9.理想の生活
ふわふわと体が温かく包まれて心地良いまどろみの中、
「ハッ!」
と、慌てて起き上がる。
「今、何時っ? 何でアラーム鳴らないのっ?」
と、手に取った見慣れないスマホに、ようやく自分は〝舞愛〟と魂を入れ替えたことを思い出す。
時計は朝の九時だった。信じられない、いつもなら五時起きである。こんな寝坊なんてしたのは、どのくらいぶりか。いや、舞愛にとっては寝坊ではないのか。
「ハッ!」
と、再びスマホを手に取る。
「土曜日。学校って……あるの? 週休二日制? でも、部活は? あ、三年生だから……え、受験勉強は?」
完全に頭が混乱してパニックを起こしていた。
とりあえず、起きなければと思ったが、布団の中が気持ちよく心地いい。ベロア生地の布団の触り心地は最高だ。手で撫で回していると、「ん?」何か毛足の長い部分があると思いきや、
ニャー
と、ラグドールが鳴いて布団の中から頭を出した。
「うわぁ、サイコー」
ネコと寝てるなんて、夢のようだった。しかし、この子の名は何か。抱き上げて、部屋のドアを開けると廊下に出す。エサやりは誰の担当か分からないが、水は常時用意されているはずだ。案の定、ラグドールはスタスタと階段を降りて行った。
聖子も服に着替えて一階のリビングまで向かおうとしたが、家の中でブランドの服はヘンだ。今着ているのは、部屋着らしきもの。パジャマというものが見当たらなかったので、家ではずっと部屋着兼パジャマなのだろう。なので、そのまま一階へと降り、洗面台で顔を洗った。そしてリビングへと入ると、
「おはよう」
と、ママが挨拶してくる。
「おはよう」
返事をすると、ママの顔がほころびる。娘の〝成長〟に喜んでいるようだった。中身が違うので、正しくは〝変化〟に近い。
「ニャンコにエサ与えておいたわよ。水も換えてあるからね」
このラグドールは〝ニャンコ〟って名前か。それって、ネコに〝ネコ〟って名付けるようなもので、何ともひねくれた名だ。名付けはきっと舞愛に違いない。そして、世話は親に任せっぱなしだった。
「朝食、フレンチトースト焼いたんだけど、食べる? コーヒーも淹れる?」
廊下から甘い香りがしていたのは、フレンチトーストだった。朝から食べられるなんて……しかも、手作り。聖子はごくりと唾を飲み込み、「うん、食べる!」と言って、コーヒーを淹れようとしているママに「自分で淹れるから」と、代わる。コーヒーはコーヒーメーカーで作られたものだった。
こうして、テーブルの上には、理想的なモーニングが並んだ。
朝から至福の時間を味わう。
「幸せ……」
甘く吐息が漏れる。
朝食の準備も、お父さんの食事の介助も、洗濯や洗い物、なーんにもしなくていい。こんな生活、望んでも叶わなかった。ずっと願っていたこと。
だけど、何だか落ち着かない。
「ママ、何か手伝うことは?」
「まぁ、お手伝いだなんて。休日なんだから、ゆっくりしてて」
本当に何て甘い親なのか。というか、何だか気を遣われている気がする。ニコニコしているママの顔が少し無理をしているように感じる。昨夜のパパもどこか動作がぎこちなかった。
おそらくだが、例の養子が関係しているのではないか。なぜ、両親はカミングアウトしたのかは知らないが、舞愛の方が勘づいて聞き出した可能性もある。
(今日は土曜だから、来週の月曜に市役所行こう)
まだ養子についてはリナから聞いただけなので、真相を確かめる必要がある。
朝食を終え、自室に戻るとボーッとして、ただ時間だけが過ぎていく。何もやることがないのも、生活に張り合いがないものだ。せっかくずっと続いていた倦怠感や食欲不振もなくなり体はすっきりしているというのに、もったいない。
ゲーム機に目をやるも、最新型でよく使い方が分からない。子供の頃、ゲーム機なんて買ってもらえなかった。友達の家でやらせてもらっていた。
しばらくベッドに寝転がっていたが、ソワソワして起き上がると、机に向かい教科書を開いてみる。
(うわっ、これはお手上げかも)
ノートをとっていないところからして、授業もサボっていたと思われる。聖子は頭を抱えながら、教科書を一ページずつめくっていった。
◇
あれから週明けの月曜日。
学校の屋上で昼食を食べていると、
「聖子さん」
声を掛けてきたのは、ここで最初に出会った一花だった。
「一花ちゃん。こんにちは」
「あ、舞愛さんって呼んだ方がいいかな。中身は聖子さんだけど。ややこしいよね」
苦笑する一花は、自分もあの世の使者の御加世の力により、魂を交換した事があるのだと話してくれた。
「なんかね、望んでいた理想の生活のはずだけど、どこか何かが違うっていうか……」
