86 負けない、か
海の家の忙しさが、少しだけ落ち着いた頃。
店の裏手、日陰になっているスペースで――
愛菜は一息つくように、軽く伸びをしていた。
「ふぅ……」
そのとき。
「愛菜先輩」
後ろから声がかかる。
振り向くと、七海が立っていた。
「……七海ちゃん」
少しだけ驚いたように、愛菜は目を細める。
「どうしたの?」
七海は少しだけ視線を揺らしながら、口を開く。
「その……」
「蒼先輩と、また一緒にいるんですね」
一瞬、空気が変わる。
愛菜は、少しだけ間を置いてから答える。
「……まあね」
落ち着いた声。
でも、その奥にあるものは隠しきれていない。
七海は、少しだけ俯く。
「やっぱり……」
「愛菜先輩って、蒼先輩のこと――」
そこまで言いかけて、言葉を止める。
愛菜は、静かに七海を見る。
そして、ふっと小さく笑った。
「……分かりやすい?」
七海は、少しだけ困ったように笑う。
「……はい」
正直な答えだった。
一瞬の沈黙。
遠くから、波の音が聞こえる。
愛菜は、少しだけ視線を海の方へ向けた。
「……好きだよ」
ぽつりと。
静かに落ちる言葉。
七海の目が、少しだけ見開かれる。
「今でも」
続いた一言は、もっと静かだった。
七海は、ぎゅっと手を握る。
でも――
すぐに顔を上げて、言った。
「……そうですか」
「じゃあ、私も負けないです」
まっすぐな目。
迷いのない言葉。
愛菜は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせて――
そして、小さく笑った。
「強いね、七海ちゃんは」
「後輩ですから」
七海はにっと笑う。
「遠慮しないです」
その空気が、ほんの少しだけ張り詰めた――
そのとき。
「おーいお前らー!」
突然、三郎の声が飛んできた。
二人が同時に振り向く。
三郎が、太陽と千尋を連れて歩いてくる。
「こんなとこでサボってんのかー?」
「いや休憩だろ」
太陽が冷静にツッコむ。
千尋は二人を見てニヤッと笑った。
「あれ~?」
「なんかいい雰囲気じゃん?」
「なに話してたの?」
七海が即座に答える。
「恋バナです!」
「おい言うな!」
愛菜が思わずツッコむ。
千尋の目が一気に輝く。
「え、なにそれ詳しく!」
「誰の話!?」
三郎も乗っかる。
「おいおい、海来てまで恋愛トークかよ!」
「青春してんな~!」
――その横で。
太陽は、一瞬だけ言葉を止めた。
ほんの一瞬。
視線が、愛菜の方へ向く。
すぐに逸らす。
「……お前らうるさいな」
いつもの調子で、軽くため息をついた。
七海がにやにやしながら言う。
「三郎先輩はそういうのないんですか?」
「ねえよ!」
「即答!」
千尋が爆笑する。
太陽は呆れたようにため息をつく。
「お前らほんと騒がしいな……」
そんな中で――
愛菜は少しだけ視線を逸らしながら、小さく笑った。
さっきまでの空気が、嘘みたいに和らいでいく。
でも――
(……負けない、か)
七海の言葉が、心に残っていた。
そして、ほんの少しだけ。
胸の奥が、ざわついていた。




