第十一話:夜明けの決意と、約束の地
深い森の木々の隙間から、白ずんだ朝の光が差し込み始めた。
霧が立ち込める青白い空気の中、ユウマは岩の根元に腰を下ろし、背中に預けたルネの体温を確かめていた。死線を潜り抜けた緊張感が解け、泥のような疲労が全身を襲う。
「……ん……ぅ……」
背中で、小さな呟きが聞こえた。
ルネがゆっくりと瞼を持ち上げる。赤と金のオッドアイが、まだ焦点の合わないまま、朝の光を反射して弱々しく揺れた。
「ルネ! 気がついたか?」
「……ユウマ、さま……? 私……寝て、いたですぅ……っ。……あ、お姉さま……っ」
隣でルネの手を握っていたリリィが、顔を輝かせて身を乗り出した。
「ルネちゃん! よかったぁ……。うなされていたから、リリィ、とっても心配したんだよぉ?」
「……ごめんなさい、ですぅ……。迷惑、かけたですぅ……っ」
ルネはおぼつかない足取りで地面に降りようとしたが、力が入らず、ユウマの肩に顔を埋めた。その額にはまだ熱が残っているが、瞳には意思の光が戻りつつあった。
「いいんだ、ルネ。……でも、聞け。これからは絶対に無理をしないでくれ」
ユウマは彼女の身体を支え、正面からそのオッドアイを真っ直ぐに見つめた。
「君の目は、僕たちの希望だ。でも、君自身が壊れてしまったら、何の意味もない。……少しでも辛いと思ったら、すぐに言うんだ。これは命令じゃない、約束だ。いいな?」
ユウマの真剣な眼差しに、ルネは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
「役に立たないなら捨てられる」という恐怖の中で生きてきた彼女にとって、自分の心身を案じる言葉は、何よりも深く胸に染み渡った。
「……はい、ですぅ。……約束、するですぅ……っ。ユウマさまを、悲しませるようなことは……しないですぅ……っ」
ルネは小さく、だが力強く頷いた。その目には、感謝と、そして以前よりも強い信頼の情が宿っていた。
ルネはまだ本調子ではなかったが、ユウマが彼女を背負い直すことで、行軍を再開することになった。
ルネの細い腕がユウマの首に回され、その胸の確かな質感が再び背中に伝わってくる。
「……ルネ、方向は?」
「あっち、ですぅ。……昨日の濁った色は、もう消えてるですぅ。森の気が、少しずつ……澄んできてるですぅ……」
ルネの指示に従い、ユウマは一歩一歩、確実な足取りで進んでいく。
夜の間に魔物たちが引き上げたのか、あるいはルネがより安全な「空白地帯」を選び抜いているのか。昨夜の地獄のような回避劇が嘘のように、二日目の午前中は順調だった。
リリィも、ルネの負担を減らそうと、周囲の毒のある植物やぬかるみを敏感に察知し、ユウマをサポートする。
「ユウマさまぁ、そっちは足場が悪いのぉ。こっちの平らな石を伝って歩くのよぉ」
「助かるよ、リリィ。……ルネ、疲れはないか?」
「だいじょうぶ、ですぅ……っ。ユウマさまの背中……とっても、落ち着くですぅ……。なんだか、このまま……ずっと、見ていられる気がするですぅ……」
ルネの声が、昨日よりも少しだけ明るい。
時折、遠くで魔物の咆哮が聞こえることもあったが、ルネが即座に「あそこは避けて」と的確な指示を出すため、一度も実体を目にすることなく進むことができた。
太陽が天頂を過ぎ、西へと傾き始めた頃。
閉ざされていた森の密度が、徐々に薄くなり始めた。
木々の合間から差し込む光の量が増え、地面には青々とした芝生が顔を出し始める。
「……ユウマさま! 見て、ですぅ……っ!」
ルネがユウマの肩を叩き、前方を指差した。
斜面を登り切り、視界が開けた瞬間。
三人の目の前には、黄金色の夕日に照らされた、なだらかな盆地が広がっていた。
そこには、整然と並んだ木造の家々と、そこから立ち上る細い炊飯の煙。
田畑を耕す人影。水汲み場で笑い合う声。
「……集落だ」
ユウマは呆然と呟いた。
かつての日本では当たり前だった「人の営み」が、これほどまでに神々しく、愛おしいものに見えるとは思わなかった。
「……わぁ、人がいっぱいいるのぉ……っ! ユウマさま、本当に行けたんだねぇ!」
リリィが感極まったようにユウマの腕に抱きつき、その喜びを全身で表現した。
ルネもまた、ユウマの背中でその光景を食い入るように見つめている。
「……暖かい、光の色ですぅ……。怖くない……優しい人たちの、色ですぅ……っ」
ルネの瞳に、安堵の涙が浮かぶ。
自分たちは生き延びたのだ。
あの呪われた監獄遺跡から、そして死の森の包囲網から、自分たちの足でここまで辿り着いた。
ユウマは、背負ったルネと、隣で微笑むリリィを改めて見つめた。
ここがどのような場所で、どんな人々が住んでいるのかはまだ分からない。
けれど、この二人が安心して眠り、お腹いっぱい食事ができる場所を、今度こそこの手で作り上げてみせる。
「……よし、行こう。僕たちの、新しい生活の始まりだ」
ユウマは一歩、集落へと続く坂道を下り始めた。
夕日に照らされた三人の影が、長く、力強く、草原に伸びていった。
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