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第十話:断絶の夜と、背中の重み

 川のせせらぎが、夜の静寂の中で不気味なほど鮮明に響いていた。

 即席の野営地。柔らかな苔の上に横たわるルネは、昼間の無理が祟り、ひどい熱に浮かされていた。

「……ぃゃ……暗い……のは、嫌……ですぅ……っ。……捨てないで……っ」

 うなされ、小さく震えるルネの額に、リリィが何度も川の水で冷やした布を当て直す。

 **ピチャ、ピチャ**と水滴が滴る音だけが、絶望的な孤独感を際立たせていた。

「ルネちゃん、かわいそうなのぉ……。あんなに一生懸命、お目目を使ってくれたんだもんねぇ……」

 リリィの瞳には不安の色が濃く滲んでいた。万能とも言えるルネの「索敵」を失った今、この暗闇は、いつどこから魔物が飛び出してくるか分からない、底なしの恐怖そのものだった。

「リリィ、大丈夫だ。僕が……僕たちが、彼女を守る番だ」

 ユウマは自分に言い聞かせるように呟き、夕方に仕掛けておいた「罠」の方へ神経を研ぎ澄ませた。遺跡に落ちていた古い針金と、道中で拾った乾いた木の実を組み合わせた、単純な音の仕掛けだ。

 それから数時間。深夜、闇が最も深まった頃だった。

 **――カランッ。**

 乾いた音が、静寂を切り裂いた。

 ユウマの心臓が、**ドクン**と大きく跳ねる。

「……リリィ、荷物をまとめて。移動するぞ」

「あ……っ、はいなのぉ……っ!」

 ユウマは迅速に動き、横たわったままのルネを背負い上げた。

 その瞬間、背中に伝わってきた感触に、ユウマは息を呑んだ。

(……なんて、軽いんだ)

 背中に押し当てられるルネの胸の柔らかさに一瞬意識が飛びそうになるが、それ以上に、彼女の身体があまりに華奢であることに衝撃を受けた。吸血鬼という強靭なイメージとは裏腹に、その身体は驚くほど細く、頼りない。

(こんなに細い身体に、僕は……。彼女の力に甘えて、限界まで無理をさせてしまったんだな)

 自分の認識の甘さに奥歯を噛み締める。

 かつての組織でもそうだった。有能な人間にばかり負担を強いて、壊れるまで気づかない。そんな過ちを、この世界でも繰り返すつもりか。

「……ルネ、済まない。もう二度と、こんな無理はさせない。絶対に……守り抜くから」

 ユウマはルネの脚をしっかりと抱え込み、彼女を背中に固定した。

「リリィ、僕の服の裾を掴んで。音を立てずに……ゆっくり歩くんだ」

「わかったのぉ……ユウマさま、離さないでねぇ……っ」

 一歩、また一歩。

 月明かりすら届かない密林を、ユウマたちは忍び足で進む。

 **――ズシン。ズシン。**

 前方の茂みから、地響きのような足音が聞こえてきた。

 ユウマは瞬時にリリィを引き寄せ、巨木の根の空洞へと身を屈めた。

「しっ……息を殺せ」

 リリィのしなやかで女性らしい身体がユウマの腕の中に収まり、彼女の細い肩が震えているのが伝わってくる。

 数メートル先。茂みをなぎ倒しながら、筋骨隆々の巨大な影が通り過ぎていった。

 牛のような頭と、何本もの鋭い角を持つ魔物だ。そいつが鼻を**フンッ!**と鳴らすたびに、腐敗した吐息がユウマたちの隠れ場所まで流れてくる。

 **ドク、ドク、ドク……。**

 自分の鼓動がうるさすぎて、見つかってしまうのではないかと錯覚する。

 魔物が立ち去るまでの数分間が、永遠のように感じられた。

 その後も、三人はギリギリの回避を繰り返した。

 一度は、頭上を巨大な怪鳥が風を切り裂いて通り過ぎ、一度は、毒々しい色の斑点を持つ大蛇が、ユウマたちの鼻先を這い抜けていった。

 その度に、ユウマは背中のルネの命の重さを感じ、隣で震えるリリィの手を強く握った。

 自分は無力だ。魔法も使えない、剣も振るえない。

 だが、この二人を連れて、絶対にあの集落まで辿り着く。その執念だけが、鉛のように重くなったユウマの足を動かし続けていた。

 やがて。

 濃紺だった空の端が、少しずつ白み始めた。

 木々のシルエットがぼんやりと浮かび上がり、森の殺気がわずかに和らぐ。

「……夜が、明けるぞ」

 ユウマは掠れた声で漏らした。

 隣でリリィが、安堵から**ふにゃり**とその場に座り込む。

「……よかったぁ……。ユウマさまぁ……本当に、怖かったのぉ……」

 ルネの熱はまだ引いていない。けれど、その寝顔は少しだけ穏やかになったように見えた。

 夜明けの光が、三人のボロボロになった姿を照らし出す。

 死の淵を彷徨った長い夜が、ようやく終わろうとしていた。

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