第四十二話:賑わう街の求婚者たち、そして新緑の湯脈
里から「町」へ――。
そう称するに相応しい劇的な変化が、ユウマたちの共同体に訪れていた。
かつて狼男族の脅威に怯えていた小さな集落は、今や強固な防壁と豊かな多種族の文化、そして「深海の異形すら寄せ付けない絶対的な安全」を誇る、新興の交易都市へと脱皮を遂げつつあった。
石畳が敷かれ、綺麗に区画整理された中央通りには、新築の木造建築や土竜族が築いた重厚な石造りの店舗が立ち並ぶ。他所の街からやってきた人間の大商人、珍しい薬草を求めるエルフの魔導士、屈強な獣人の狩人たちが入り乱れ、街は朝から晩まで活気ある喧騒に包まれていた。
だが、急激な発展は、この地に「ある困った副産物」をもたらすことにもなった。
「そこをなんとか、麗しきエルフの令嬢。我が『黄金の風商会』の次期当主であるこの私と、今夜、街で一番の高級酒場で語り合ってはいただけないだろうか?」
新設された商業ギブスの窓口で、豪奢な絹の外套をまとった人間の若い商人が、熱烈な視線をリリィに投げかけていた。
リリィは手元の書類から顔を上げ、いつも通りの愛嬌のある、しかしどこか冷ややかな笑みを浮かべた。
「うーん、ごめんなさいなのぉ! リリィは街の総務で大忙しだし、夜はユウマさまのご飯を作らなきゃいけないから、他所の人と遊んでる時間はないんだよぉ」
「ゆ、ユウマ? あの若造の村長か! あんな素朴な男のどこが良いのだ。私ならば君に、王都の流行のドレスでも、眩い宝石でも何でも貢いでみせるというのに!」
必死にアピールする若き商人を、周囲の露店を営む猫娘族の姉さんや、荷運びをしていた土竜族の戦士たちが「またやってるよ」と呆れ顔で見つめていた。
「おいおい、あの兄ちゃん、よりによってリリィ様に声をかけるとはな」
「知らないってのは恐ろしいねぇ。あの人がどれだけ村長にベタ惚れか、この街の住人なら子供でも知ってるってのに」
リリィはハーフエルフならではの透明感のある美貌と、豊かでしなやかなプロポーション、そして誰に対しても分け隔てのない明るい性格から、新しくやってきた商人たちの間で「街の女神」と噂され、毎日のようにナンパや口説き文句を受けていた。だが、彼女の心は幽閉されていたあの暗い牢屋から救い出してくれたユウマにしか向いていない。
「ドレスも宝石もいらないよぉ。リリィはユウマさまが『美味しい』って言って、頭を撫でてくれるのが一番の幸せなんだからぁ。ほら、後ろに並んでる人が迷惑してるから、お仕事の話がないなら退いて退いてぇ!」
リリィはすげなく商人をあしらうと、ふんわりと長い髪をなびかせて次の書類へと視線を落とした。
同じ頃、街の広場の一角では、別の「お約束」が展開されていた。
「……そこの美しいお嬢さん。……そんな冷たい目をしないで、僕と少しお話をしないかい? 君のような神秘的なオッドアイを持つ吸血鬼の美少女が、こんな僻地の街で燻っているなんて勿体ない。僕の傭兵団に来れば、もっと広い世界を見せてあげられるよ」
新しく移住してきた人間の凄腕を自称する傭兵が、ベンチに腰掛けていたルネに格好をつけて話しかけていた。
ルネはいつも通り、小柄な身体に黒いマントを羽織り、小さな背中の羽根をピクリとも動かさずに、手元の果物を齧っていた。彼女は傭兵の方を向きすらしない。
「……鬱陶しいですぅ」
ルネは冷淡な、完全な「ジト目」を傭兵に向けた。
「君、その冷たい態度もゾクゾクするね……!」
