5.家事と仕事と介護
舞愛は聖子の自室で指紋認証でロック解除したスマホにかじりついていた。
聖子の部屋は和室で、敷布団が部屋の隅に折り畳まれてあったが、広げて布団の上に寝転んだ。
「げぇ、働いてんの? この人」
勤め先の連絡先が電話帳に出てくる。今日、何やら発信した履歴があった。
社会人なので働いていて当たり前だが、明日からどうすればいいのか。舞愛の学校はバイト禁止なので働いた経験はない。禁止じゃなくても、お小遣いに困ってはいないので働くつもりはない。大学になってもそのままのつもりで、将来の事などは何も考えていなかった。
「仕事、辞めよっかなぁ」
だが、お父さんはあの通り認知症だ。そして、お母さんも働いてはいない様子で、夫婦二人で年金暮らしなのだろう。どのくらいの年金額かは知らないが、おそらく聖子が働き家計を助けているのではないか。そのぐらいの一般家庭の経済事情は分かっているつもりだ。
このまま自分が働かなくては、親の年金だけではとても好きな物を買ったりはできないだろうなぁ、と舞愛はため息を吐く。
「ま、どうせ辞めるなら、行ってみてからにするか」
こちらから辞めずとも、クビになる可能性もある。それはその時の事にするとした。どうせ辞めるのであるならば、どっちでもいい。
そこへ、部屋のドアがノックなしで開く。
「聖子、何やってんの? 具合でも悪いの?」
布団に寝っ転がっている聖子を見て言ってくる。おそらく普段の聖子は寝る時以外、布団に入ったりはしないのだろう。
「いや、ちょっと疲れてただけ」
とにかく疲れをアピールしておく。「そう、晩御飯できたわよ」と、お母さんは階段を降りて行く。舞愛もしぶしぶといった感じで立ち上がった。
台所に入ると、エプロンを掛けられたお父さんがテーブルの椅子に座っていた。赤ちゃんみたいで思わず笑ってしまいそうになったと同時、認知症なんかにはなりたくないもんだなと心に思った。
テーブルの上には、レバニラ炒めと、本当に揚げ出し豆腐も作られてあった。レバーも豆腐も実はあまり好きではない。白石家では舞愛の嫌いな食べ物は極力出されない。
しぶしぶと口に運ぶと、
「……おいしい」
一口ずつ食べて、思わず声を漏らした。
甘辛いレバーにはたっぷりのもやしとニラ。それらを一緒に口に入れると、苦手なレバーの臭みは感じられない。自宅ではこんなに野菜は入っていない。野菜もあまり好きではないからだ。なので、レバーのみがゴロゴロといった感じだった。
「ニラ、安かったの? 二つも買ってるかと思えば、キムチ鍋の素も買ってるのね。明日か明後日は鍋で決まりね」
そうか、レバーの量を減らして安いニラともやしでかさ増しか。逆にそれが当たりだ。
揚げ出し豆腐も衣がさっくりしていて、中はふわふわ。めんつゆによく合う。どんな調味料を合わせて作ったのか。たっぷりと絡めて口に頬張る。
「これもおいしい」
「好きよね、揚げ出し豆腐。面倒だからあまり作りたくはないんだけどね」
「このめんつゆ美味しい。また作ってよ」
「何よ、食べたいなら自分で作りなさいよ。めんつゆはいつも買ってるやつよ」
市販のめんつゆの味を初めて知った。お母さんは面倒そうに言いながらも、満足そうな顔をしていた。
一方のお父さんは、
「めんつゆ、垂れてるわよー」
揚げ出し豆腐にかぶりつきながら、めんつゆをポタポタと垂らしてテーブルの上を濡らしている。「もー」とお母さんは呆れるも、これを認知症のお年寄りがめんつゆを垂らさずに食べるには、難しいのではないか。
「切り分けたら?」
見かねて揚げ出し豆腐をお箸で切り分けてあげる。すると、お父さんはパクリと一口で揚げ出し豆腐を口に運ぶ事ができた。
「あら、最初からそうすれば良かったわね、うっかり」
年を取るとうっかりが多くなる。お母さんも呆け気味なのだろうか。少々不安になる、他人とはいえ。
せっせとテーブルの上を拭くお母さんに、
「どうせ汚すなら、全部食べ終わってからにすれば?」
「それもそうだけど……聖子、今日なんかあったの?」
お母さんが顔を覗き込んでくる。もしや、普段の聖子はテーブルが汚れるたびにせっせと拭いているのか、しまった。
「別に、なんもないよ。気にし過ぎじゃない?」
「今日の聖子は大ざっぱね」
それは誉め言葉なのか。逆にいつもの聖子は細かい性格ということか。
食事を終えると、舞愛は「ごちそうさま!」と、椅子から立ち上がり自室へ向かおうとして、
「ちょっと、聖子、洗い物は? あと、お父さんのお風呂の日よ」
「ゲッ」
家事が残っていた。洗い物ぐらいはできるが、お父さんのお風呂の日って言われても、一体何をすればいいのか。溺れないよう、監督か。それぐらいならいいが、舞愛にとっては今日が初対面の赤の他人。そんな人の裸を何が悲しくて見なければいけないのか。
「ちょっと、今日は……明日じゃダメ?」
と、そこで「くしゃんっ」と舞愛はくしゃみをする。
「そういや、あんた。帰って来たとき、雨に濡れてわよね? まさか、風邪引いたの?」
そうである、雨に打たれびしょ濡れだったが、タンスの中にあった服を適当に選んで着ていた。ジャージのズボンと長袖Tシャツと、ハンガーに掛かっていたカーディガンを羽織っている。だが、よく考えればまだ九月になったばかりなので長袖にカーディガンは暑いはずだ。なのに、少し肌寒いと感じるのは自分だけ? まさか、本当に風邪?
「分かったわ。洗い物、お母さんがやっとくわ。風邪ひいて寝込まれる方が大変だわ。お父さんのお風呂も明日にするわ」
「ごめん。今日は休ませてもらうよ」
そう言って、自室へと戻った。
戻ると、部屋の中が真っ暗だった。電気は点けっぱなしにしていたはずだ。おかしいと思っていると、
「はぁい、聖子ちゃん。いえ、中身は舞愛ちゃんね」
あの白い着物姿の女――あの世の使者の御加世が、また宙に浮かんで現れた。
「あんたっ。ちょっと、この状況って何なの?」
「この状況って? 忘れたの? ちゃんと事前に説明したわよ、生きたい人と魂を交換するって」
「その〝生きたい人〟と魂を交換って、この人、闘病中か何か? 家事と仕事で忙しそうで、そんなカンジしないけど?」
「こちらも、この世の人間の生命に関る情報は極秘中の極秘になるから、教えられないのよ。まぁ、そのうちに分かるわ」
「なに、それ? これからどうすればいいワケ? 家事に仕事に、あの認知症のお父さんじゃ……」
「まっ、頑張んなさい」
そう、他人事のように言って、御加世は「じゃねーん」と、パッと消えたかと思えば、室内の電気が点いて急に明るくなり、まぶしくて瞼を閉じる。
「なんなの? これ、手品? てか、マジあの世ってあんの?」
舞愛は布団に寝転がり、途方に暮れる。そして、ぶるっと急に寒気がして布団にくるまった。
「何なの、この初っ端からの展開? 風邪とか、マジ勘弁! は、はくしょんっ」
くしゃみをしながら、布団の中で嘆いた。




