第四話:見えない同居人と、震える小さな影
遺跡の空気は、それまで感じていた冷涼な静寂から、肌を刺すような緊張感へと一変していた。
ユウマは片手に火を灯した即席の松明を握り、リリィを背後に庇いながら、慎重に足音を殺して歩を進める。
「リリィ、僕の背中から離れないで」
「う、うん……離れないのぉ。ユウマさま、あそこ……暗いところが、なんだか揺れた気がするのぉ……っ」
リリィはユウマのシャツの裾を、白くなるほど強く握りしめていた。彼女の豊かな胸がユウマの背中に**ぎゅぅっ**と押し付けられ、恐怖からくる激しい鼓動がダイレクトに伝わってくる。
二人が向かったのは、備品庫として使われていた空間の最奥。そこは崩れた石材が山積みになり、松明の光でも届かない深い「死角」を作っていた。
「……誰かいるのか?」
ユウマの声が、石壁に反響して低く響く。
返事はない。だが、瓦礫の隙間で、何かが**カサカサッ**と動く音がした。それはネズミにしては重く、かといって大柄な人間が動く音でもない。
ユウマが一歩、距離を詰めたその時。
積み上がった瓦礫の背後で、古びた毛布のようなものが大きく跳ねた。
「ひ、ひぃぃ……っ、ですぅ……っ!!」
**ガタガタッ**という激しい物音とともに、小さな人影が奥へ逃げようとして、足をもつれさせて転んだ。
「女の子……?」
松明の光が照らし出したのは、夜の闇のような深い紫色の髪。
そして、暗闇の中でらんらんと光る、赤と金の「オッドアイ」だった。
マントのように大きな布を頭から被り、その下で小さな体をこれ以上ないほど丸めて、少女が震えていた。
「ど、泥棒じゃ……ないですぅ……。落ちてたのを、拾っただけ……許して、くださいぃ……っ」
少女は震える声で、断片的な言葉を紡ぐ。その声は消えてしまいそうなほどか細く、**カタカタ**と歯の根が合わない音が聞こえてくるほどだった。その小さな手には、食べかけの「魔精芋」が握られている。
「ユウマさまぁ……この子、吸血鬼の子なのぉ……?」
リリィが、ユウマの肩越しに恐る恐る顔を出した。
少女の口元からは、吸血鬼特有の小さな犬歯が覗いている。
「吸血鬼……。リリィ、彼女もここに閉じ込められていたのか?」
「ううん、違うのぉ。この遺跡に囚われていたのはぁ、リリィだけだったはずなのよぉ……。でもぉ、吸血鬼はぁ、光を嫌って古い遺跡に住み着くことがあるってぇ、本に書いてあったのぉ……」
リリィの言葉を聞きながら、ユウマは精神を集中させた。
浮かび上がったのは、黄金の『天秤』。
少女の頭上に表示された数値。
戦闘能力は、この年頃の少女としては平均的。だが、その下にある項目が、ユウマの目を釘付けにした。
『超知覚・索敵』:**潜在能力・特級(限界突破)**
(……なんだ、これは。これほどの数値、見たことがない)
彼女の「見る」力、そして「探り当てる」力。その潜在能力のゲージは、恐ろしいほどの密度で輝いていた。彼女はこの能力で、結界の隙間や、自分たちの目の届かない死角を完璧に把握し、誰にも見つからずに潜んでいたのだ。
「……怖がらなくていいよ。君を責めに来たわけじゃないんだ」
ユウマは松明を近くの石柱に固定し、腰を落として少女と同じ目線になった。
そして、右手をゆっくりと差し出す。
「お腹が空いていたんだろう? 黙って食べたのはよくないけど……でも、これで死なずに済んだんだから」
「……っ……ぁ……」
少女のオッドアイが大きく揺れる。
彼女は、自分がどれほど不吉とされ、避けられてきたかを、震え声で話し始めた。
「わ、私……ルネ、ですぅ……。この目と、良すぎる耳のせいでぇ……一族からも、『呪われた不吉な子』って……捨てられた、ですぅ……っ。森を彷徨って、死にそうになってぇ……そしたら、この遺跡の結界の『隙間』が見えてぇ……なんとか、滑り込んだ、ですぅ……っ」
ルネと名乗った少女は、被っていたボロボロの布を握りしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……っ! もう、盗んだりしないですぅ……っ!」
**ぼろぼろ**と、彼女の瞳から大きな涙が溢れ落ちる。
何十年も孤独に耐えてきたリリィと、その異能ゆえに孤独を強いられたルネ。
「ユウマさまぁ……リリィ、この子を放っておけないのぉ……」
リリィが自らユウマの背中から離れ、ルネの方へ歩み寄った。
彼女はルネの前に膝をつき、その小さな体を優しく抱きしめた。
「怖かったねぇ……。もう大丈夫だよぉ。リリィも、ずっと一人だったからぁ、君の気持ち、わかるのよぉ」
**プニッ**としたリリィの柔らかな体が、ルネの震えを包み込む。
ルネは最初、石のように硬直していたが、リリィの体温と甘い香りに触れると、声を上げて泣き崩れた。
ユウマは二人の姿を見つめながら、これから先のことを必死に考えていた。
リリィの知恵、そしてルネの驚異的な「目」。
この二人の力を合わせれば、今の行き詰まった状況を打破できるかもしれない。
「ルネ。君さえ良ければ、僕たちと一緒にここで暮らさないか?」
ユウマは、穏やかな声で提案した。
ルネは、リリィの胸に顔を埋めたまま、**びくっ**と肩を揺らして顔を上げた。
「……わ、私……役立たず、ですぅ……っ。光は嫌いだし、不吉な目だって、言われる、ですぅ……っ」
「不吉なんかじゃないよ。僕からすれば、君の目は僕たちがこの先を生きていくために、どうしても必要な力なんだ。君がいれば、僕たちは森の危険をいち早く察知して、安全に動くことができる」
ユウマは微笑み、もう一度手を伸ばした。
「僕を……僕たちを、助けてくれないかな。ルネ」
ルネの赤と金の瞳が、瞬きを忘れたようにユウマを見つめる。
「助けてほしい」という言葉。それは、これまで疎まれてきた彼女が、生まれて初めてかけられた「肯定」の言葉だった。
「……わ、私……精一杯、頑張る……ですぅ……っ」
ルネは、おずおずと自分の小さな手を、ユウマの掌に重ねた。
**ひんやり**とした、だが確かな命の温かさが伝わってくる。
こうして、二人の生活は、三人の共同生活へと変わった。
依然として遺跡の外は魔物の巣窟であり、未来は不透明なままだ。
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