第六話:綻びの予兆と、静かなる侵入者
三人での生活が始まってから、さらに数日が経過した。
かつては死の静寂に包まれていた監獄遺跡は、今や驚くほど賑やかで、そして「家」としての体裁を整えつつあった。
ユウマはワイシャツのボタンを一番上まで留め直し、軽く肩を回す。
破れていた袖口や背中の裂け目は、ルネが器用に直してくれていた。遺跡で見つけた古い布の糸を解き、それを再利用するという涙ぐましい努力の賜物だ。
「……よし、完璧だ。ありがとう、ルネ」
「……いえ、ですぅ。これくらいしか、恩返しできない……ですぅ」
ルネは少しだけ誇らしげに、それでいて照れくさそうに、自分の胸元で黒髪の先を**くるくる**と指で弄った。
明るい場所で見れば見るほど、彼女の黒髪は艶やかで、背中で**さらり**と流れるラインが美しい。
「ルネちゃん、そんなに謙遜しなくていいのよぉ。ユウマさまのスーツ、見違えるようにシャキッとしたのぉ! リリィも、何かお手伝いしたくなっちゃうのぉ」
リリィが**たぷん**と胸を弾ませ、井戸から汲んできたばかりの水を差し出す。
彼女は彼女で、遺跡の隅々を整理整頓し、魔精芋の皮を肥料にするなど、持ち前の管理能力を存分に発揮していた。
「あ、ありがとう……リリィさん。お姉さまの……お水、冷たくて美味しい……ですぅ」
ルネはリリィから受け取った杯の水を、**ごくごく**と美味しそうに飲み干した。
吸血鬼でありながら、血を嫌い、冷たい水と焼いた芋を好む。その不器用な在り方が、ユウマには愛おしく感じられた。
「……ふふっ、本当にいい子なのぉ。ほら、お口の横に水滴がついてるよぉ?」
リリィが**ぷにっ**とした指先で、ルネの口元を優しく拭う。
まるで年の離れた姉妹のような光景に、ユウマの心も自然と和らいでいった。
かつての日本では、朝から晩まで数字とノルマに追われ、部下たちの顔色を伺う毎日だった。
それに比べれば、ここには何もない。電気もガスも、便利な道具も。
けれど、自分の言葉を信じ、笑ってくれる彼女たちがいる。
(……この平穏を、守り抜かなきゃな)
ユウマは石壁に背を預け、リリィとルネが楽しそうに夕食の準備を始めるのを眺めていた。
だが、その安らぎの中に、わずかな「違和感」が混じり始めたのは、その日の夕刻のことだった。
「……リリィ、少し聞きたいんだけど」
ユウマは、自分が壊したあの鉄格子の跡を指差した。
本来、エルフの魔法で守られていたはずの格子。ユウマが執念でこじ開けた後、その周辺の空気は、どこか**どんより**と淀んでいるように見えた。
「この格子を壊したことで、遺跡の『拒絶の結界』に影響が出ることはあるのかな?」
リリィは手を止めて、少しだけ神妙な顔つきになった。
「うーん……実はねぇ、ユウマさま。この監獄はぁ、格子の魔法と外の結界がぁ、細い魔力の糸で繋がっていたみたいなのぉ。それをユウマさまがぁ……あんなに力技で壊しちゃったからぁ……」
「……やっぱり、弱っているのか?」
「少しだけぇ、綻びが大きくなっている気がするのぉ。でも、大丈夫だよぉ! まだ大きな魔物が入ってこれるほどじゃ……」
リリィが言葉を言い切る前に、ルネが**びくっ**と肩を揺らした。
「……っ!?」
ルネは手に持っていた芋を落とし、一点を凝視した。
彼女の赤と金のオッドアイが、暗闇の中で異様な光を放ち始める。
「ルネ? どうしたんだ?」
「……し、静かに……ですぅ。……見える、ですぅ。結界の、あの場所だけ……色が、ドロドロに濁ってる……ですぅ」
ルネの視線の先は、遺跡の入り口へと続く通路の曲がり角だった。
彼女の能力は「視覚」に特化している。魔力の流れや、生命の拍動が、彼女の目には「色」として映るのだ。
「……来る、ですぅ。小さい……けど、とっても速いのが、一匹……!」
**カサカサカサッ!**
静寂を切り裂くような、不快な摩擦音。
石壁の影から飛び出してきたのは、一匹の大きなネズミだった。
だが、ただのネズミではない。目は赤く血走り、毛並みは針のように逆立っている。魔力に当てられて凶暴化した、野生の「魔鼠」だ。
「きゃぁっ! ネズミさんなのぉ!?」
リリィがユウマの背中に飛びつき、**ゆさゆさ**と彼の体を揺さぶる。
「ひ、ひぃぃ……っ! こっちに来る……ですぅ!」
ルネもまた、リリィの後ろに隠れてガタガタと震え出した。
魔鼠は牙を剥き出しにし、ユウマたちの食料が置かれた籠へと向かって、一直線に床を駆ける。
「させないっ!」
ユウマは足元にあった石の破片を、無我夢中で投げつけた。
**ゴンッ!**
運良くネズミの頭に命中し、魔鼠は短い悲鳴を上げてその場に転がった。数回足を痙攣させた後、やがて動かなくなる。
「……はぁ、はぁ……。大丈夫か、二人とも」
「……うぅ、怖かったのぉ……。ユウマさま、かっこよかったよぉ……」
リリィが涙目でユウマの腕に縋り付く。
だが、ユウマの表情は晴れなかった。
彼は倒れたネズミの死骸をじっと見つめる。
そして、先ほどルネが指摘した、入り口へと続く通路の闇に目を向けた。
(……おかしい)
今まで、結界のおかげでネズミ一匹すら入ってこれなかった場所だ。
それが、一匹入り込んできた。
それも、自分が格子を壊し、結界が弱まったタイミングに合わせるかのように。
「……ルネ。さっき君が見た『結界の綻び』。それは、あのネズミが入ってきた場所以外にもあるのか?」
ルネはおずおずと顔を出し、通路の奥をもう一度見つめた。
彼女のオッドアイが**キィィン**と、かすかな魔力光を帯びる。
「……はい、ですぅ。一つだけじゃない……ですぅ。さっきまでは小さかったけど……今、あちこちで**パキパキ**って、音が鳴っているみたいに……光が割れていってる、ですぅ……っ」
ユウマの心臓が、嫌な予感に騒ぎ出す。
自分がリリィを助けたい一心で壊した魔法の均衡。
それが今、この「安全な檻」の寿命を、急速に縮めているのではないか。
「ユウマさま……もしかしてぇ、ここ、もう安全じゃないのぉ……?」
リリィの不安げな問いに、ユウマはすぐには答えられなかった。
外には凶悪な魔物の群れ。
中には綻び始めた結界。
穏やかな日常は、あまりにも唐突に、終わりの足音を鳴らし始めていた。
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