6.助けたい一心
リビングのソファに腰かけ、どうしたものかと咲也は途方に暮れていると、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。咲也はリビングからベランダに出て、下を覗く。すると、一台の救急車が停まっていた。
「誰だろ?」
このマンションの住民だというのは確かだ。そこへ、
「ただいま」
リビングに女性と男性が入って来た。びくりと肩が跳ねたが、普通に考えて英人の両親だろう。二人揃って帰宅したようだった。
「お、おかえりなさい」
「ただいま、英人。ベランダで何してるの? もしかして、救急車に気づいた?」
「う、うん……誰かなって」
「四階に住む八十代のおばあさんみたいよ」
「心マされてた。助かりそうにないな」
と、恐ろしい事を口にしながら、父親は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲むと、フゥと息をついた。
「四階のおばあさん? もしかして、杖のついた?」
帰宅時に会ったおばあさんが頭に浮かぶ。
「たまーに会ったことあるよな。名前までは知らないけど、どこか顔色悪いとは感じてたんだけどな、ついにか」
まるで他人事のように喋る父親だが、医者ともなれば〝死〟に対する免疫力がつくのか。そうでなければ、いちいち患者が死んで落ち込んでいては仕事にならない。しかしそれに慣れてしまってはいけないと思う。もちろん、英人のご両親はそんなことはないと咲也は信じる。
しかし、あのおばあさんの赤い目の色を思い出す。御加世から説明された通り、目の色が寿命と関係しているのは確かのようだった。
(赤色とは……?)
もしかして緊急性の高い〝死〟を意味するのか? では、黄色は?
全ては明日、英人の口から説明される。
「あら、英人。夕飯はまだなの? 今日はシチュー作るんじゃなかったの?」
「え」
英人は料理も作れるのか。いや、シチューぐらいなら咲也にも作れなくはない、市販のルウを使えば。
「ごめん……何か食欲なくて」
それは本当だったが、ご両親は英人の作った夕飯を食べるつもりだったに違いない。申し訳なく、「ごめん」と再び謝る。
「別にいいわよー、冷食のパスタでも食べよっかな。パパも食べるでしょ? 英人はどうする? 食欲ないって、胃の具合でも悪いの?」
「まぁ、そんなとこ。でも大丈夫だよ」
「そう? ホントに? 薬箱に胃薬があるわよ、飲んでおく?」
「んー、どうしよ。じゃあ、飲もうかな?」
この状況下において、気分的に食欲がないだけであり、胃が悪いワケではないが、ハッキリ断れないのが意志が弱いところだ。
心配した様子で母親が胃薬と水を用意てくれる。それを飲むと、
「じゃあ、部屋に戻るね」
ほぼ初対面で気まずく、自室へと戻ろうとする。「お風呂はー?」と母親の声に、「あ、明日の朝にシャワー浴びる」と返事する。
お風呂なんて、お風呂なんて……入れるワケないじゃないか! そんな心の準備が追いつかない!
逃げるように向かった自室だろう扉の前。ここでも忙しなく脈打つ鼓動を深呼吸して整え、ドアを開く。
ふわっと、玄関や居間とはまた違った匂いがする。これは、英人の匂い。スゥとした爽やかな香り。スーハーと息を吸って吐く。はたから見れば完全に変態だ。ゴメンと、英人に心で謝ると同時、許しを請う。
しばらく、うっとりしていた目を開いて室内を見回す。白い壁に茶色いフローリングの床の上に、ベッドと机、本棚などがある。自分の部屋と揃っている家具はさほど変わらない。おそらく、どこの学生の部屋もこんなものだろう。
ベッドに座り、そして横たわってみる。今度は強めの英人の匂い。そして、吸う。もう変態なんだと自分を認める。
「ダメだ! それより!」
咲也はガバッと起き上がる。
すぐさま鞄を開いて、教科書とノートを取り出し、復習と予習をやるべきだ。ベッドでゆっくりと横たわっているのは間違っている。学年トップの英人なら、きっと毎晩勉強しているはずだ、多分……でも、いつか死ぬかもしれないって人が将来に向かって意欲的に勉強できるものなのか……自分なら、布団の中に潜りっぱなしだ。
「色川くんなら、きっと諦めない」
そうと言い切れるのか?
いつも遠くから眺めているだけで、外見はこの目に焼き付けているが、内面まで知っているワケではない。
「……切ない」
小説では切ない胸キュンものを好んでいるくせに、現実ではこんなにも辛くて堪え得難いなんて。こんなの体験したら、胸キュンものなんて読めなくなる。などと、うじうじしているとスマホがピコンと鳴り、ズボンから取り出したスマホを手に視線を落とす。
これにはプライベートがぎっしり詰まっている。それこそ、英人のことを知るチャンス。
「いや、無理だ……そんな勇気ないし、プライバシー侵害だ」
けど、先程から何度も着信音が鳴っていた。おそらく友人からのメッセージだろう。咲也のスマホには企業からのダイレクトメールくらいしか届かない。
「明日、確認してもらおう」
本人に、と思ったが、
「会う勇気もない!」
机に突っ伏し、頭を抱えた。が、柔らかい髪の毛。憧れの英人は、今はこの体だ。英人は今、自分の体の中だ。
「自分の姿に会うのなら……」
ちょっとは気がマシで心臓に優しい。
それに、この〝特殊能力〟について話を聞く必要が絶対にある。英人の命に係わる重要な情報だ。
何とか気持ちを切り替えて、机に向かう。クラスは違っても授業の進み具合はそう変わらないはずだ。まず古典の教科書を手に取り、ふとそこで本棚に目に留める。そして、鋭くキャッチした。
「え、これ……」
古典などの辞典が並ぶ段の下に、木下先生の人気シリーズ本がいくつか並んでいるのを発見する。もちろん、木下先生の作品といえばジャンルは――BLだ。
「え? え?」
意外だった。もっと、エンタメとか純文学を読んでいるイメージだった。もちろん、それらも本棚に並んでいるが。
BLって、まさか……まさか……?
英人くんは、同姓愛者? とまではいかなくても、関心がある? または、興味や理解がある?
少なくとも、気持ち悪いと拒絶はしていないということだ。
でも、ただの一つのジャンルとして楽しんでいるだけかもしれないが、勘違いだとしても、何かに期待を持ってしまう。
どれも違ったとしても、思わぬ共通の話題を見つけて、心にじんわりと嬉しさを感じた。
本棚の本を指先で差しながら、まだ昨日発売の新刊は買っていないと知る。
咲也もまだ読んでいない。昨日は買ったばかりで、それだけで脳が興奮してしまっていたので、今夜、冷静にゆっくり読もうと楽しみにしていたのだ。
「貸してあげたいな」
そこでハッとする。
英人は今頃、自分の部屋にいるのだ、と。そして、大量のBL本を前に何を思っているのか。絶対に、引いている。ドン引きしている。きっと、そうだ。
「あぁ……穴があったら入りたい」
まさにそんな言葉がピッタリはまる。
こんな状態で明日顔を合わせるなど、ますます勇気を失くす。自分に対する自信も、みるみる失っていった。
それでも、英人の寿命について、この特殊能力を知る必要がある。
「色川くんを助けられるなら……」
玉砕する覚悟でぶつかっていけ。
と、ブツブツとつぶやきながら教科書と辞書をめくるものの、頭の中は英人のことで埋め尽くされていた。




