第四十三話:湯脈の洗礼、そして新緑の隠れ湯
「大温泉開発計画」の宣言から二日。ユウマたちの街は、アビサル・レギオンの襲撃に備えた防衛線構築の時とはまた異なる、どこか浮足立った熱気に包まれていた。
ドワーフの行商人から得た情報を元に、ユウマは土竜族の親方率いる精鋭の掘削部隊、そして大地の魔力を視認できるルネを伴い、街の北側にそびえる山裾へと向かった。
目指すは、広葉樹の原生林が広がる険しい斜面だ。この地を切り拓き、街の誰もが憩える温泉施設を作る。それがユウマの掲げた新たなる目標だった。
「……ユウマさま。この辺りから、大地の底を流れる魔力の『熱』が、急激に強くなっているですぅ」
先頭を歩くルネが、オッドアイの瞳を細めて地面を指差した。
彼女はサマードレスの裾が泥で汚れるのも構わず、しなやかな白い脚で岩場を踏み締めている。背中の小さな羽根が、地下からの熱気を感知してか、落ち着かなげに微かに震えていた。
「よし、親方! ルネの指したあの岩盤の真下だ。あそこを掘り進めてみてくれ!」
「おうよ、村長! 俺たちのツメにかかれば、岩盤なんて豆腐も同然よ! 野郎ども、気合い入れろ!」
土竜族の戦士たちが雄叫びを上げ、頑丈なツメと特製のツルハシを振るい始めた。
カキィン、カキィンと心地よい金属音が響き、硬質な岩肌が次々と砕かれていく。リリィは傍らで冷たい湧き水の樽を用意し、汗を流して働く戦士たちに「みんな、頑張ってぇ!」と応援の声をかけていた。彼女が手を振るたびに、衣服越しでもわかるしなやかな肢体が美しく躍動し、戦士たちの士気を大いに高めていた。
掘削は順調に進むかに思われた。――だが、地中深くへと掘り進んだその時、最初の「トラブル」が彼らを襲った。
**ズザザザザッ!!!**
突如として、掘り進めていた縦穴の奥から、不気味な地鳴りと共に「真っ黒な粘土質の土砂」が噴き出してきたのだ。
「うわっと!? なんだこの泥は! 異常に熱いぞ!」
ツルハシを握っていた土竜族の戦士が、慌てて飛び退く。
穴の底から溢れ出てきたのは、強烈な硫黄の臭気を放つ、ドロドロとした高熱の泥だった。それは単なる土砂ではなく、地下の魔力と温泉水が混ざり合って変質した「魔泥岩」と呼ばれる、極めて粘り気の強い危険な土壌だった。
「いけねえ、村長! 湯脈のすぐ上に、この熱泥の層が閉じ込められてやがった! これじゃあ、ツメを立てても滑っちまって、これ以上奥へ掘り進めねえ! それに、このまま放置したら、熱泥が噴き出して周りの森が枯れちまうぞ!」
親方が顔の泥を拭いながら、悔しそうに歯噛みした。
せっかく見つけた湯脈を目の前にして、行く手を阻む高熱の泥の壁。力任せに壊そうとすれば、最悪の場合、間欠泉のように大爆発を起こして掘削部隊が全滅しかねない。
「……地下の魔力の圧力が、どんどん高まってるですぅ。このままだと、あと一刻(約二時間)で、この場所全体が泥の海に沈むですぅ」
ルネが険しい表情で大地の鼓動を読み解く。
「そんな……! ここまで来て、諦めるなんて嫌だよぉ!」
リリィが悲しそうに声を上げる。
ユウマは腕を組み、噴き出す泥をじっと見つめた。
(熱泥の粘気と圧力……。力で押し潰すのが無理なら、性質を変えるか、別の力で相殺するしかない。……いや、待てよ。植物の根の力と、冷気の魔力を組み合わせれば……!)
「みんな、落ち着いてくれ。まだ手はある!」
ユウマは即座に街へ伝令を飛ばし、留守番をしていたティオとララ、そして妖花族の長を呼び寄せた。
状況を把握した仲間たちは、誰一人として怯まなかった。
「ユウマさん、私の盾で、熱泥の噴出を正面から抑え込みます! その隙に、根本的な解決を!」
ティオが自身の身の丈を超える銀盾を構え、溢れ出る泥の前に毅然と立ちはだかった。
**ドゴォォォッ!**
高熱の泥が盾に激突し、凄まじい湯気が立ち上る。ティオは汗を滴らせ、引き締まった身体を極限まで硬化させてその圧力を受け止めた。彼女の肌が熱気で上気し、美しい輝きを放つ。
「長! 熱泥の水分と魔力を吸い取れる植物はありますか!?」
ユウマが叫ぶ。
「ございますわ、ユウマ様! 湿地帯に生息する『吸魔の吸水蔓』を使いましょう。ティオ様が抑えている隙に、この種を泥の中に!」
妖花族の長が放った種は、熱泥に触れた瞬間、爆発的に根を張った。蔓は熱泥に含まれる過剰な魔力と水分を急速に吸収し、どろどろだった泥を、みるみるうちに乾燥した頑丈な土壌へと変質させていく。
「仕上げは、わたくしの『残響』にお任せいただきましょう」
ララが静かに前に出た。
彼女は二振りの刀を抜き放つと、深海族特有の「冷気の魔力」を刃に纏わせた。ミッドナイトブルーの髪が冷たい風に揺れ、彼女の纏う濃紺の薄衣が、大人の艶やかさを引き立てる。
「――凍てつきなさい」
