8.互いの気持ち
(何でって、何でって、言えるわけないじゃないか!)
咲也は心で叫びながら、南館と西館を繋ぐ渡り廊下を走る。
英人のことは好きだけど、側から見ているだけで良かった。両想いになりたいなど、おこがましい。ただ、眺めているだけで、それで満足していたんだ。なのに――、
「おい、色川英人じゃないか。おまえが規則破りに廊下を走るなんて、何があったんだ?」
咲也の担任の加山雄二だった。
こんな時に限って、運悪く白バイに捕まる信号無視の運転手みたいだ。
「あ、いや、すみません」
「素直に謝るのはいいが、理由は何だ? お腹でも壊したのか?」
英人が学校でお腹を壊してトイレに駆け込むというイメージが湧かないというか、そんなイメージは湧かせたくないというのは、理想か。
「はい、ちょっと……」
そうゆうことにしておく。
「さすがの学年トップでも、このシーズンはプレッシャーに負けるか? 大丈夫だ、闘ってるのはおまえ一人じゃないんだからな。みんなはライバルなんかじゃない、共に闘う同士だ」
今日も安定して熱血な加山雄二だ。このまま放っておくと延々と続きそうだ。それより、
「はい、頑張ります。なので、トイレに行かせて下さい」
「そうだった。すまんすまん。ゆっくり焦らず行って来いよ。コケたら危ないからな」
そんな人がいれば、トイレに駆け込むという現象は起きない。というか、そんな人に長々とお喋りしないでほしい。
加山の後方から、英人がこちらに向かって来る姿が見えた。
追いつかれた。ここで廊下を走っていた理由を証明するために、本当にトイレへ駈け込めば、出てくるまで待ち伏せされてしまう。その時、
「あっ、加山先生。あっちで一年の男子が何か言い争ってましたよ。ケンカかな?」
「何だって? 先生が見て来る。両本はいらない心配はせず、ちゃんと家に帰るんだぞ」
英人の、おそらく嘘の情報に騙されて、加山は反対方向に廊下を駆けて行った。……先生だけ廊下駆けて、ズルい。
加山の姿が見えなくなったのを確認してから、英人が近づいてくる。
「両本」
もう、逃げる気力は削げていた。それより、
「加山に嘘つかせて、ごめん」
「いや、何か知んないけどワイワイ騒いでたのはホント。いいよな、一年は楽しそうで。ま、去年が受験生だったし、それくらい許されなきゃいけないよな。これからクリスマスに、お正月も来るもんなー」
英人はしみじみとした様子で、懐かしそうな目をしている。咲也は、
「……逃げて、ごめん」
怒っていないかと、謝る。情けない癖だ。いつもこうして、相手の顔色を窺ってばかりだ。しかも今は下を向いて英人の顔すら見れずにいる。どんな返事をされるか手に汗をかきながら待っていると、
「なんか飲もっか。何がいい?」
返ってきた言葉は予想を外れていた。
「炭酸? それともコーヒーがいい?」
「い、いや、自分で買うからいいよ」
というか、英人と一緒に飲む? また逃げ出したい衝動に駆られたが、さすがに必死に抑制した。これ以上、本当に怒らせて嫌われる方が怖い。いや、すでに呆れられてはいそうだった。
「いいって、奢るよ。その代わり、逃げんなよ?」
ニッと笑った顔は絶対に眩しいはずだったけど、自分の顔でそんな顔をされても、似合っていない。やっぱ、キモい。
自販機は渡り廊下を渡ってすぐの所にあった。こちらの注文も聞くことなく、英人は二人分の飲み物を買う。ガコンッ、ガコンッという音が、人気の少なくなった放課後の校舎内に響き渡る。
そのまま、前を進んで行く英人の後ろを大人しくついていく。
「ここでいっか」
階段を数歩登ったかと思えば、段に腰掛けた。そして、缶コーヒーを差し出される。黙って受け取り、同じように段に腰掛けた、英人の一段下の斜め方向に。