「……変態ですぅ。……私の目は、ユウマさまとこの街の安全を監視するためにあるですぅ。……あんたの薄っぺらい魂なんか、一秒だって見る価値はないですぅ。……消えないと、影で足を縫い付けて、一晩中逆さ吊りにするですぅ」
ルネの瞳の奥に、吸血鬼特有の鋭い魔力の光が宿る。その圧倒的な冷気と威圧感に、傭兵はヒッと短い悲鳴を上げて這う這うの体で逃げ出していった。
それを見ていた妖狐族の若者たちが、クスクスと笑い声を上げる。
「ルネちゃんを口説こうなんて、百年早いよな」
「あのクールなルネちゃんが、村長の前だとめちゃくちゃ甘えん坊になるの、本当にかわいいんだよなぁ」
さらに、街の防衛線の要であるティオもまた、その凛とした騎士としての佇まいと、健康的な美しさから注目の的だった。
「ティオ殿! どうか我が一族の護衛長として、私と共に東の都へ来ていただきたい! あなたのような不屈の盾を持つ気高き女騎士こそ、我が妻に相応しい!」
大盾を磨いていたティオの前に、立派な鎧を着た他所の武官が跪いていた。
ティオは困ったように眉を下げ、だが毅然とした態度で大盾を地面に立て直した。
「お気持ちは有り難いですが、お断りいたします。私の盾は、ユウマさんの進む道を拓き、ユウマさんの愛するこの街を守るために誓われたものです。他の方のために振るうことはありません」
「な、ならばそのユウマとかいう男を私が決闘で打ち破れば――」
「もしユウマさんに指一本でも触れようとするならば、私が全力であなたを叩き潰します」
ティオの赤い瞳に、一切の妥協のない守護者としての覇気が宿る。その美しくも恐ろしいまでの気迫に、武官はそれ以上言葉を続けることができず、そそくさと退散していった。
「ふふ、皆様、本当にお盛んですのね」
商業区の片隅で、しっとりと艶やかな笑みを浮かべていたのはララだった。
彼女はミッドナイトブルーの美しい髪を風に揺らし、目元を覆う青いヴェールの奥から、街の様子を眺めていた。彼女の神秘的で妖艶な大人の魅力は、目の肥えた大商人たちをも虜にしていた。
「ララさん、どうか私と……」と声をかけようとした初老の豪商に対し、ララは細い指先を唇に当て、うふふ、と鈴の鳴るような声で笑った。
「お誘いは光栄ですが……わたくし、すでに心も身体も、この街の偉大なる領袖、ユウマ様のものとなっておりますの。わたくしの二振りの刀も、この命も、すべてはあの方の夜を彩るためのもの。……それ以上の贅沢は、わたくしには必要ございませんわ」
その徹底した、そしてどこか危険なほどの献身ぶりに、口説こうとした男たちは誰もが言葉を失い、ただただ溜息をつくしかなかった。
四人の美女たちが、どれほど魅力的に街を彩ろうとも、彼らの視線は常に、一人の青年――ユウマだけに注がれている。その揺るぎない絆こそが、この街の住人たちがユウマを心から信頼し、誇りに思う理由でもあった。
そんな賑やかな日の午後、ユウマは執務室で、新しく街にやってきたドワーフの行商人から話を聞いていた。
そのドワーフは、立派な白髭を蓄え、ずんぐりとした頑丈な体躯に、旅の垢がついた革の衣服をまとっていた。
「いやあ、村長さん! この街は本当に素晴らしいな。他種族がこれほど仲良く飯を食うとる場所は、大陸中を探してもそうそうお目にかかれんぞ」
「ありがとう、ドワーフの旦那。そう言ってもらえると、苦労して拡張した甲斐があるよ」
ユウマが笑顔でエール(麦酒)を注ぐと、ドワーフは満足げにそれを一気に飲み干し、ぷはぁ、と髭を揺らした。
「だがな、村長さん。これだけ人が増えて、皆が泥にまみれて働いとるんだ。一つ、この街に足りんものがあると思わんか?」
