92 約束、ね
ビーチバレーのあと。
「はぁ……ちょっと疲れたかも」
凛が小さく笑いながら言った。
「日陰行ってくるね」
「おう」
蒼は軽く頷く。
凛はゆっくりと、少し人の少ない方へ歩いていった。
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少しして。
蒼は、なんとなくその背中を目で追っていた。
――気づけば、立ち上がっていた。
「……ちょっと飲み物取ってくる」
三郎にそう言って、その場を離れる。
「おーい俺のも――」
「知らん」
軽く返して、歩き出す。
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日陰。
パラソルの下。
凛は海を見ながら座っていた。
風が、髪を揺らす。
どこか、さっきまでとは違う静かな時間。
「……隣、いい?」
「え?」
振り向いた凛が、少し驚く。
「あ、うん」
蒼は隣に腰を下ろす。
ほんの少しだけ近い距離。
でも、不思議と嫌じゃない。
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「楽しいな」
蒼がぽつりと言う。
「……うん」
凛も小さく笑う。
「すごく楽しい」
二人で少しだけ笑う。
それだけなのに、なんだか少し照れくさい。
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「……ちょっとさ」
凛が立ち上がる。
「砂、触っていい?」
「いいけど」
凛はその場にしゃがみ込む。
さらさらの砂を手ですくう。
指の間から、ゆっくりこぼれていく。
「なんかさ」
「こういうの、久しぶりかも」
子どもみたいな、柔らかい表情。
蒼もつられてしゃがむ。
「何作ってんの?」
「んー……」
凛は少し考えて、
「お城?」
「雑だな」
「うるさいなー」
凛が笑いながら、軽く砂をかける。
「ちょっ、やめろって」
蒼も少しだけ砂を返す。
「やったな!」
小さな砂の掛け合い。
くだらないやり取り。
でも――
こんな時間が、ずっと続けばいいと、思ってしまう。
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ふと。
二人の手が、同じ場所に触れる。
「……あ」
一瞬、動きが止まる。
近い距離。
視線が重なる。
波の音だけが、やけに大きく聞こえる。
凛が少しだけ視線を逸らす。
「……なんか、子どもみたいだね」
「……まあな」
蒼も小さく笑う。
でも、その心臓の音は、少しだけ速かった。
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その空気の中で。
蒼は、ふと感じていた。
(……なんだろ)
胸の奥が、少しだけざわつく。
こうやって一緒にいる時間が、心地よくて。
気づけば、ずっとこのままでいいと思っている自分がいる。
(……なんでだろうな)
理由は、まだよく分からない。
でも――
もっと一緒にいたいと、思った。
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「……凛」
「ん?」
凛が顔を向ける。
その瞳を、まっすぐ見る。
逃げずに。
「今度さ」
「花火大会、行かない?」
凛の目が、少しだけ大きくなる。
「え……」
蒼は続ける。
「再来週の土曜」
「幕張の花火大会あるだろ?」
「結構大きいやつ」
凛が少し考えて――
「あ……あそこ」
「毎年やってるやつだよね」
「うん」
蒼は頷く。
「行ったことある?」
「……ないかも」
凛は少しだけ笑う。
「人多そうで、なんとなく行く機会なくて」
「じゃあちょうどいいな」
一拍、間を置いて。
「今年、一緒に行こう」
その言葉は、思っていたよりもずっとまっすぐで。
凛の頬が、ゆっくりと赤くなる。
「……うん」
「行きたい」
少しだけ、嬉しそうに。
でもどこか大切にするように。
「約束、ね」
そう言って、小さく手を差し出す。
蒼は一瞬だけ迷ってから、
「……ああ、約束」
その手に触れる。
ほんの一瞬。
でも、確かに残る温もり。
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風が吹く。
波の音が、少しだけ強くなる。
夏の匂い。
太陽の光。
この時間が、全部、特別に感じる。
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「……なんかさ」
凛がぽつりと呟く。
「今日、すごくいい日だね」
「……だな」
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でもそのとき。
ほんの一瞬だけ。
凛の表情に、
言葉にならない何かがよぎった。
胸の奥に引っかかる、小さな違和感。
それはまだ、形にならないまま。
すぐに、笑顔の中に消えていく。
蒼は気づかない。
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このときの二人はまだ、
この約束の先にある未来を、
知らなかった。




