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第9話

「う、うつくしい・・・・」


王子は、戦場に立つミレイラを見ながら思わず呟いた。


その周囲には、むせ返るような血と汗の臭いが立ち込めている。


さらに鼻をつくのは、何かが焼け焦げたような強烈な臭い。


王子は顔をしかめた。


「しかし・・・・なんなのだ、この臭いは」


隣に控えていた護衛騎士が、なんとも言えない顔をする。


「敵兵です、殿下」


「何?」


「ミレイラ将軍が火属性魔法で焼き払った敵兵の臭いにございます」


「・・・・」


王子は少し黙った。


だが再び前方へ目を向ける。


そこには、青い髪を風になびかせたミレイラがいた。


右手には巨大な炎。


その炎の光が青い髪を照らし、まるで花の精か何かのような幻想的な姿に見えた。


「やはり、美しい」


「殿下」


「なんだ?」


「いえ・・・・何でもございません」


護衛騎士は、それ以上何も言わなかった。


直後。


ミレイラが火属性魔法を放った。


ドゴオオオオオン!!


爆音とともに炎が広がる。


敵兵の悲鳴が響いた。


「ぎゃああああああ!!」


「熱い!熱い!!」


「助けてくれええ!!」


王子の護衛たちは顔を青くした。


だが王子だけは、頬を赤らめていた。


「なんと凛々しい」


護衛騎士たちは黙って顔を見合わせた。


このころ、王子はまだ、ミレイラに夢中だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


だが、それから時が流れた。


王子は相変わらずミレイラへ好意を寄せていたが、肝心のミレイラは軍務に忙しく、王子が会おうとしてもなかなか時間を作ろうとはしなかった。


そもそもミレイラ自身、王子から好意を寄せられていることは知っていても、それに応えるつもりはなかった。


一方で、王子が聖女教会を訪れれば、そこにはセラフがいた。


最初はミレイラとの仲を取り持ってもらうため。


そんな理由だった。


「今日もミレイラはいないのか?」


「はい。北部の演習へ向かわれています」


「そうか・・・・」


「そんなに落ち込まないでください」


「私はいつになったら、あの人と二人で食事ができるのだ」


「それを私に言われましても・・・・」


そんなやり取りをしているうちに、王子が聖女教会を訪れた際、セラフと話すことが当たり前になっていった。


そして王子も、少しずつセラフ自身を見るようになった。


「大聖女というのも大変なのだな」


「はい。でも、以前に比べればずっと恵まれています」


「君は真面目すぎるのだ。もう少し人に任せてもよいだろう」


「そうでしょうか?」


「当然だ。君は大聖女なのだから」


大聖女なのだから。


その言葉を聞くたび、セラフの胸には小さな喜びが生まれた。


かつては役立たずと言われた。


魔力が少ないと笑われた。


神官から怒鳴られ、他の聖女たちから仕事を押しつけられていた。


そんな自分を、王子は大聖女として認めてくれる。


「君ほど聖女たちから慕われている者はいないと聞いている」


「そんなことは・・・・」


「謙遜する必要はない」


「・・・・ありがとうございます」


王都を歩けば、国民から頭を下げられる。


聖女教会へ戻れば、神官たちが自分の言葉を聞く。


王城へ行けば、貴族たちから丁重に扱われる。


そして王子まで、自分を認めてくれる。


――私は、大聖女なのだから。


最初は、ほんの小さな自信だった。


それ自体は、決して悪いものではなかった。


むしろ、長い間自分を卑下してきたセラフにとって、必要なものだったのかもしれない。

だが。


人から褒められることに慣れた。


頭を下げられることにも慣れた。


自分の言葉に多くの者が従うことにも慣れた。


そして、いつしか。


自分が誰かより上に立つことにも、慣れていった。


王子の気持ちも、少しずつ変わっていった。


なかなか自分へ振り向かないミレイラ。


それに対して、セラフはいつも自分の話を聞き、笑ってくれる。


大聖女として国民から慕われ、王城でも評判がいい。


「セラフ」


「はい?」


「君といると落ち着く」


そう王子から言われた日、セラフは顔を赤くした。


以前なら、そこで距離を取ったかもしれない。


王子はミレイラを好いている。