「……何か、話しづらい位置なんだけど。まぁ、いっか。その態度は一応、理解したつもり。元に戻らないって話も、今は置いとく。だから、できれば両本の気持ちを教えてほしい」
「き、気持ち? 僕の?」
「あ、こんな階段なんかで……やっぱ屋上がいいか」
「いや、場所は今はどうでもいいよ。って、僕の気持ちって……?」
「だから、両本のオレへの気持ち」
「……し、知ってるの?」
怖くて後ろを振り向けない。ホットの缶コーヒーの熱さも忘れて強く握りしめる。声が震えていた。
「川畑から、オレに熱い視線が寄せられてるってのは聞かされたよ。推しの行動はよく観察してるんだな。それに、あの部屋の本棚。全部、BL。木下先生の作品、ついつい三巻まで読んじゃった。あぁ泣ける……」
「一晩で三巻までっ?」
「オレ、速読身に付けてるから、スゴイだろ? って、そうじゃなくて。だからさ、両本の気持ちにも薄々気づいたってワケ」
「……」
つまり、す、す、好きってことを? 喉元まで出かかったけど、とてもじゃないけど、口に出せない。それに……、
「……気持ち悪いよね、フツー……ごめん……」
「何が? フツーってのが逆に分かんないんだけど? そりゃあ、いざ自分のこととなるとビックリはしたけど。気持ち悪くはないよ、全然。それは、両本なら分かるんじゃない? オレはそんな奴じゃないって」
英人が人を偏見したりはしないはずだ。そんな心の広さを持ったところに惹かれたのだから。でも、それも側から見た印象であって、内面の性格までは詳しく知らない。
「……分かったつもりでいるだけで、全然分かっていないかも……ごめん」
「そうやって、すぐ謝んなくてもいいって。オレも同じ。両本のこと、ほとんど何も知らないから。だから、これから知っていきたい。その上で、ちゃんと返事したい。でも、そのためには、もっと一緒にいなきゃいけないんだけど、いい?」
ダメなワケない。一緒にいたい。でも……、
「すごく、目立つと思う……」
クラスの違う、成績もさほど良くない咲也と英人が、急に仲良さそうに一緒にいれば、男子はともかく、女子からの視線が突き刺さりそうだ。
「そんなの気にしなくていいって。けど、そうだな……最近オレ、一花に近づいたんだ、本の話がしたくてな。両本もオレも、本好き仲間ってことで。これで自然な繋がりができるだろ?」
一花と仲良さそうに話していたのは、本についてだったのかと、一人ライバル心を抱いていた咲也はこっそり安堵する。
「……うん。それなら、いいかも」
「よろしくな」
と、英人は缶を差し出してくる。コツンと乾杯のように当てた。そしてお互い缶コーヒーを飲んでいると、英人の顔が急に真面目になる。
「オレの目。毎日知らせて、何色か」
そうだ、忘れてはいけない、英人の――寿命について。英人は魂を元に戻したがっているが、咲也には抵抗がある。やはり――生きていてほしい。たとえ、代わりに自分が死のうとも。
それが正しいかどうか考えたって、この気持ちは抑えられないし、理屈じゃ治まらない。
「……うん、分かった。でも、何色でも僕は……戻らないよ?」
「そう言うと思った。でも、さっき話したように、まだ黄色なら回避できるかもしれないんだ。だから、代わりに死ぬことばかり考えないでほしい」
そうだ、まだ助かる可能性はある。ただ、その日を待つだけじゃなく、打開策を見つけるべきだ。これはもう、めそめそしていられない。
「助かる。きっと、色川くんは助かるから!」
いつもならば信じられないくらい熱い声が心の奥から飛び出す。そんな咲也に英人はわずかに目を見張ったのち、「うん」と明るく笑顔を返した。
こうして、二人のカウントダウンは始まった。




