深緑の迷宮と、静かなる行軍
遺跡の結界を抜けた瞬間に肌を打った空気は、監獄の中のそれとは決定的に異なっていた。
湿り気を帯びた土の匂い、腐敗した落葉のむせ返るような香気、そして何より――どこからか常に視線を感じるような、刺すような殺気。
一歩足を踏み出すごとに、**ザシュッ、ザシュッ**と枯葉が潰れる音が、静まり返った森に不気味なほど大きく響く。
「……右、ですぅ。あの大きな、瘤のある木の影……赤い色が、禍々しく渦巻いてるですぅ。近寄っちゃ……ダメ、ですぅ」
先頭を行くルネが、被っていた布をさらに深く被り直し、声を潜めて指示を出す。彼女の赤と金のオッドアイは、常に周囲の魔力濃度を監視し、魔物が潜んでいるであろう「色の濃い場所」を的確に避けていた。
「わかった。……リリィ、足元に気をつけて。木の根が浮いている」
「う、うん……大丈夫なのぉ。でもぉ、ユウマさまぁ……なんだか、後ろからずっと誰かに見られているみたいで、怖いのよぉ……っ」
リリィはユウマの背中にぴったりと張り付き、震える手で彼のシャツを掴んでいた。歩くたびに、彼女の豊かな胸が**ゆさっ、ゆさっ**と揺れ、ユウマの背中に柔らかい感触を伝えてくる。本来なら落ち着かない状況だが、今のユウマにはそれを気にする余裕は一ミリもなかった。
**バキッ!**
遠くで乾いた枝が折れる音が響く。
三人は反射的に動きを止め、息を殺した。ユウマはボロボロになった革靴の底に力を込め、周囲の闇を凝視する。
「……大丈夫……ですぅ。あれは、遠くで大きな猪が暴れただけ……こっちには、気づいてないですぅ」
ルネの囁きに、ようやく三人は肺に溜まった空気を吐き出した。
行軍開始から数時間。道なき道を進む過酷さは、ユウマの体力をじわじわと削っていった。スーツのスラックスは棘のある植物に引っかかり、すでにボロボロだ。ワイシャツも汗で肌に張り付き、不快感が募る。
一日の行軍が終わりに近づき、辺りは急激に夜の闇に飲み込まれようとしていた。ルネが「比較的色が薄い」と判断した、大きな岩の裂け目にある小さな洞窟。今夜はここで夜を越すことになった。
「……ふぅ。ルネ、今日は本当によくやってくれた。君の目があったから、一度も魔物と出くわさずに済んだよ。ありがとう」
ユウマは、岩場に腰を下ろして肩で息をしているルネの隣に座り、彼女の小さな頭を優しく撫でた。黒髪は驚くほど**さらさら**としていて、指の間を滑り落ちていく。
「……っ! あ、あの……私……、ただ、見てただけ……ですぅ……っ」
ルネは顔を一気に真っ赤にし、オッドアイを激しく泳がせた。これまで一族に疎まれ、能力を「不吉」だと蔑まれてきた彼女にとって、心からの労いは何よりの報酬だった。彼女は照れ隠しに大きな布をギュッと握りしめ、消え入りそうな声で「……嬉しい、ですぅ」と呟き、はにかんだ。
その光景を、リリィは少し離れた場所で見ていた。
リリィの口元が、わずかに**むうっ**と尖る。ユウマの優しさがルネに向けられているのを見て、胸の奥がチリッと焼けるような感覚。
(リリィだって、お芋もお水も、いっぱい用意したのにぃ……。ユウマさまぁ、ルネちゃんばっかり撫でてぇ、ずるいのよぉ……っ)
自分も撫でてほしい、もっと自分を見てほしい。そんな独占欲が喉元まで出かかるが、リリィはグッとそれを堪えた。ルネが今日、どれだけ神経を削って道案内をしてくれたかは、隣にいたリリィが一番よく分かっているからだ。
「……ルネちゃん、本当にお疲れさまなのぉ。リリィもぉ、ルネちゃんがいてくれて助かったんだよぉ?」
リリィは無理に笑顔を作り、ルネの反対側に座って彼女の肩を**ぽんぽん**と叩いた。嫉妬を堪え、年上としての余裕を見せようとする彼女の健気な振る舞いに、ユウマはまだ気づいていない。
「……さあ、夕飯にしよう。リリィ、お芋を出してくれるかな」
「はいなのぉ! リリィが愛情込めて持ってきたぁ、とっておきのお芋だよぉ」
リリィはユウマの気を引くように、**ゆさっ**と胸を弾ませて近寄り、一番大きなお芋を彼に手渡した。
洞窟の外では、依然として原始の森がざわめき、不穏な風が吹き抜けている。
だが、小さな焚き火を囲むこの空間だけは、三人の絆が少しずつ形を変えながら、確かに深まっていくのを感じられた。
(一日目終了……。あと一日。……必ず、辿り着いてみせる)
ユウマは眠気を押し殺し、暗闇の中に目を凝らし続けた。奥ではリリィが、ルネを抱きかかえるようにして眠りについていた。その静かな寝息だけが、ユウマの支えだった。
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