15.優しい時間
時計は午後三時半過ぎ。
学校は放課後に入った頃だ。何度も何度も落ち着きなくスマホで時計を確認していた一花だ。
もうすぐ、未希という名の子が来る。どうすればいいのか。とりあえず、病人とはいえ、身だしなみをチェックした。髪に変な寝ぐせはついていない。短髪だからつきようもないが。寝巻きは今朝、看護師さんが着替えさせてくれたばかりだから清潔だ。あとは……、
(体調は、この分だと何とか軽いおしゃべりならできるかな?)
薬が何とか効いている。いつもどのくらい効いているのか分からないが、今日は昨日よりもマシだ。それに向こうも病人相手に延々と無駄話をしたりなんかしないだろう。
しかし、何を話せば……と、刻々と迫る時間に焦りと不安が募る。スマホの時計画面をじっと見つめること三十分程。
――コンコン
と、扉がノックされる。
(来たっ!)
スゥーと扉が開かれると、
「はじめちゃん、こんにちは」
ショートボブヘアの爽やかな笑顔の女子――おそらく未希が、頭を横にちょんと傾げながら部屋へ入って来た。
「こんにちは」
緊張して声が震えるかと思ったが、未希は人を和やかにさせる雰囲気を漂わせていた。
めっちゃ美人とか可愛いとかじゃなく、ごく普通の子。と言えば失礼かもしれないが、人をホッと安心させるような笑顔の子だ。
「外はもう猛暑だよーってことで、バーガーショップでシェイク買って来ました! 飲めそう? 無理そうなら、私が飲むから」
「二人分、飲めるの?」
「ヘーキ、ヘーキ、そのぐらい外暑かったのよー。ちょっと溶けちゃってるかも。すぐに飲んで」
食欲はなかったが、シェイクなら飲めるかもしれない。「ありがとう」と言って、口にする。冷たくて気持ち良くスゥーと喉を通っていく。
「美味しい。ありがとう」
「はじめちゃん、好きだもんね、シェイク。飲めそうで良かったよ」
そう言うと、未希は部屋の隅に置かれた車椅子を動かし始めた。
「お外行くでしょ? 暑い外で飲んだ方が格別だよ?」
「お外?」
「うん。あれ? 今日はお散歩の気分じゃない? 体、しんどい?」
まだ一度も個室から外へ出たことがない。正直、しんどいので動く元気がないが、車椅子でなら何とか大丈夫か。というか、はじめはこんな体でもいつも散歩をしていたのかと、少し驚く。
初めて車椅子という物に乗り、未希に押してもらい個室の外へと出た。
いくつもの病室が並ぶ廊下を通り過ぎ、ナースステーションの前で外出する旨を未希が伝える。「はーい、いってらっしゃーい」と、看護師さんはいつもの事で分かった風に了解した。
エレベーターで一階まで降りると、外来にはポツポツとだけ患者さんがいた。もう夕方なので、診察時間も終わろうとしているのだろう。
正面玄関へと出ると、モワッとした熱気のこもった空気を肌に感じる。
「あっついでしょー? ほら、あそこでシェイク飲もっ」
少し移動すると、花壇に花が植えられた憩いの広場のような場所があり、直射日光を避けれる小屋のような屋根付きのベンチがいくつかあった。そこから誰かがひょっこり顔を出し、
「おーい、はじめー」
と、呼んできた。
顔はもちろん、名前も知らない。一花は焦る。スマホには何人もの友人の名前があったが、全部は覚えていない。未希はおそらくサッカー部のマネージャーではないかと推測しているが、そうとなれば、この男子は部員の一人か。健康的に日焼けしており、笑った顔は爽やかに明るく、いかにもスポーツ少年だった。
「シェイク、うまかったか?」
聞かれ、「うん」と困惑気味に一言だけ答える。
「悠ちゃんは来る途中で全部飲んじゃったもんねーもうっ、待てないんだから。三人で飲みたかったのに」
「ごめん、ごめん。だって、あっちぃんだもん」