「うん、気持ち分かるよ。それって、だんだんと気づいていくんだよね。本当にこのままでいいのかって」
「それで、一花ちゃんは元に戻ったの?」
「はじめちゃんが……相手が幼馴染みの子だと知って、しかも病気で死ぬなんて……私は迷ったけれど、やっぱり自分の人生から逃げちゃダメだなって。彼も、自分の運命を受け止めて覚悟していたから」
「そうだったの……この子、舞愛ちゃんも少し複雑な人生抱えてるみたいで……どうもね、養子らしいの。きっと、それが悩みの種なのかな、オーバードーズなんかしちゃってたみたいで」
「えっ? 養子? それってどゆこと? ちょっと、御加世さーん! 出て来てー!」
「え、呼べば出てくるの?」
「多分、ね」
二人で「御加世さーん!」と空に向かって叫ぶと、フッと急に辺りが暗くなる。そして、
「はぁーい、元気? お呼びかしらぁ? って、一花ちゃん、あなたも一緒にいるのね。何の御用かしら?」
いつものように宙に浮いて座るような体勢をした御加世が現れる。
「御用? じゃなくて、舞愛ちゃんはオーバードーズしてるだけじゃなく、養子の子だって。御加世さん、ちゃんとそこ調査済みなの?」
「やだぁ、一花ちゃんたら顔が怖いわ。ずいぶん例の一件で強くなったわね。……えぇ、白石舞愛はいつ死んでもいいってくらい、暗い闇を抱えて生きてるわ。養子だって事も調べ済みよ」
「その、ご両親はどこの誰ですか?」
聖子が聞く。
「ちょっと、そこまでは調べてないわ。けど、どこの誰かを調べろと言うのよね? 分かったわ、明日までには情報提示を求めて集めてくるわ」
「あ、いえ。今日、このあと市役所に戸籍謄本をもらいに行くので、それで分かるはずです。それより、お父さんは……お母さんも、大変な思いしてませんか?」
「映像、見てみる?」
と、御加世は一面にスクリーンを映し出した。
そこには、風邪を引いて頭に冷却シートを貼っている舞愛の姿が映し出される。あぁ、どしゃ降りの雨の中、橋の上で突っ立っていたせいだと、聖子は申し訳なくなる。
しかし、そんな状態の中でお父さんと一緒に時代劇のテレビを観ている。横に寝っ転がり、せんべいをかじりながら。食欲不振の体のはずだが、どこへやら。「どっちが金さん?」などと質問する舞愛に、お父さんは得意そうに長々と解説をしている。
聖子はこんな風に、お父さんと一緒にのんびりとテレビを観て過ごしたことはなかった。なので、こんなにドラマについて熱心に語る姿を見るのは初めてだった。
「お母さんの様子は?」
スクリーンには寝室を掃除している姿があった。いつも家中をお父さんがウロウロしているので気が気じゃなく、きちんと部屋の掃除をできていなかった。それが、今は舞愛と一緒にテレビに夢中のため、ここぞとばかりに念入りに掃除を行っていた。
「こんな方法があったなんて……」
舞愛のアイデアに驚く。
「舞愛ちゃんは、何も考えてなさそうだけどねぇ。あぁ、それともう一つ、昨日の映像。こちらは、あなたに見つかった病気について。かなり深刻そうだけど、観る勇気ある?」
ここのところずっと続いてた体調不良。何となくだが、嫌な予感はしていた。「はい」と心して観る。
そこにはレントゲンを説明する医師とのやり取り。
「――癌? うそっ」
何か病気があるとは自覚していたが、まさかそこまで進行しているとは思ってもいなかった。だが、明らかになった自身の病気のことよりも、この先、癌治療をしながら家庭のことをやっていけるのかと、そちらの方が心配で頭の中がいっぱいになる。
「まぁ、魂を入れ替えた今、悩むのは舞愛ちゃんの方で、あなたは今の生活を送っていけばいいだけよ、気にしても仕方ないわ。ほいじゃ、またねーん」
そう、いつものように他人事のように颯爽と御加世は消え去っていった。
「……聖子さん、このソウル・チェンジには解約する方法があるの。私はそれを行って、こうして元に戻っているんだけど……一応、教えておくね。多分、どっちの人生を選んでも、それが正解か不正解かは、誰にも答えられないかも。こんなの、この世じゃありえない事だし。だから、自分を責めないで。でも、後悔しない選択をしてほしいと思うの」
「そう……よね。ありがとう。色々、よく考えてみるわ。まだ、養子の確認もあるし。今から、役所へ行って来るわ」
「養子だったら、生みの親に会いに行くの?」
「それは……本来は舞愛ちゃんが考えるべき事だけど……もう、私の事でもあるのよね。養子については、私にも無関係な話じゃないから、じっと見ていられないものがあるの」
「そっかぁ」
一花はそれ以上は深入りしてこなかった。
聖子は舞愛の心の内を探るべく、まずは市役所へ向かった。




