3.本当だった
一瞬、意識が飛んだかと思えば、舞愛は土砂降りの雨の中に一人立たされていた。
「なに? これ?」
全身、頭から足元までびしょ濡れだ。
辺りを見回せば、どこかの河川敷の橋の上にいるようだった。すぐ側に無人の車が一台、運転席の扉が開いたまま、ハザードランプが点滅している。この悪天候だ、人の姿は見えない。
舞愛は記憶を辿る。
あの世の使者の御加世という怪しい人が現れて、生きたいと願う人と魂の交換してみる? などという話を持ち掛けられたのを思い出す。
できるものならやってみせてよ、と言えば――、
「マジ? マジでやってみせたって言うの?」
呆然と雨に打たれながら立ち尽くす。
「くしゃんっ」
くしゃみを合図にいくらか正気を取り戻す。
とりあえず、このままでは風邪を引いてしまう。どこか屋根のある場所へ所へ――すぐ側に停めてある車の中を覗き込む。
「これ、自分の車? てか……」
一体どこの誰と魂を交換したのか?
それはすぐに判明する。助手席に置かれた鞄の中に免許証が入ってあったからだ。そして、この車がこの体の人物の所有物だという証拠は、手に握っていた車のキーが車のエンジンキーに差し込むことができたからである。
「小堂聖子……平成生まれの……アラサー? 何よ、おばさんじゃん。ほうれい線できてるし、ヤダ、老けてるー。別にいいけどさぁー」
ぶつくさ文句を垂れながら、運転席へと入り込む。シートがずぶ濡れの体で濡れてしまうが、仕方がない。
「免許取っててよかった。でも、若葉マークだよ。どっかにぶつけても、知らないからね?」
でももう、これって自分の車になるのか? この免許証の人物に自分はなったというのか?
考えるとブルッと体が震えた。体が冷えているせいかもしれないが、それはつまりこの体がちゃんと生きてる人間のものという証だ。本当に自分の魂は、小堂聖子と入れ替わったのだ。
「もー何よ、コレ! あの女、何を勝手に……っ」
だが、やってみろと言ったのは自分だ。しかし、
「別にどうなろうと、知ったことじゃないからね!」
小堂聖子がどうなってしまおうと興味がないし関係ない。この時点で舞愛は全く他人事のように思っていた。今はとにかく家に帰ってシャワー浴びてベッドにでも横になりたいと、ハンドルを握る。
「待って、家どこ?」
すぐにカーナビを起動させて、自宅へと進路を向かわせる。
「なんだ、すぐ近くじゃん。じゃ、走ろ」
まだ慣れない路上を慎重に運転して自宅へと車を走らせた。
小堂聖子の自宅は、築年数が古そうな二階建ての一軒家だった。
小さな庭の車庫入れに苦戦していると、玄関から誰かが出て来た。もしかしなくても、家族だろう。六十代くらいの女性だった。聖子の母親か。母親も白髪頭を染めたりせず、地味な身なりだった。
「聖子、何でもっと早く連絡くれなかったの? もーお母さん、ビックリしたわよ」
突然そんな事を言われても、何のことかと舞愛は戸惑う。が、この非常時に鬱陶しいという感情の方が強かった。
「あーごめん」
一先ず謝っておく。
そして、運転席から出ると、そのまま玄関へと向かおうとして、
「聖子、買い物袋は?」
言われて、後部座席を見れば、大量の買い物袋が置かれてあった。
「ゲッ」
一人では持ちきれない量だ。まとめ買いというやつか。きっとスーパーでもカートに乗せたまま車まで運んだに違いない。
「あー忘れてた、ごめん」
「あら、ヤダ。あなたまで呆けちゃイヤよ?」
あなたまで、とはどうゆう意味か。他の家族に呆けている人がいるのか。などと思いながら両手に大量の買い物袋を提げ、玄関まで運ぶ。
すると、玄関前はスロープになっていた。楽だな。なんて思っていたが、すぐに〝バリアフリー〟というものだと気づく。玄関の中に入ると廊下にも手すりが付いていた。
そして、壁に貼られた数々の注意事項が書かれたメモと、日付の文字が大きなカレンダーがいくつも掛けられてあった。
(呆け老人がいる家?)
