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8.病気が発覚

 舞愛(まいあ)はスマホの目覚ましの音にビックリして目を覚ます。

 毎朝、鳴るように設定されていた。

 しかし、「くしゃん」と寝起き様にくしゃみを連発する。何だか、体が暑い。いや、熱い。熱でもあるのか。


 ――ゴトンッ


 と、一階から何やら物音が聞こえると同時、「あーっ」というお母さんの叫び声が聞こえた。

 何が起こったのかと、起き上がり確かめに行こうとも、体が鉛のように重い。これは、間違いなく風邪だろう。

 どうしよう、仕事があるらしいのに、どうすればいいのか。とりあえず、音のした一階まで降りる。すると、


 ――パンツ一丁のお父さんの姿。


 朝っぱらから寝起きに見たくなかった。


「あぁ、聖子(せいこ)! お父さんがコーヒーを膝の上にこぼしちゃったの。火傷してなきゃいいんだけど」


 ポリ袋に氷を入れて、患部の太ももを必死に冷やしている。ズボンを脱いでいたのはそのためだった。床にはマグカップが転がり、熱湯だっただろうコーヒーが床の上にこぼれていた。


「ちょっと、そこ拭いてくれる?」


 言われた通り、台所にあった雑巾らしき布で拭き取る。が、「それ、布巾よ!」とお母さんが。あまりにも黒かったので、雑巾かと思った。どんだけ使い古してるんだ。「雑巾は、そこでしょっ」と言われ、床を拭く。


「どうしよう、大丈夫かしら。赤みは引いてきたけれど」

「やけどの塗り薬とかないの?」

「そうね、オモロインでも塗って様子見ようかしら」


 母親は居間の棚からオモロインを取り出してきて、お父さんの太ももに塗る。お父さんはさぞかし熱い思いをしただろうが、今はされるがままになっている。


「聖子、食パンでも焼いて食べなさい。そろそろ、仕事に遅れるわよ」

「お母さん、わたし何か、風邪気味なんだけど……」

「あら、昨日雨に濡れたせい? ホントに風邪引いちゃったの? でもちょうどいいわ、診てもらって来たら?」


 聖子のパート先は病院の調理スタッフだった。確かに、病院なのでぶっ倒れても安心だ。


「分かった。治らなきゃ、診てもらう」


 しんどい体に鞭を打って、朝食は食欲がないため抜きにして、職場へと車のカーナビの案内に従って向かった。



   ◇



 仕事内容は、主に盛り付けだった。どの皿に何を入れるかは、他の職員を見て真似をした。何とかなるものだ。


「くしゃんっ」

「あら、聖子ちゃん。どうしたの?」


 職場のおばちゃんは鋭く見破ってきた。


「ちょっと、昨日から風邪気味で……」

「それは大変。外来で診てもらって来たら? ついでに、一度検査してもらったら? 最近、疲れやすいみたいだし、顔色も何だか悪いわよ?」

「そうですか?」

「そうよ、隠れた病気じゃ怖いわよ」


 顔色が悪いと言われても、昨日の今日でよく分からないが、そう言われるのなら、そうなのだろう。


(この人は病気があって、死ぬの?)


 そういう事か。今から病気が明らかになり、絶望の淵に立たされるというワケか。そうでなければ御加世(みかよ)の言う〝生きたい人〟にはならない。


「んーじゃあ、診てもらいます。今日は早退でいいですか?」

「えぇ、そうした方がいいわ。風邪だったら数日、お休みになるわね。また連絡してちょうだい。じゃ、お大事にね」


 あのおばちゃんは上司だったのだろうか? 早退を認めてくれた。風邪なら数日休める。ちょっとラッキーだ。と、軽い気持ちで外来へ診察を受けに行った。

 だが病院に勤めているからといって、給食のおばさんくらいじゃ特別扱いにもならないらしく、普通に初診で待合室で順番を待った。その間、小堂(しょうどう)聖子のスマホをジッと覗き込み続ける。

