が宿った。


「……面白いですね。デジタルとアナログの『共謀』、やりましょう。僕が、富永さんの指先の動きをすべて数値化して、全自動マシンを『発狂』させてみせます」


 私たちは、地下の暗がりに集まった。

 一人は、居場所を奪われた元天才職人。

 一人は、感性を否定された若きデザイナー。

 そして私は、ボロボロの手を持つ、量産職人。


 ――シュッ、シュッ。


 ヤスリが素材を削る音が、地下の心音のように響く。

 私は、ビジネスYouTubeで学んだ。

『勝てない戦い(ゲーム)は、ルールそのものを書き換えろ』と。

 今の私は、もう、社長の怒号に震えていたあの頃の紬ではない。

 家に帰り、冷え切った部屋で震えていたあの夜の私でもない。

 私の背筋は、今、この地下室の天井を突き破るほどに真っ直ぐだ。


 一週間後。

 勇人が抜き打ちの視察に現れた。


「富永さん、データの進捗は……何だ、この異様な匂いは」


 勇人が鼻を突く。それは、アセテートを極限まで摩擦熱で磨き上げた時にだけ漂う、甘く鋭い、職人の魂の匂いだった。


「進捗なら、そこにあります」


 私はデスクの上に、一本の眼鏡を置いた。

 瀬戸口くんがレンダリングした完璧な曲線と、瑞希さんの執念の金型、そして私の指先が灯した輝きが融合した、化け物。

 勇人が、震える手でそれを手に取る。


「……これは、何だ。現行のラインの千倍の解像度がある。これをどうやって『量産』するつもりだ」


「量産はしません。これは、この工場の『心臓』です」


 私は、静かに、けれど逃れられない強さで言い放った。


「副社長。あなたが切り捨てようとしているのは、コストではありません。この工場が生き延びるための『物語』そのものです」


 勇人は何も言わず、ただその眼鏡を凝視していた。

 彼の眼鏡に映る私の顔は、歪な歯並びを晒して、不敵に笑っていた。

 かつて死を意識し、山の土に溶けようとした私。

 けれど今、私は自分の指先から生まれる光で、この真っ暗な地下室を照らしている。

 物語のラストは、綺麗には纏めない。

 明日も、泥臭い交渉と、指の裂け目の痛みと、理不尽な組織の壁は続く。

 けれど、私はもう、俯かない。

 私は少しだけ、姿勢を良くして、次のフレームを手に取った。

 

 指先を灯す。

 私の本当の挑戦が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