まさしくそうであることをすぐに分かる。
「あぁ、お父さん、こぼしちゃうわよっ」
お父さんと呼ばれた人は、食べているせんべいを手からポロポロとこぼしている。お母さんがすぐさま新聞紙をお父さんの膝の上に敷く。
(お父さんが呆け老人? この小堂聖子って人はまだアラサーだよね? 両親の介護ってまだ早いんじゃ?)
だが、若くても認知症になる人はいると聞くし、晩婚で聖子は遅くにできた子かもしれない。
「聖子、買い物した物、全部入るかしら?」
大量の食料の収納にお母さんは手こずっている。早く自室に向かいたいところだが、ここは手伝うしかない。
とはいえ、何がどこにあるのか分からないので、冷蔵庫以外の物の収納場所は片っ端から戸棚を開いて確認していく。調味料やインスタント食品など、スペースごとにジャンル分けされているようなので、適当に分類して詰めていった。
お母さんは特大のお肉を何やらラップに小分けしている。おそらく冷凍保存というやつだろう。やはりこの大量の食料は大家族とかではなく、まとめ買いだった。一体何日分を買ったのだろうかと、小分けされた豚の小間切れや鶏のむね肉の数を何気に数える。一週間分くらいだろうか。などと、のん気に眺めていると、
「今日は何作る予定なの?」
「え? あたしが作るの?」
と、思わず口に出る。料理は、つい最近になり〝花嫁修業〟と称してママに教えられようとしているところだったが、もちろん面倒で口実を作って逃げている。そんな舞愛が料理ができるはずもなく、困惑する。
「そうね、今日は病院で疲れたわよね。じゃあ、お母さんが作るわ。ニラとレバーがあるから、今日はレバニラでいい? お豆腐もあるのね、久しぶりに揚げ出し豆腐でも作ろうかしら?」
ニラレバ炒めに揚げ出し豆腐など、とても作れたもんじゃない。ここは、疲れたふりして素直にお母さんに任せるとする。
「あ、船柄のチョコビスケット!」
レジ袋から大好きなお菓子を見つけると、食料を全てしまい終わったので、おやつタイムとして頂くことにする。
冷蔵庫からコーラを取り出しコップに注ぎ、台所の隣にある居間へと移動する。すると、お父さんが座椅子に座ってテレビを観ていた。その座椅子はお揃いでもう一つあり、お母さんの物と思われる。舞愛は座布団の上に座った。
和室の室内を見回せば、テーブルの上にはティッシュの箱がドンッと置かれてあり、テレビ台には七福神やこけしなどのお土産品のような置物と、手作りと思われるクマの編みぐるみ。あと夢の国のマウスのぬいぐるみ。なんてカオスなんだ、統一感がない。
しかしタンスはちゃんとした家具屋で売ってる高そうで頑丈ないいやつで、組み立て式ではないと分かる。が、その横には縦にした段ボール箱の中に雑誌が並べ入れられていた。カラーボックスでもいいから本棚はないのか。そして、その上に大きなエコバックが乗せられている。パンパンで中に何が入っているのかは謎だ。
とにかく、そこかしこに物が置かれてあり、ごちゃごちゃしているというのが感想。
「それ俺のビスケットだ、くれ」
「これ、お父さんのだったの? はい、どうぞ」
どうやらお菓子の好みが合うようだ。ビスケットの箱を差し出すと一枚手に取った。すると、
「あっ、お父さん。手に付いたチョコを服に付けないでよ!」
台所から顔を出したお母さんが叱るように言ってくる。ちょうど、指先に付いたチョコをペロリと舞愛が舌で舐めたところだった。
(これは冷蔵庫でカチコチに冷やしてない限り、無理というもんよ)
舞愛はティッシュを一枚取ってお父さんに渡す。テーブルの上に置いてあるのは、こうゆう時のためかと頷く。
(てか、何のんびりしてんの? あたし)
まだ小堂聖子について、ほとんど何も知らない。どうやって、何を調べればいいのか。
(とりあえずもう一度、バックの中にあった免許証確認すっか。あー、もう。メンドくさっ)
ヤケ気味に何枚もチョコビスケットにかじりついた。