 メモ帳には夕飯の献立、スケジュール帳には通勤日とデイサービスの日などが書かれてある。

デイサービスとは何だ? デリバリーか? などと舞愛は少し考える。そしてすぐに検索して、お年寄りの介護サービスだと知る。どうやら、お父さんが通っているようだ。

 何だかんだで、忙しない生活を送っている人のようだ。社会人と学生を比べても仕方ないかもしれないが、毎日何となく意味もなく惰性だけで生きている自分とは全然違うなぁと、ハァとため息がこぼれる。……こんな時、舞愛は薬を飲んでしまいたくなる。


(そうだ、せき止めもらえるかな? 病院なら大量に安くもらえるじゃん?)


 そんなことを、魂を入れ替えてでも思ってしまう。魂を入れ替えただけで、別人に生まれ変わったワケではないので、当たり前ではあるが。それでも、何かを少しでも期待していた自分に気づく。


(別にどうでもいいけど)


 とは、舞愛の口癖だ。世の中が、自分が、家族が、どうなろうとは知ったこっちゃないと、人生を生きるのを諦めていた。どうせ頑張ったって、変わりやしないと決めつけていた。

でも、もうあの両親はいない。子供のこちらが呆気に取られるくらいの過保護な両親だ。それなのに、気まずく息が詰まるような空気が流れる家庭。そこから今は離れられている。

 そんなことをぼんやり頭にしていると、番号札が表示された。診察室の中へと入る。

 風邪気味な症状と、顔色が悪いと周りに言われると伝えると、「血液検査とCTも一度撮っておきましょうか?」と言われ、よく分からず頷く。

 採血なんてしたことあったっけ? と思いながら血を抜かれ、何このトンネル? これは間違いなく初体験! と少し楽しみながらCT撮影を終え、再び診察室へと戻る。

 すると、目の前の医師は何やら顔を曇らせていた。そして、


「血液検査の結果、炎症反応がありますね」


と言い、次にPCのモニター画面にCTの画像を映し、「ここです」とボールペンで指しながら、「この黒いところ、腫瘍があります。結構大きいです」と。


「腫瘍って? ガンですか?」

「その可能性が高いです。この大きさのレベルだと、手術が必要になりますね」

「手術っ?」


 さすがに驚く。手術台に乗るなんて、イヤだ。腹切りだ。ハッキリ言って、怖い。


「手術すると治るんですか?」

「予後は比較的、よい方だと思います。そのまま治る方もいますよ」


 逆手に取ると、治らない人もいるという意味だ。


「どうします? 手術しますか?」

「しないと、死ぬんですよね?」

「……百パーセントとは断言できませんが」


 当たり前の質問と答えだったが、手術しますか? と、疑問形で聞いてこないでほしいものだ。まぁ、死んでも手術したくない人や、できない人が中にはいるかもしれないので、一方的には押しつけられないのだろう。


「少し、考えさせて下さい」


 舞愛はその少数派だった。医師は「そうですか。まだ、お若いので受けた方が良いとは思いますが……」と、つぶやく医師の意見は無視して、とりあえず次の予約を取り診察を終えた。

 手術を受けても受けなくても、この体は〝生きられない〟のではないか。ならば、最初から手術を受ける必要もない。

 別に自分が死んだって、誰も困りはしないだろう。そう思ったところで、


(この聖子って人は?)


 魂を入れ替えた、この小堂聖子はどうなのか。認知症のお父さんと、それを世話するお母さんの姿が頭に浮かぶ。そして、家事や介護、家計を支えている聖子。

 この人がいないと、困る人がいる。もし、いなくなれば、あの家族は一体どうなるのか。


「……だから、別にどうだっていいって!」


 そう、つぶやく声が胸に詰まって引っ掛かった。

 苦しく、重くなる肺。

 まるで捨てられるように養子に出された自分とは違って、実の両親に頼られ必要とされている聖子が羨ましく切なくなった。

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