二人の会話から、目の前の男子は〝悠〟だとすぐに判明して、ホッとする。しかし、何と呼称すればいいのだろうか。スマホのメッセージのやり取りを調べれば分かるかもしれないが、二人の前で開く訳にもいかない。
「シェイクでは水分補給にはなりません。はい、どうぞ」
と、未希が鞄からマグボトルを取り出し、悠に渡す。悠は当たり前のように受け取り飲んだ。……未希の物のはずだけど、まぁ親しい友人同士なら口をつけていても気にしないか? でも男女で? もしかして付き合ってる? と、二人の関係を勘ぐってしまう。
未希は車椅子を脇に停め、自分もベンチに座ってシェイクを飲み出す。
「……溶けちゃったんじゃない? なんか、ごめん」
車椅子を押して移動しているうちに、未希のシェイクは溶けてしまったのではないかと、申し訳なくなり謝る。
「何を謝ってんの?」と軽く目を丸くして、「まだ冷たくて美味しいよ、バニラ味のスムージーみたいな?」
丸くした目を今度は細めて笑う未希は幸せそうだ。と、見ているこちらがそんな気分にさせられる。いい子だなと、何だか胸がじんわりした。
しかしこの二人は、はじめの余命を知っているのだろうか。あと一ヶ月でいなくなることを……でも、だからこうして毎日会いに来ているのか。はじめって人は幸せ者だなと、ふと一花は思う。
「八月に入ったら、こりゃ屋外は危険かもな。部屋で何すっかなぁ? あの病室のテレビって、ゲーム繋げれないのか?」
「んー、どうだろ?」
曖昧に答える。実際、どうなのか少し気になったが、ゲームして遊ぶ気分でもない。本物のはじめならば、三人でゲームをするのだろうか。本当に余命一ヶ月の人には思えないくらい、エネルギーがあるなと感心すらしてしまう。もっと静かに余命を過ごすものかと勝手にイメージをしていた。
「あんたたちゲームやアニメもいいけど、読書はしてるの?」
「してんじゃん、学校で。今まさしく、日本最古の小説『源氏物語』やってるじゃん。てか、読書は三人ではできないだろ?」
「今、朗読アプリとかあるじゃない? みんなで聞いてみたらどうなるのかなーって」
「興味あるか?」
と、悠に聞かれ、おそらくはじめは読書よりもゲームやアニメ好きだと思ったが、
「それ、いいかも」
と答える。
一花はすでに朗読アプリを使用していた。寝る前などに聴いている。物語の世界に入っていれば、嫌なことなど余計な考えずせずに済むからだ。
「そうか。じゃあ、『源氏物語』の現代語版を朗読で聴こう!」
「悠ちゃん、ほんと古典ダメよねぇ」
呆れ返る未希とのやり取りがほのぼのと感じられる。
数か月前まで、一花もこんな風に友人たちと笑い合っていた。それを思い出し涙が滲み出てきそうになったが、堪える。
もう、泣こうが笑おうが、全て終わるのだから。
そう思ったところで、今朝のドナーの件が頭に浮かぶ。
もしかしたら、奇跡が起こるかもしれない。命が助かるかもしれない。だが、それははじめにとってであって、一花にとっては望んでいるものではなかった。
ドナーの事を二人に話すべきか。いや、まだ詳しく分かっていないのだろう。あれから主治医は病室に来ていない。できれば調べてから知らせてほしかったが、それだけ主治医も喜び舞い上がってしまったのだろう。
「はじめ? どした?」
悠が心配そうに顔を覗き込んで来る。
「昨日から、ちょっと様子がヘンよね。きっと、具合悪いせいかな。シェイクも堪能したし、今日はもう戻ろっか」
「あ、オレが押してく」
と、今度は悠が車椅子を押してくれる。二人で病室まで送ってくれるようだ。ほんと、大事に愛されてるなぁと羨ましくなる。
四階にある個室の病室まで戻ると、「じゃあね」「またな」と二人は帰って行った。
しばらく、頭と心がほんわりとした温かみに包まれていた。二人との優しい時間に触れたせいだろうか。身体の痛みも落ち着いている。まだ残る余韻を、ベッドに横たわりながら感じていた。