自分は、その相談を受けていただけ。


そう思っただろう。


だが、そのころのセラフは違った。


「・・・・ありがとうございます」


嬉しかった。


大聖女としてではなく、一人の女性として王子から必要とされていると思った。


そして、いつからだっただろうか。


王子がミレイラの話をすることは、少しずつ減っていった。


代わりにセラフと過ごす時間が、増えていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ミレイラ!!」


王城の大広間に、王子の声が響いた。


「君との婚約は破棄させてもらう!!」


「・・・・」


ミレイラは目を瞬いた。


今日は、戦勝を祝うために王城へ呼ばれたはずだった。


つい先日。


隣国ハイルオル王国が、およそ一万の兵を率いてハチューア聖女国へ侵攻してきた。


ハイルオル王国は中央平原五大国には数えられていない。


それでも、小国であるハチューア聖女国よりははるかに強大な国だった。


対するハチューア聖女国側が出せた魔法軍は、およそ三千。


三倍を超える兵力差。


それでもミレイラ率いる魔法軍は、敵を撃退してみせた。


もちろん、ミレイラ一人の力だけではない。


これまで育ててきた魔法使いたち。


剣や盾を磨いてきた兵士たち。


回復魔法を使う聖女たち。


皆が、それぞれの役目を果たした。


その結果として得た勝利だった。


だからこそ、祝勝会が開かれると聞いたとき、ミレイラは自分だけでなく、将兵たちにも褒美や労いの言葉が与えられるものだと思っていた。


ところが、王城へ来てみればいきなり婚約破棄を宣言された。


「・・・・」


ミレイラは考えた。


何の話だろう。


自分はいつ王子と婚約したのだろうか。


まったく記憶にない。


その王子の隣には、美しく着飾った一人の女性が立っている。


大聖女セラフだった。


かつてのおどおどした少女の面影は、もうほとんどない。


豪華な衣装。


高価な装飾品。


そして、自信に満ちた微笑み。


王子はセラフの腰へ手を回した。


「ああ、大聖女セラフ。君こそ我が妃にふさわしい」


「王子殿下」


セラフは頬を染める。


「君のような慈愛にあふれる女性こそ、未来の王妃となるべきなのだ」


そして、セラフはミレイラへ視線を向けた。


その目には、はっきりと優越感が浮かんでいる。


「王子殿下のおっしゃる通りですわ」


「セラフさん?」


ミレイラが名前を呼ぶ。


だがセラフは、昔のように『ミレイラ様!』と笑顔を向けることはなかった。


「ミレイラ様」


言葉遣いだけは丁寧だった。


「あなたは確かに強大な魔力をお持ちです」


「はい」


「ですが、これまでいったい何人の人間を殺してきたのでしょう?」


ミレイラは少し眉を動かした。


「戦場での話ですか?」


「もちろんです」


セラフは胸元へ手を当てた。


「国母となる女性には、慈愛が必要なのです。多くの人族の命を奪ってきた方が、高貴な王子殿下のお隣に立つなど・・・・」


小さく笑う。


「ふさわしくないのではありませんか?」


ミレイラはしばらくセラフを見ていた。


何かが、胸の奥で、ゆっくりと冷えていく。


王子も大きく頷いた。


「その通りだ!」


そして、いかにも苦渋の決断であるかのような顔をする。


「ミレイラ。君には申し訳ないと思っている。だが、私も将来この国を背負う身なのだ」


「はい」


「君との婚約を破棄するのは、私も辛い!」


「・・・・」


「そんなにショックを受けないでくれ」


「いえ、別に」


「わかっている!強がらなくていい!」


ミレイラは困った。


本当に何を言われているのかわからない。


王子は以前からミレイラへ好意を示していた。


そして、そのうち彼女も当然自分を受け入れ、いずれ妃となるのだと、一人で思い込んでいたのである。


すると王子が、突然明るい顔をした。


「そうだ!」


「?」


「正妃は無理だが、側妃ならば許してやらんでもないぞ!」


「・・・・」


セラフも微笑む。


「まあ、なんとお優しい王子殿下」


そしてミレイラへ向き直った。


「私も、ミレイラ様が側妃として私の下につかれるのでしたら反対いたしませんわ」


「あなたの下?」


「はい」


セラフは楽しそうだった。


