15.本当は会いたかった
洗面台で顔を洗っていると、何やら人の声が耳に入ってきた。空耳か。蛇口を閉める。しかし、
《おはよー、聖子ちゃん》
頭の中に響く聞いたことのある声。その主は、
「なに? 御加世さん?」
《そうよ。今、念波を飛ばしてるの。すごーい! うそでしょ? とかは後にして。それよりも大変なことになってるわよ、あなたんち。お父さんが行方不明になったみたいよ》
「えっ? 外に出たの? いつ?」
《正確には分からないけれど、家からいなくなったみたいよ。今、舞愛ちゃんとお母さんが一生懸命探してるわ》
「探すって……いつもなら、家の周辺にいるはずなのに……そう、遠くへも行かないはず」
《今回は本当に行方不明の状態みたいね。ちょーっと、危ないかもねぇ? さて、どうしましょうか?》
「どうしましょうかって、他人事のように……あぁ、ホントどうしよ……」
考えを巡らせ少し躊躇したのち、
「私も探しに行きます!」
キッパリと、宣言する。
《その姿で? あなたは今、舞愛の姿なのよ? ご両親と、妹さんに会うつもり?》
「はい。でも、両親はすぐに私が舞愛だって気づかないと思います。妹とは……近いうちに会ってソウル・チェンジを解約しようと思ってたから、この際に」
《そう。そこまで覚悟が決まっているなら、そうしなさい。あなたたちと、お父さんの無事を祈ってるわ。じゃあねーん》
そこで御加世の念波はプツンと途絶えた。
「待ってて、今探しに行くから!」
急いで身支度すると、リビングに向かい、「行って来ます!」と言って玄関の外に飛び出した。背中から「舞愛―?」と、両親の呼ぶ声が聞こえたが、今は一刻を争う。事情説明は後回しにした。
◇
舞愛の家と聖子の家は隣同士の市だ。帰るのに住所は分かっている、自分の家なのだから。
だが、いつもとは違う行き先のバスと電車で移動する。
(車なら、早いんだけど……)
舞愛も免許は持っていたが、まだ自分の車は持っていないようだった。勝手に家族の車を使う訳にもいかない。
学生時代以来のバスに揺られながら、そわそわと落ち着かず意味もなくスマホ画面を開き気づく。
(自分のアドレスにメール送ればいんじゃない?)
向こうも自分のアドレスくらい覚えているだろうから、繋がる事ができる。もう、元に戻るのだ、接触してもいいだろう。
(えと、自分のアドレス……)
こんなところでアラサーを痛感する。高校生からしたら、おばさんだ。そんなおばさんは、近頃物忘れが増えてきた。
そうこうする間に、駅へと着く。改札口へと向かおうとして、ふと足を止める。
(駅の構内で野菜売ってるの? え、大根が百円?)
思わず二度見したところで、見覚えのある後ろ姿。
(え、まさか)
そのまさかだった。
「お父さんっ?」
野菜売り場の前でネギを手に持っている。
何でこんなところで、何でネギなんか買おうとしてるの? というか、どうやってここまで来たの?
もう、頭の中が疑問符だらけだった。
「ねぇ、お父さん!」
お父さんは自分が呼ばれいるのに気づかない。それもそのはず、今の聖子は舞愛の姿であり、その舞愛の姿も知らないからだ。
「あの、おじさん」
トントンと肩を叩くと、
「ん? 何だ?」
「私、聖子ちゃんの友人です。お父さ……おじさんがいなくなったって連絡があって。それで一緒に探してたんです」
「おう、そうかい。探さんでもいい。俺は、今から行くところがあるんだ」
「どちらへ?」
「娘だ。娘の舞愛に会いに行くんだ」
聖子は驚きのあまり言葉を失いそうになる。
「舞愛に……? どこに住んでるか、知ってるの?」
「これに書いてある」
と、ズボンのポケットから取り出したのはぐしゃぐしゃになった手紙――舞愛の母からのものだ。その差出人の住所を見て会いに行こうとしたのか。
「なんで……会いに?」
「俺の娘だ。昔な、養子に出したんだ……もう会えんと思ってたが……俺な、癌らしいんだ」
「え、癌? そんなはずないよ」
「お母さんと聖子が話してた、コソコソと二人して。俺、癌だ。そうなんだ、もう長生きできん。だから……会いに行くんだ」
おそらく、聖子の癌の話を自分の事だと勘違いしているようだったが、余命が少ないと知って、舞愛に会いに行こうとするとは……ボケてはいるが、ボケゆえに、それは本心だ。ずっと、養子に出した実の娘のことを気掛かりでいたのだ。そして、再会したいと願っていた。
「……お父さん」
思わず、自分が舞愛だと言い出しそうになったが、中身が違う。やはり、自分たちは魂を元に戻さなくてはいけない、早く。
聖子は熱くなる目頭を堪えながら、
「おじさん、帰ろう、おうちに。そしたら、舞愛ちゃんが会いに来てくれるよ。だから、帰ろう。みんな、心配してるから」
そう、背中を優しく押す。お父さんは理解したのかしていないのか、大人しく聖子と一緒に改札口へと向かう。そこへ、「お客さーん」と後ろから店主の声がして、慌ててお父さんが脇に抱えるネギの代金を支払った。




