第二話:閉ざされた楽園と、忍び寄る飢え
ユウマは、歪んだ格子の隙間から身を乗り出し、遺跡の入り口へと続く薄暗い廊下を眺めた。
先ほど自分を追い回したあの巨狼の唸り声が、まだ耳の奥にこびりついている。外の森は、昼間だというのに厚い葉に覆われ、深海のような暗緑色に沈んでいた。
「……リリィ、少し外の様子を見てくるよ。このあたりに何があるのか知っておかないと、対策も立てられないからね」
ユウマがそう言って一歩踏み出そうとした、その時だった。
「だ、ダメなのぉ! 絶対に行っちゃダメぇ!!」
背後から、リリィが叫び声とともに飛びついてきた。
**ムニュッ**とした柔らかい感触がユウマの背中に押し当てられ、彼女の細い腕が必死に彼の腰に回される。
「うわっ、リリィ!?」
「ダメだよぉ、ユウマさま! 外に出たら、一瞬で食べられちゃうのぉ! この遺跡の周りはねぇ、監獄から逃げ出そうとした罪人を『お掃除』するためにぃ、わざと凶悪な魔物たちが放し飼いにされている場所なのよぉ……っ」
リリィはユウマの背中に顔を埋め、**ぶるぶる**と小刻みに震えていた。彼女の銀髪から、甘い花の香りが鼻をくすぐる。
「お掃除……? つまり、ここは天然の処刑場ってことか」
「そうなのぉ……。さっきの三つ目狼なんて、まだ可愛い方なんだよぉ? もっと奥にはぁ、影に潜んで音もなく首を刈り取る魔物や、空から音速で襲ってくる怪鳥もいるのぉ……。お願いだから、リリィを一人にしないでぇ……」
彼女の必死な訴えに、ユウマは苦笑しながら足を止めた。確かに、武器も魔法もない今の自分が外へ出れば、文字通り「餌」になるだけだろう。
「わかった、分かったよ。無理に出たりはしない。……離してくれ、リリィ。動けないよ」
「……本当ぉ? 約束なのぉ?」
リリィはおずおずと腕を解いた。彼女の瞳には、まだ不安の色が濃く滲んでいる。
ユウマは気分を切り替えるように、狭い遺跡の中を歩き始めた。
「……何か、使えるものがあればいいんだが」
**コツン、コツン**と、虚しく響く足音。
監獄の内部は、驚くほど殺風景だった。壁には本棚一つなく、文献の類は一切存在しない。あるのは、錆びついた鉄輪と、湿った石壁、そしてリリィが細々と管理していた魔法の畑だけだ。
奥にある保管庫らしき小部屋も覗いてみたが、そこにあったのは砕けた石材と、正体不明の腐り果てた革袋だけだった。
**パラパラ……**。
壁の隙間から砂がこぼれ落ちる。
「……何もない、か」
ユウマは、冷たい石の壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。
目の前には、ボロボロになったスーツ姿の自分と、汚れは目立つが美しすぎる銀髪の少女。
外に出れば魔物の餌食。
中に留まれば、いずれ底を突くかもしれない魔法の野菜。
知識はあっても、それを形にするための材料も道具も、この「箱」の中には何一つない。
「……これから、どうしようかな」
思わず、弱気な言葉が漏れた。
何とかリリィを助け出したものの、自分たちには現状を打破する力が圧倒的に足りない。
ユウマは膝を抱え、この先どうすればいいのかを必死に考えていた。
すると、ユウマの沈んだ空気を察したのか、リリィが**トコトコ**と歩み寄ってきた。
彼女はユウマの隣にぺたんと座り、自分の豊かな太ももをパチンと叩いた。
「ユウマさま、元気を出すのぉ。リリィの『ひざまくら』、貸してあげるよぉ?」
「……いや、今はそういう気分じゃ……」
「ダメなのぉ。ユウマさまは、リリィを助けるために一生懸命頑張ってくれたんだもん。今は、リリィがユウマさまを癒やす番だよぉ」
強引に頭を引き寄せられ、ユウマの視界は再びリリィの青い瞳と、銀色の髪で埋め尽くされた。
**プニッ**。
吸い付くような柔らかな肌の感触が、疲れ切ったユウマの意識を少しずつ解きほぐしていく。
「ユウマさまぁ……。リリィはねぇ、ここに来てからずっと一人で、何十年も空を見てたのぉ。でも、今日からはユウマさまがいる。それだけで、リリィはとっても幸せなのよぉ」
彼女はユウマの額を、熱を冷ますように優しく撫でた。
**スリスリ**と、絹のような指先が肌を滑る。
「何もなくてもぉ、二人で考えればぁ、きっと何か見つかるのぉ。リリィ、ユウマさまが言ってくれた『適材適所』っていう言葉、とっても気に入ったんだよぉ?」
ユウマは目を閉じ、彼女の言葉を噛み締めた。
そうだ、絶望していても始まらない。
外に出られないなら、出なくていい方法を考えるか、外の連中が手を出せなくなるほどこの場所を強固にする方法を考えればいい。
「……ありがとう、リリィ。少し、視界が晴れた気がするよ」
「えへへ、よかったのぉ」
リリィは嬉しそうに目を細め、**ゆさっ**と胸を弾ませて微笑んだ。
閉ざされた石の檻。そこは今、一人の男と一人の少女にとって、未来を切り拓くための「作戦会議室」へと姿を変えようとしていた。
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