**キィィィン!!**
ララが目にも留まらぬ速さで空間を切り裂くと、乾燥した土壌の表面が一瞬にして強固な「氷の壁」によってコーティングされ、地下からの圧力を見事に完全に封じ込めた。
「よし! 泥の層を完全に固定したぞ! 親方、この氷の壁の『真ん中』だけを、一本の管を通すようにピンポイントで撃ち抜いてくれ!」
「応よ! 狙い澄ました一撃、見せてやるぜぇ!」
親方が渾身の力でツルハシを突き立てると、氷の壁に小さな、しかし深い穴が穿たれた。
次の瞬間――。
**シュボォォォォォッ!!!**
黒い泥ではなく、遮るもののなくなった大地の底から、透き通った、まばゆいばかりの純白の湯気が、激しい音を立てて天へと吹き上がった。
「……成功ですぅ。……不純物のない、純粋な、最高品質の温泉水ですぅ」
ルネがふっと表情を緩め、ユウマを見つめて微笑んだ。
「やったぁぁぁ! 温泉だぁぁ!」
リリィが飛び跳ねて喜び、ティオも盾を下ろして、充実感に満ちた笑顔をユウマへと向けた。
数々のトラブルを仲間たちの絆と技術で乗り越え、ついに彼らは、新緑の山裾に奇跡の湯元を掘り当てたのだった。
それから数日。土竜族の驚異的な突貫工事により、山裾の隠れ里のような場所に、見事な総檜造りの大浴場が完成した。
大自然の岩肌をそのまま活かした露天風呂は、中央に頑丈な「防音の石壁」がそびえ立ち、完全に「男湯」と「女湯」に二分されている。
「あぁ……生き返る……」
男湯の湯船に肩までどっぷりと浸かり、ユウマは天を仰いで深い溜息を漏らした。
前世以来となる、本物の温泉。豊かに湧き出るお湯は、わずかに白濁しており、肌にまとわりつくような極上の滑らかさを持っていた。見上げれば、新緑の木々の隙間から美しい星空が広がっている。これまでの激務と戦いの疲れが、お湯の中に溶けて消えていくようだった。
だが、至福の時間は、石壁の向こうから聞こえてきた「賑やかな声」によって、少しばかりコミカルな試練へと変わることになる。
「ふぁぁぁぁ……! なにこれ、信じられないくらい気持ちいいよぉぉ……!」
石壁の向こう――女湯からは、リリィの蕩けきったような歓声が響いてきた。
「本当に……。大地の恵みが、体中の芯まで染み渡るようです。盾を構え続けた肩の強張りが、みるみるうちに解れていきます……」
ティオの、いつもより少し鼻にかかった、艶っぽい声が続く。
ユウマは湯船の中で、思わず身を硬くした。
防音壁があるとはいえ、すぐ隣は遮るもののない大自然の露天風呂だ。湯気を通じて、彼女たちの吐息や、お湯が波打つ音が、信じられないほどの臨場感を持って耳に飛び込んでくる。
「……リリィさん、お湯の中でそんなに動いたら、お湯が溢れるですぅ」
ルネの、少し上気した声。
「……でも、本当にお肌がしっとりするですぅ。……ユウマさま、今頃隣で、私たちの入浴シーンを想像して、鼻血を出して倒れてるに違いないですぅ」
「だ、誰が倒れるか!」
ユウマは思わず小声で突っ込んだ。
「うふふ、ルネさん。ユウマ様はそんなに不作法な御方ではありませんわよ?」
ララの、濡れた髪をかき上げるような、水の滴る音が響く。彼女の声音は、お湯の熱気も相まって、いつも以上に濃厚な色気を孕んでいた。
「……でも、もしユウマ様がこの壁を越えていらっしゃるなら、わたくし、拒みはいたしませんのに。……この温かいお湯の中で、あなた様と肌を寄せ合えたら、どれほど素晴らしい心地でしょうね……」
「ちょ、ちょっとララちゃん! 変なこと言わないでよぉ! リリィ、想像しちゃって、お顔が真っ赤になっちゃうよぉ!」
「リ、リリィさん、それはお湯の温度が高いせいもあるのでは……あぅ、でも、ユウマさんと一緒にお風呂……それは、その、騎士としては、破廉恥というか、でも、その……」
ティオが完全にパニックに陥り、お湯を激しくチャプチャプと鳴らしているのがわかる。
「……ティオさん、顔までお湯に浸かってるですぅ。茹でダコになるですぅ」
ルネが冷静に突っ込むが、彼女自身も「……でも、ユウマさまにお背中を流してもらうくらいなら、考えてもいいですぅ……」と、小さな声で呟いていた。
石壁の向こうで繰り広げられる、美女たちの無防備で、かつ刺激的な会話。
彼女たちの、成熟した、しなやかで豊かな肉体が、湯気の中でどのように濡れ、光り輝いているのか。想像するなと言う方が無理な話だった。ユウマはのぼせそうになる頭を必死に冷やそうと、冷たい岩肌に頭を押し付けた。
「……神様、僕の理性を試すのはやめてください……」
ユウマの情けない呟きは、心地よい潮騒と、女湯からの楽しげな笑い声にかき消されていく。
数々の困難を乗り越えて完成した新緑の隠れ湯は、彼らにとって、これ以上ない最高の「心の拠り所」となり、これからの厳しい戦いへと向かう英気を、静かに、しかし確実に蓄えさせていくのだった。
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