「ミレイラ様には、これまで通り軍を率いていただければよいのです。戦争はミレイラ様にお任せして、私は王子殿下とともに王国を支えてまいります」


その言葉を聞いた瞬間、ミレイラの頭に、昔のセラフの姿が浮かんだ。


広場で、魔力が尽きても、怪我人を治そうとしていた少女。


神官に怒鳴られても、必死に頭を下げていた少女。


『私たち、嫌だって言ってもよかったんですね』


そう言って泣いていた少女。


『私みたいな子が、もう二度と役立たずって言われない聖女教会にしたいです』


そう言って大聖女になることを決めた少女。


ミレイラは、あのセラフを助けたいと思った。


この少女なら、きっと良い大聖女になると思った。


そして実際、最初のころは、本当に良い大聖女だった。


だが、今、目の前にいる女は、かつて自分を苦しめた者たちと何が違うのだろう。


地位を得た。


権力を得た。


王子から愛されるようになった。


そして今度は、自分より下だと思った者へ仕事を押しつけようとしている。


ミレイラは静かに息を吐いた。


「セラフさん」


「はい?」


「変わりましたね」


セラフの眉がわずかに動いた。


「何をおっしゃっているのでしょう?」


「いえ」


ミレイラは首を横に振った。


「それだけです」


そして王子を見る。


「王子殿下。一つよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「私は王子殿下と婚約をした覚えがありません」


大広間が静まり返った。


「・・・・は?」


王子が間の抜けた声を出した。


「ですので、婚約破棄と言われましても困ります」


「な、何を言う!」


「婚約の契約書面はありますか?」


「・・・・」


「国王陛下から正式なお話をいただいたこともありません」


「そ、それは」


「私は王子殿下へ結婚の意思を示したこともありません」


王子が青ざめる。


周囲の貴族たちもざわつき始めた。


当然である。


正式な婚約など誰も聞いたことがない。


「で、ですが!」


セラフが割って入る。


「王子殿下は以前からミレイラ様を想っておられました!あなたも当然、そのお気持ちをご存じだったはずですわ!」


「知っていたとして、それが婚約になるのでしょうか?」


「・・・・」


「私は王子殿下と婚約しておりません。ですから婚約破棄も成立しません」


ミレイラは淡々と告げた。


「そして、側妃になるつもりもありません」


「なっ!」


王子の顔が赤くなる。


「この私の慈悲を拒むというのか!」


「慈悲?」


ミレイラは少し考えた。


そして。


「王子殿下」


いつも通りの丁寧な声だった。


「私は、この国を守るために戦った者たちが今日この場で労われるものと思い、ここへ参りました」


「・・・・」


「ところが実際には、存在もしない婚約を破棄され」


王子を見る。


「望んでもいない側妃の地位を与えてやると言われ」


次にセラフを見る。


「そのうえ、私が軍を率いる仕事だけは続ければよいと」


セラフが目を逸らした。


「つまり」


ミレイラは穏やかに言った。


「戦争になれば私が戦い、平時にはお二人の下で働けばよい、とおっしゃっているのでしょうか?」


誰も答えない。


「私には、この国に残る理由がなくなりました」


その言葉に王子の顔が歪んだ。


「貴様!」


「はい?」


「よくもそんな口を!」


怒りに任せて、王子は叫んだ。


「ならば出ていけ!!」


大広間が静まる。


「お前など、この国には必要ない!」


「王子殿下!」


周囲の貴族が止めようとする。


「殿下!国外追放をお決めになる権限は――」


だが、王子は聞かなかった。


「ミレイラ!お前を国外追放とする!!」


「・・・・」


ミレイラは王子を見つめた。


そして。


「承知しました」


頭を下げた。


「では、お世話になりました」


「え?」


王子が固まる。


セラフも、その場にいた全員も、ミレイラが本当に出ていくとは思っていなかった。


「ま、待て!」


王子が叫んだ。


しかしミレイラは振り返らなかった。


王子に国外追放を決定する権限などない。


そんなことは、ミレイラにもわかっていた。


だが、もう、この国へ仕え続けようという気持ちはなかった。



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