「足りないもの……? 食糧の備蓄も十分だし、防衛線も万全のはずだが」
ユウマが首を傾げると、ドワーフはニヤリと笑い、自らの肩を叩いた。
「『癒やし』だよ、癒やし! 我らドワーフの故郷、遥か北の火山地帯にはな、大地の底から湧き出る熱い聖なる水……『温泉』ってぇものがあるんだ。それに浸かればな、どんな頑固な肩凝りも、旅の疲れも、戦いで荒んだ心も、一発で溶けてなくなっちまうのさ!」
「温泉……!」
ユウマはその言葉に、思わず目を見開いた。
前世の日本人としての記憶が、猛烈に自己主張を始めたのだ。この世界にやってきてから、体を洗うのはもっぱら井戸水か、妖花族が温めてくれた簡易なお風呂(それも、タライのようなもの)だけだった。
肩までどっぷりと温かいお湯につかり、一日の疲れを癒やす――あの至高の文化が、もしこの街に作れるとしたら。
「ドワーフの旦那、この辺りの土地にも、その温泉が出る可能性があるのかい?」
「おうよ! 俺がこの街へ来る途中、北の山裾を通りかかったときにな、妙に硫黄の匂いがする川を見つけてな。大地の魔力の流れを見ても、あの地下には間違いなく、極上の湯脈が眠っとるはずだ。土竜族の連中の掘削技術があれば、数日もあれば立派な湯元を掘り当てられるんじゃねえか?」
ユウマが内なる興奮を抑えきれずにいると、執務室の扉が勢いよく開いた。
「温泉!? ユウマさま、今、温泉って言ったのぉ!?」
仕事の一段落したリリィが、目を輝かせながら飛び込んできた。
ハーフエルフである彼女は、幽閉されていた時代、冷たい牢屋の井戸水でずっと過ごしてきたため、「温かいお湯」というものに対して、人一倍強い憧れを持っていたのだ。
「リリィ、聞いてたのか?」
「うん! 温泉って、あの体がぽかぽかになって、お肌がツルツルになる魔法のお水でしょぉ!? 星詠みの塔の古文書にも、古代の王族が贅沢のために作ったって書いてあったのぉ! ユウマさま、ぜひ、ぜひ作ってみましょうよぉ!」
リリィはユウマの前に駆け寄り、その白い手を握りしめて懇願した。彼女の美しい瞳は、新しい楽しみへの期待で満ち溢れている。
「……私も、興味があるですぅ」
いつの間にかルネも部屋の入り口に立っており、ジト目ながらも、その背中の羽根を嬉しそうにパタパタと揺らしていた。
「温泉……素晴らしい響きですね。ユウマさんと皆で、一緒に温かいお湯に浸かる……想像しただけで、心の底から温まります」
ティオもまた、頬をほんのりと染めながら、期待を込めてユウマを見つめている。
「うふふ、深海の冷たい水しか知らなかったわたくしにとって、地上の『温泉』というのは、まるで夢のようなお話ですわね。ユウマ様、わたくしも、ぜひお手伝いさせていただきますわ」
ララもしっとりと微笑み、ユウマの決断を促すように頷いた。
四人の魅力的な少女たちが、一様に「温泉」という未知の、そして魅惑的な響きに関心を示している。
ユウマは、彼女たちの期待に満ちた顔を見渡し、そして前世の温泉への熱い想いを胸に、力強く机を叩いた。
「よし、決まりだ! アビサル・レギオンへの備えも一段落した。次は、この街の住人と、僕たちのための『大温泉開発計画』を始動するぞ!」
「「「おーっ!」」」
リリィたちの歓声が、夕暮れの執務室に響き渡る。
新しく広がる町の未来に、また一つ、温かで豊か、そして少し賑やかな、新しい物語の種が蒔かれた瞬間だった。
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